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タイトル伊達家の騎馬鉄炮
記事No1028
投稿日: 2002/07/12(Fri) 00:17
投稿者河合
>人間魚雷回天@EEGさん

 正直な話、伊達家の「騎馬鉄炮」については、ほとんどその実在を信じていません。実在した可能性が皆無とはいえないと思いますが、九分九厘なかっただろうと思います。

 それでは、なぜ実在したという前提で記事を書いたのか。
 実はそこには、よい子の夢を壊すような政治的な思惑があったのでした(^_^;。

 あの記事を書くにあたっては、「騎馬鉄炮」の扱いについて編集部と協議しました。そしてまったく触れないのもどうかということになり、なんらかの形で言及するということで、存在を否定するか肯定するかは私に決定権が委ねられたのです。
 つまり編集部の方針としては、執筆者間の主張の整合性はそもそも考えていなかったわけです。

 で、私は考えました。
 過去の「歴史群像」シリーズで、私は他の執筆者の持論との調整を行ったことがあります。そのときも編集部は、そこまで気を使う必要はありません、といっていたのですが、私としては気を利かせたつもりでした。
 ところがこの大坂の陣の記事を執筆する直前、そのときの一件が某サイトに「勝手な引用」と断定的に書かれていたことを知り、私は「二度と他の執筆者の意見にすり合せたりするもんか」と心に誓ったばかりでした(笑)。
 ですからこのときは、「伊達家の騎馬鉄炮はなかった」という誰もが書きそうなことは危険だから絶対に書くまい、という結論に達したわけです。
 いまにして思えばそこまで意固地になることもなかったのですが、そのときは大人げなくそう決断してしまったのです(^_^;。

 さて、実在を信じてはいないものの、では実在を完全に否定するだけの材料があるかといえば、実はそこまで確実な史料が存在しないことを私は承知していました。ないものをないと記録するわけがないですから、当たり前といえば当たり前すぎるくらいの話ですが(笑)。
 そして屁理屈に屁理屈を重ねた結果、あの記事が完成します。ちょっとしたクイズを埋め込んで。

 それが記事の中での徹底した「騎馬鉄炮」の否定です。
 見た目だけの無用の長物、唯一の実戦で惨澹たる失敗をしでかし、記録に残せないほど無様な醜態を晒した部隊。そう描くことによって、私はあの「閉じた世界」でも「騎馬鉄炮」を否定して見せたわけです。
 もうおわかりですよね。クイズの答えは、そんな不完全な部隊は「軍事的にも実在の可能性は低い」だったわけです。
 もちろん、ストレートにそう書くこともできました。そこまで意固地になることもなかった、というのはそういう意味です。
 とはいえ、私の記事はだいたいにおいてそうした「嘘」や「謎かけ」がひとつやふたつは入っているのが普通で、それがないと編集部から「面白くない」といわれるのが常ですから、そういうものだと思って楽しんでいただければありがたいな、と思っています(^_^;。

 ま、そんなところでして、「実在しないものを実在したと書いた」つもりはありませんが、少なくとも「実在を信じていないものを実在したと書いた」わけですし、「実在した可能性が限りなく低いものを実在したと書いた」と指弾されて抗弁するほどの恥知らずでもありません。まったくその通りだと思います。

タイトルRe: 伊達家の騎馬鉄炮
記事No1030
投稿日: 2002/07/12(Fri) 07:33
投稿者人間魚雷回天@EEG
河合さん、おはようございます。

>つまり編集部の方針としては、執筆者間の主張の整合性はそもそも考えていなかったわけです。

「編集部の方針」については、後日本業の関係で「人を紹介してください」という依頼があった時に編集の方から「一般的にこのシリーズでは
調整は考えていない」と確認しています。もう一歩進めて、そのことを明記してしまえば私みたいに突っ込んでくる連中も減るのになぁ、と他人事ながら考えたことがあります。

>ところがこの大坂の陣の記事を執筆する直前、そのときの一件が某サイトに「勝手な引用」と断定的に書かれていたことを知り、私は「二度と他の執筆者の意見にすり合せたりするもんか」と心に誓ったばかりでした(笑)。

流石に、読者と言う立場ではそのあたりの事情は読めませんね。もっとも適切な方法で引用したのであれば、断定的な非難は謂れのないものですから私の立場でしたら例え「釣れた」(某掲示板での表現)と言われようとそれに対する反駁は厭うものではありませんが。

>ですからこのときは、「伊達家の騎馬鉄炮はなかった」という誰もが書きそうなことは危険だから絶対に書くまい、という結論に達したわけです。

書いてますね、作家のKさんが。ただし、否定する根拠が私としてはいささか見当はずれに感じたので自分の記事を書く時には指摘しておきました。誰か気の利いた方がご注進に及んでいただければもう少し楽しめたのに、とちょっと残念かも。

>さて、実在を信じてはいないものの、では実在を完全に否定するだけの材料があるかといえば、実はそこまで確実な史料が存在しないことを私は承知していました。ないものをないと記録するわけがないですから、当たり前といえば当たり前すぎるくらいの話ですが(笑)。

他の方で言うと、大西氏は、『伊達家文書』の陣立てを根拠にないと主張されていました。また、うちの会長は技術屋さんですから鉄砲の反動という面で無理かも、と考えていました。こちらについては本人も別アプローチで書いてもらいました。

>見た目だけの無用の長物、唯一の実戦で惨澹たる失敗をしでかし、記録に残せないほど無様な醜態を晒した部隊。そう描くことによって、私はあの「閉じた世界」でも「騎馬鉄炮」を否定して見せたわけです。

私の場合は、ここで「あるとすれば、どう使うつもりで作ったのか?」
という推論と、「ありなしどちらにせよ、この話を最初に書いたのは誰なのか」という出典探しの方向へ考察が向いてしまったのです。
河合さんへのご質問に、「使用された鉄砲の記述(これまでのいかなる他の記事とも異なって具体的であった)の出典についての質問があったのはそのあたりを踏まえてのことだったわけです。

>とはいえ、私の記事はだいたいにおいてそうした「嘘」や「謎かけ」がひとつやふたつは入っているのが普通で、それがないと編集部から「面白くない」といわれるのが常ですから、そういうものだと思って楽しんでいただければありがたいな、と思っています(^_^;。

そのおかげで、色々とこれまで疑問に思っていなかったことを考えてみるきっかけになったので、よい頭の体操になったと思っています。
そもそも、実在したのかしなかったのかについても、これまで資料批判が行われていた形跡がなかった(地元でも同様のようです。)わけですから。
仙台領における馬種改良の歴史とか、『常山紀談』の該当部分のニュースソースは誰なのかとか、ちょうど体調を崩していた時期と重なっていたこともありゆっくり考えることができたと思います。
ま、そんな意味も含めて「騎馬鉄砲隊『の』まぼろし」だったわけなのですが。

最後に、2つだけうかがっておきたいのですが、
1.鉄砲の形式の出典を提示しなかったのは、作者の意図を包んでいた袋を解くための紐としてだったのでしょうか?
2.私の手紙をご覧になった時、「ネタにマジレスかっこわるい」と思われました?

タイトルRe^2: 伊達家の騎馬鉄炮
記事No1031
投稿日: 2002/07/13(Sat) 11:49
投稿者河合
>人間魚雷回天@EEGさん

 一日様子を見ていましたが、この段階ではほかにも参加者が現われるかどうかまだ見えませんので、もうしばらく内輪ネタを続けてしまいましょうかね(笑)。


> もう一歩進めて、そのことを明記してしまえば私みたいに突っ込んでくる連中も減るのになぁ、と他人事ながら考えたことがあります。

 まあそうではありますが、監修者がいない場合、一般的には掲載原稿の内容統一は行わないのが普通です。
 ましてシリーズ全体では、統一されていなくてもしかたないでしょう。
 このあたりは、学研に限らず、他の出版社でも同様です。


> 流石に、読者と言う立場ではそのあたりの事情は読めませんね。もっとも適切な方法で引用したのであれば、

 もちろん、読者のみなさんにそこまで察してほしい、とまでは思いません(笑)。
 そのときの私の書き方は、こんな説があって、それにしたがって読み解くと、こんな解釈も可能になるんだよ、という程度のもので、一般的には要約の範疇だったと理解しています。ただ、他人の説であることは容易に察しがつく内容(なにせ、当のご本人が同じ本に書いているのですから)ではあっても、論者の氏名を明記しなかったという点で、私にも落ち度があったことは事実です。
 ですから、つまならい意地を張ってあの内容になったことを強調する意味で、あえて書いてみました(笑)。


> 書いてますね、作家のKさんが。

 これはもっと早くお願いすべきことだったのですが、執筆者名のイニシャル使用は避け、書名、記事名も明記するようにしてください。

 で、この「作家のKさん」というのは、おそらく桐野作人さんのことだろうと思うのですが、とすると、ご指摘の記事は「歴史群像シリーズ【戦国】セレクション 風雲 伊達政宗」(P158〜P161)のことでしょうか。
 もしそうなのでしたら、いまお留守なので、お帰りになったらお伝えしておきますよ。


> また、うちの会長は技術屋さんですから鉄砲の反動という面で無理かも、と考えていました。

 私もこの考え方に近いことは、あの記事(「歴史群像シリーズ【戦国】セレクション 奮迅 真田幸村」(P86〜P90))に書いた通りです。「陣立て」単体の検証よりは、運用面との組み合せのほうに興味がありますから。

 そういう意味で、ご指摘の「あるとすれば、どう使うつもりで作ったのか」は私にとっても重要なテーマです。そしてそこから発展した「使われたとしたら、どんな結果になったか」が、あの記事の根幹でもあるわけです。


> 1.鉄砲の形式の出典を提示しなかったのは、作者の意図を包んでいた袋を解くための紐としてだったのでしょうか?

 現実的な問題でいえば、単純に誌面の都合です。
 当初の予定通りの内容で書いていたら、おそらくあの2倍の枚数にはなっていたでしょうから、「騎馬鉄炮」の検証について立ち入った記述はすべて削らざるをえませんでした。そのとき、本来なら入れるべき「実在したとすれば、想定される戦闘の様相は次のようなものだったと考えられる」という一文も省略しました。
 もちろん、もう少し冷静に考えていれば、そうはならなかったと思いますが(^_^;。
 ですから、正直な話、お手紙を頂戴したときは、来るべきものが来た、と思いましたね(笑)。


 というわけで、

> 2.私の手紙をご覧になった時、「ネタにマジレスかっこわるい」と思われました?

 というような考えはまったく浮かびませんでした(笑)。
 No.1028にも書いた通り、むしろ突っ込みやすさを意識して書いていますから、異論、反論、質問は大歓迎です。
 まとまった量になれば、それはそれで商売になりますしね(笑)。

タイトルRe^3: 伊達家の騎馬鉄炮
記事No1033
投稿日: 2002/07/13(Sat) 13:20
投稿者人間魚雷回天@EEG
>一日様子を見ていましたが、この段階ではほかにも参加者が現われるかどうかまだ見えませんので、もうしばらく内輪ネタを続けてしまいましょうかね(笑)。

確かに、良い乱入者があると話し合いが盛り上がるって面はありますよね。と、言うことで良質の乱入者募集してます。特典は、次の河合さんの記事か、うちの会誌でネタになれます。(笑)

>まあそうではありますが、監修者がいない場合、一般的には掲載原稿の内容統一は行わないのが普通です。
>ましてシリーズ全体では、統一されていなくてもしかたないでしょう。
>このあたりは、学研に限らず、他の出版社でも同様です。

なるほど。出版界のセオリーとしてはそうなのですか。
個人的には、統一しなくてもいいので相違点を列記するページを設けていただければ、読む方が「あぁ、こういうところがまだ定説がないのだな」とか「学説の相違点はここか」と言うように研究史のおさらいができて役立つなぁ(未だに学生気分が抜けてないな)と思ったもので。

>これはもっと早くお願いすべきことだったのですが、執筆者名のイニシャル使用は避け、書名、記事名も明記するようにしてください。
>
>で、この「作家のKさん」というのは、おそらく桐野作人さんのことだろうと思うのですが、とすると、ご指摘の記事は「歴史群像シリーズ【戦国】セレクション 風雲 伊達政宗」(P158〜P161)のことでしょうか。
>もしそうなのでしたら、いまお留守なので、お帰りになったらお伝えしておきますよ。

はい、そーです。河合さんにしても、桐野さんにしてもご返事のないうちはまずいだろうと思い、会誌の方ではイニシャルにしておいたものでつい癖が出ました。

>> また、うちの会長は技術屋さんですから鉄砲の反動という面で無理かも、と考えていました。

ただし、軍事史的にはそういう要求はでてくると想定できると言うこと、全く不可能ではないということも言っていました。
彼は、私に比べると実に多忙なので結論部分の原稿がまだ未完成未公開なので結論は出しませんが、いろいろと力学的に計算している模様です。
「長沢聞書」でも大坂方が試験してみたが、「馬が驚いて失敗した」とは書いてあるのですが、そのあたりが失敗要因にならなかったのは何かあったのかと。

>そういう意味で、ご指摘の「あるとすれば、どう使うつもりで作ったのか」は私にとっても重要なテーマです。そしてそこから発展した「使われたとしたら、どんな結果になったか」が、あの記事の根幹でもあるわけです。

お知り合いに、うちの会誌持ってる方がいらしたら13〜14号を見せてもらって見て下さい。恥ずかしい出来だとは思いますが、「あるとすればどのようなもので、どうして信頼される記録に残らなかったのか」をシミュレートしたものです。と言うか誰かがとっくにご注進に及んでいたかと思っていました。

>現実的な問題でいえば、単純に誌面の都合です。
>当初の予定通りの内容で書いていたら、おそらくあの2倍の枚数にはなっていたでしょうから、「騎馬鉄炮」の検証について立ち入った記述はすべて削らざるをえませんでした。そのとき、本来なら入れるべき「実在したとすれば、想定される戦闘の様相は次のようなものだったと考えられる」という一文も省略しました。

あぁ、それは読んでみたいですねぇ。無条件で「ある」「ない」言っている人の主張より、比較にならないほど興味があります。
学研さんにその話だけで一冊作っていただきたいくらいです。(笑)

>ですから、正直な話、お手紙を頂戴したときは、来るべきものが来た、と思いましたね(笑)。

他にそのような反応って、ありましたか? 私としては、ちょうどそれで記事を書こうと思っているところに出てきたお話だったので普段はそんなことしないのに相当思い切って手紙書いたのですが。

>まとまった量になれば、それはそれで商売になりますしね(笑)。

そこは、一も二もなく意見が合いますね。(笑)

タイトルRe^4: 伊達家の騎馬鉄炮
記事No1041
投稿日: 2002/07/16(Tue) 00:57
投稿者河合
>人間魚雷回天@EEGさん

> と、言うことで良質の乱入者募集してます。

 私やTraJan氏が削除しなければならないような「良質ではない方」が乱入すると、話が明後日の方向に展開してしまいますからね(笑)。
 そういう意味では、このツリーに限らず、「良質ではない方」の乱入はご遠慮願いたいものです(笑)。


> 個人的には、統一しなくてもいいので相違点を列記するページを設けていただければ、

 たしかにそういう記事があると便利ですよね。
 企画としてきちんとまとめれば、案外通るものかもしれません。こんどやってみようかな。


> ただし、軍事史的にはそういう要求はでてくると想定できると言うこと、全く不可能ではないということも言っていました。

 もちろんそうでしょうね。
 そうした面から、実現可能な編制や運用形態を割り出すというアプローチもあると思います。
 というか、そうしたアプローチと史料的な検証とがバランスよく融合している状態が理想的でしょうね。
 軍事面に関しては、日本の研究者はそのあたりが弱いような気がします。


> お知り合いに、うちの会誌持ってる方がいらしたら13〜14号を見せてもらって見て下さい。

 そうさせていただきます。
 つきましては、会や会誌の名称などを教えていただけるとありがたいのですが(存じ上げなくてすみません。不勉強なもので……(^_^;)。
 この掲示板でもけっこうですし(宣伝になりますよ(笑))、差し支えがあるようでしたらメールでもけっこうです。


> 他にそのような反応って、ありましたか?

 まったくありません(笑)。
 というか、そのうち突っ込みが必ずあるだろう、という予測と、たくさん反応があるだろう、という予測とは、必ずしも両立しないわけでして、私は前者は予測していましたが、後者のような事態はまったくありえないと思っていました。そしていまもそう思っています(笑)。

 そういう意味では、むしろBBSのほうが反応が大きいですね。やはり書きやすさというか、手軽さというか、そういうものの影響が大きいのではないかと。
 なんだかんだいって、手紙を書いて送る、という行為は面倒ですしね。
 ここで催促されなかったら、私もたぶんグズグズと先送りしただろうと思えるだけに、この想像にはけっこう自信があります(笑)。


 ところでイニシャルの件ですが、著作者名を曖昧にするほうが問題が大きくなる可能性が高いですから、そちらの会誌でも実名表記されることを推奨しておきます。
 著作者名を曖昧にした場合のリスクは、先に触れた私の失敗からも、容易に想像していただけるものと思います。ご注意を。

タイトルRe^5: 伊達家の騎馬鉄炮
記事No1111
投稿日: 2002/09/13(Fri) 01:42
投稿者人間魚雷回天@EEG
こんばんは、河合様。

>ところでイニシャルの件ですが、著作者名を曖昧にするほうが問題が大きくなる可能性が高いですから、そちらの会誌でも実名表記されることを推奨しておきます。
>著作者名を曖昧にした場合のリスクは、先に触れた私の失敗からも、容易に想像していただけるものと思います。ご注意を。

了解しました。そのようにしてみます。
これで、桐野さんが乱入してくれれば十分冬合わせの会誌の記事が一本できあがるのですが。(笑)

タイトル桐野さんのこと
記事No1112
投稿日: 2002/09/14(Sat) 13:15
投稿者かず
本題とは全く関係のない横レスですみません。

ここでちらっと話題に上っていたら桐野作人さんの事ですが、
桐野さんはもう小説は書かれないのでしょうか?
仮想時代小説では第1人者だと思って作品もほとんど持っているのですが、
ここ数年新作を見たことがありません。
それとも、どこかで活動されているのですしょうか?

何か事情をご存知でしたら教えてください。

タイトルRe: 桐野さんのこと
記事No1118
投稿日: 2002/09/22(Sun) 14:37
投稿者人間魚雷回天@EEG
そう言えば、「歴史群像」でもここ3号(半年分)は確実に記事が載
っていないね。
「次回作の仕込みに入っている」と善意に解釈しておくべきか?

タイトルRe: 桐野さんのこと
記事No1122
投稿日: 2002/09/23(Mon) 01:21
投稿者河合
>かずさん

> 桐野さんはもう小説は書かれないのでしょうか?

 桐野さんご本人に確認したところ、「織田武神伝」の最終巻(十巻)が年内か年明けくらいに店頭に並ぶそうです。
 架空ネタでは、来年あたりに「信長帝王伝」が動くかもしれません。

 あと、普通の歴史小説の予定がいくつか入っているそうですよ。

タイトルRe^2: 桐野さんのこと
記事No1124
投稿日: 2002/09/23(Mon) 11:34
投稿者かず
河合様、わざわざ聞いていただきありがとうございました。

>  「織田武神伝」の最終巻(十巻)が年内か年明けくらいに店頭に並ぶ
> そうです。
>  架空ネタでは、来年あたりに「信長帝王伝」が動くかもしれません。
>
>  あと、普通の歴史小説の予定がいくつか入っているそうですよ。

おお!そうですか。遂に武神伝、完結ですか!
最新刊が読めるので嬉しいような、もう続きがないのが悲しいような
複雑な心境です。個人的には、反・太閤記のように最後はバタバタッと
終わらせずに、全国統一まできちっと書いて欲しかったのですが。。。。
(でも、実際の天下統一も秀吉vs家康、もしくは北条討伐くらいまでで、
東北とか九州はおまけみたいなものでしたから、仕方がないのかもしれませんね)

それと、信長帝王伝ですかぁ。うぅ、楽しみですね。
えーと、それから乾坤関ヶ原はもう続きは出ないのでしょうか?

タイトルお詫び
記事No1045
投稿日: 2002/07/18(Thu) 02:44
投稿者河合
 No.1041に、

>  つきましては、会や会誌の名称などを教えていただけるとありがたいのですが(存じ上げなくてすみません。不勉強なもので……(^_^;)。

 と書きましたが、これ、重大な勘違いをしてました(^_^;。

 これまで人間魚雷回天@EEGさんがお書きになっていた「会」と「会誌」を、私はてっきり歴史系同人のことだと思っていたのですが、@の後ろにしっかり書いておられた「EEG」のことだったんですね(爆)。

 いやあ、先入観って恐ろしいですね(^_^;。
 ああ、びっくりした(-_-;。

タイトルRe: お詫び
記事No1120
投稿日: 2002/09/22(Sun) 23:25
投稿者匿名
初めて投稿します。
『歴史SLGHome』というホームページの「新歴史評定」(ここでいう戦史会議室)という場所でここが紹介されていました。

皆さんは騎馬鉄砲については否定的ですね。しかし先ほど言った「新歴史評定」では騎馬鉄砲はあったとの結論に達しました。
騎馬鉄砲は無かったと思われるなら「新歴史評定」の人達に騎馬鉄砲は無かったと御教授されたはどでしょうか?私も騎馬鉄砲は無かった戸の意見が聞きたいです。
『歴史SLJHome』のアドレスは
http://www.hiro.org/rekishi/

タイトルRe^2: お詫び
記事No1133
投稿日: 2002/09/24(Tue) 00:59
投稿者人間魚雷回天@EEG
個人的には、あっても不思議でない、あったとすればこんなものだった
のでは? と考えて以前所属サークルの会誌に書いたことがあります。
今回は、様々な反応が出てきて興味深く拝見しております。
早速、ご教示いただいたHPを見て見たいと思います。

タイトルRe^2: 伊達家の騎馬鉄炮
記事No1123
投稿日: 2002/09/23(Mon) 01:33
投稿者キリノ
> 人間魚雷回天@EEGさん、はじめまして。

河合さんから教えていただいて時々拝読しておりました。

> 書いてますね、作家のKさんが。ただし、否定する根拠が私としてはいささか見当はずれに感じたので自分の記事を書く時には指摘しておきました。誰か気の利いた方がご注進に及んでいただければもう少し楽しめたのに、とちょっと残念かも。

これは私のことのようですね。どのあたりが見当はずれなのか、ご教示いただければ幸いです。
なお、私はご指摘の歴群で、前田家の事例を挙げて、騎馬鉄炮の存在自体は否定していないんですけどね。

タイトルRe^3: 伊達家の騎馬鉄炮
記事No1132
投稿日: 2002/09/24(Tue) 00:54
投稿者人間魚雷回天@EEG
桐野様、はじめまして。

> これは私のことのようですね。どのあたりが見当はずれなのか、ご教示いただければ幸いです。

当方の会誌で「騎馬鉄砲隊のまぼろし−拾遺」と題して、この点につい
て述べたものを抜粋しておきます。

「伊達家文書」の「大坂夏陣人数書」を論拠にして、騎馬鉄砲隊だけで
ここに記された馬上の数を上回るのは不自然である等の意見については
前回の発端となったN(註:中西 豪氏)氏の論拠と同方向なのでまだ
納得がいきますが、明治初年に成立した『名将言行録』に書かれているから後世の創作という判断は、いささか納得しかねます。
その出典となった『常山紀談』を以って、記述に信憑性がないという論
拠であるならまだしも、それを引用して編まれた史料を基にして判断す
ると言うのは手法に問題があるのではないでしょうか。それは、例えば
回答が合っていたとしても途中の計算式が違っているようなもので「単
なるまぐれ当たり」と言われても止むを得ない類であると考えざるを得
ません。
はっきりとした結論(ここでは、「なぜ道明寺の戦いに騎馬鉄砲が出現
したように書かれたのか? それはいつなのか?」)が出されていない
事項については、解釈する人によって様々な説が出ることはそれが余程
突飛なものでない限り問題ないと思っています。
しかし、既にその出典がわかっているのにその親史料については検証し
ないで結論を出してしまうのは問題があると思います。
ましてやそれが、多くの著作の実績がある方により書かれた文章で、多
くの人が読み影響力を持つ商業誌に掲載されるということにおいてはな
おさらではないでしょうか?

文中、些か失礼に感じる表現があるとすれば、「どうせ読者は肩書きの
ある人の意見を頭から信じるんだろうな」という嘆き8割、やっかみ2
割の成せる業とご理解いただき、ご寛恕くだされば幸いです。
もしご希望でしたら、拙稿をお送りいたしますのでメールなどいただけ
ればと存じます。

タイトルRe^4: 伊達家の騎馬鉄炮
記事No1135
投稿日: 2002/09/24(Tue) 10:38
投稿者キリノ
>人間魚雷回天@EEGさん

お返事有難うございます。

> その出典となった『常山紀談』を以って、記述に信憑性がないという論
> 拠であるならまだしも、それを引用して編まれた史料を基にして判断す
> ると言うのは手法に問題があるのではないでしょうか。

このご指摘なら納得です。小生の単純な史料操作のミスですね。

ただ、たとえ『武将感状記』を、親史料である『常山紀談』に取り替えても、小生の結論は変わらないと思います。『常山紀談』自体も江戸中期の編纂物で、玉石混淆の書物というのが、大方の評価、通説だと思うからです。
似たような史料を取り違えた点だけとらえたら、たしかに「的はずれ」かもしれませんが、やや些末な議論であり、本筋はやはり伊達家にきちんとした史料が残されている点であって、そちらを重視すべきではないでしょうか。

『常山紀談』拾遺巻之四にある「政宗の騎馬鉄炮八百挺」の一節について、その是非はどうなのかという点について少しだけ。
中西さんも小生と同様の結論になったようですが、『伊達家文書』に収録された文書「伊達政宗大阪夏陣人数書」に伊達家の鉄砲総数3470挺について、備えごとの内訳・配備数、備えの名称・組頭の名前まで、すべて網羅されています。それを見るかぎり「騎馬鉄炮八百挺」など存在できそうもありません。
その理由を挙げてみますと、

(1)伊達軍の騎馬総数が同書によれば、628騎しかなく、それ以上の騎   馬鉄炮が存在できるはずがない。
(2)同書にある鉄炮備の実数が片倉・伊達成実・亘理の先手備の300〜   500挺を除けば、いずれの備も50挺〜130挺の間におさまるこ   とから、騎馬鉄炮800挺は実在できそうもないこと。
   (複数の鉄炮備をひとつに編成して800挺にすることは理論上、不   可能ではないが、現実的な運用法とは思えないし、いずれにしろ、    (1)によって否定される)

そこで問題は、『伊達家文書』と『常山紀談』という史料の信憑性になります。前者は大坂の陣からまださほど時間が経過していない頃に家中の者によって書かれた書上(一次史料)、後者は江戸中期の二次的な編纂物。史料批判の観点からみると、どちらに信頼性があるかは明白だと思います。
伊達の騎馬鉄炮800挺の実在を消極的ではなく(『常山紀談』を論拠)、積極的に実証しようというなら、『常山紀談』の趣旨と相反する『伊達家文書』の史料を否定できるだけの根拠を示すことが前提条件になるのではないでしょうか。

なお、小生が歴史群像に書いた論旨ですが、誤解されている向きがあるので、少し付言しますと、私が「後世の創作」としたのは「政宗の騎馬鉄炮八百挺」であって、「政宗の騎馬鉄炮」もしくは「騎馬鉄炮」一般ではありません。後二者については実在の余地が残っています。
騎馬鉄炮が同時代に存在した可能性が高いことは、前回も触れましたように、前田家の史料に「馬上鉄炮 五十騎」とあることからも明らかです。
だとすれば、伊達家にも騎馬鉄炮があってもおかしくありません(ただし、800挺ではなく)。
『伊達家文書』には鉄炮備のなかに名称のないものがあり、いずれも70〜100挺単位で編成されています。前田家の事例と同様、このなかに騎馬鉄炮が存在しなかったとは断言できないと思います。もっとも、積極的に実在を肯定する史料もなかなか見つからないようですが。

タイトルRe^5: 伊達家の騎馬鉄炮
記事No1136
投稿日: 2002/09/24(Tue) 11:45
投稿者人間魚雷回天@EEG
桐野さま、早速のご返事有難うございます。

> ただ、たとえ『武将感状記』を、親史料である『常山紀談』に取り替えても、

重箱の隅をつつくようでいい気分ではないですが、引用されていたのは、
「武将感状記」ではなく、『名将言行録』(岡谷繁実、明治2年)です。
「武将感状記」はまた別の資料です。

>『常山紀談』自体も江戸中期の編纂物で、玉石混淆の書物というのが、大方の評価、通説だと思うからです。

はい、そうです。ただし、道明寺合戦についてはニュースソースがはっきり
しているので何とも言えないのです。
理由については、小生の怪我のせいで取材が一度にできなかったこともあっ
て前編と続編に分割して書いたので長文になりますが引用しておきます。

前編「騎馬鉄砲のまぼろし」より
○「西村孫之進」って誰?
 さて、『常山紀談』において、大坂の陣における真田隊の戦闘についての
ニュースソースの一人となったと考えられる西村孫之進とは、どのような人
物なのでしょうか?
 もちろん、ここに採録されている多くの著名人に比べればほんの僅かな手
がかりしかないことは言うまでもありません。『常山紀談』によれば、大坂
夏の陣では真田隊に属していたこと、大坂落城の後は浪人して江戸にも住ん
だことがあるということ、後に岡山城主池田光政(!)に仕えたということ
がわかります。
 ということは、孫之進と常山は時代こそややずれますが、同じ家の禄を食
んでいたということになります。となると晩年の孫之進かその子孫から直に
取材していた可能性も皆無とは言えません(ほら、嘘八百とは断定できなく
なってきたでしょ?)。
(拾遺で補足できた部分を中略)
 他に手持ちの資料でも何かないか?と探してみたところ、面白い事実が出
てきました。それは『仙台真田代々記』という本です。
(片倉阿梅についての話題を中略)
 さて話は戻りますが、真田隊の部将で大坂夏の陣を生き延びた者に三井覚
左衛門景国という武士がいます。三井家は父宗国が永正年中(1504〜21)に
真田家に仕えています。景国は関ヶ原の際の上田篭城戦で初陣を挙げ、昌
幸・幸村の九度山配流にも従っています。昌幸の死後、多くの家臣は上田へ
帰参していますが、景国はそのまま幸村に仕えて大阪に参戦し、道明寺の戦
いでは幸村配下の鉄砲隊を率いて奮戦しましたが負傷したため天王寺の戦い
には参戦できませんでした。傷癒えて後、阿梅の嫁いだ片倉家へ行き、その
まま仕えています。幕府を憚り菅沼に改姓しますが、孫成房の代に三井に復
姓しています。
 孫之進は、その景国の家臣で負傷した景国に代わって幸村の子どもたちを
護衛して奥州へ下った侍だったのです。また、孫之進は江戸では「遊客とし
て諸家へ出入し、小幡景憲と甚だ善し。故に己が幸村より伝授の兵法を悉く
景憲に授け」たと言われています。甲州流の兵学を創始した旗本小幡景憲に
とって、甲州武田家に縁のある真田幸村の兵法を取材することは、景憲にと
っても有意義だったことでしょう。
 しかし、後に孫之進は先に触れたように池田家へ移っています。この点に
ついて小西氏は、政宗の嗣子忠宗の正室振姫(池田輝政の娘で家康養女)の
実家の動向を知るための諜者として伊達家サイドの納得づくで派遣された者
であったという説をとられています。
 従って、彼はこと道明寺の戦いに関しては東西両軍の様子を知っている上
に、(大坂方としては実戦体験者として、関東方としては同僚たちから当時
の状況を聞き得た者として)足軽雑兵とは異なり、ある程度の身分と教養を
持った(この時代は、身分によって入手し得る情報量に著しく差があったこ
とでしょう)人物であると結論付けることができるのではないでしょうか。
 つまり、もし『常山紀談』における真田隊関連の一連の記述が孫之進本
人、もしくは本人の覚書を出典としているならば、数字などの程度の誤差は
別としても事実関係においては一定の信頼が置ける物と見ても不自然はない
と考えられます。

後編「騎馬鉄砲のまぼろし−拾遺」より
○「池田家文庫」の宇宙
 次に、前回時間が足りず(と言うか入院していたからですけどね)確認す
ることのできなかった岡山大学図書館蔵池田家文庫マイクロ版史料について
紹介してみましょう。
(資料の説明、中略)
 今回はテーマに沿って、西村孫之助及び湯浅元禎(之祥)の家に関する資
料を目録から下記のとおり拾い出しました。

「先祖并御奉公之品書上」(TDC-215・306)
「先祖書上 組付之分 寛文7年」(TDC-339)
「家中諸士家譜五音寄 ニ・ノ 寛文9年」
(TDC-331)
「御家中先祖并自分勤仕抜書」(TDC-341)
「西村孫之進跡目僉議書」(YDC-341)

ここで確認したかったことは西村孫之進の履歴の書かれ方及び『常山紀談』
が編まれた時期の子孫について、湯浅元禎(之祥)のより詳細な履歴などで
す。
まず西村家の出自ですが、本国は河内で孫之進の祖父図書は野尻備後守・三
好左京太夫に仕え河内若江に住んだこと、父孫太夫は祖父の死後浪人として
若江に住んだことがわかります。となると、前回の記述とはやや異なり、孫
之進は三井景国の家臣ではなく大坂陣直前に配属された浪人衆武将の一人で
あったかもしれません。
また、孫太夫の息子は3人おり孫之進は次男であったこと、孫之進は幸村に
属して使番(伝令)を勤めたことも記されています。
また、大坂陣の後は慶安3年(1650)に池田家に召し出されて五十人扶持を
賜り、士鉄砲二十人頭を勤めるが明暦2年(1656)に死去して弟九左衛門の
子孫九郎を養子として家督を継がせています。
さて、これら資料における道明寺の戦いの記述については、『常山紀談』巻
之十七「西村孫之進武功の事」における記述と共通するものが多く、常山が
大阪の陣における真田隊の戦闘について記述したころの当主であった喜右衛
門(孫之進を初代として3代目)の協力により前記公的文書を参考にしたこ
とは十分考えられます。また、公的文書に記されない部分については祖父孫
之進の私的文書や口伝によって記述されたものと想像できます。
 また、湯浅元禎(常山)は寺社奉行・町奉行・判形役などを歴任してお
り、古文辞学派の詩人・儒学者(服部南郭に師事し、太宰春台、井上蘭台ら
と交際があった)で国学も学ぶと言う学者・著述者としての側面と硬骨な官
僚としての面を持つことを知ることができました。

という感じです。
ですから、誇張こそあれ「全くの創作・嘘」ではないのではないか?
というのが趣旨です。

> 伊達の騎馬鉄炮800挺の実在を消極的ではなく(『常山紀談』を論拠)、積極的に実証しようというなら、『常山紀談』の趣旨と相反する『伊達家文書』の史料を否定できるだけの根拠を示すことが前提条件になるのではないでしょうか。

戊辰役の影響で、相当数の文書が散逸したのが惜しまれます。
現在、仙台市立博物館に展示されている「伊達の黒箱」と呼ばれている伊達
騒動に関する文書群も、戊辰役後のどさくさに増田繁幸(旧藩士、一関県参
事、宮城県会議長)によって持ち出されて行方不明になっていたものが某古
書店で発見されたものだそうです。
また、現在同館所蔵の伊達家文書の全てが『大日本古文書 伊達家文書』に
収録されてはいないということは既に知られていることです。
そのような散逸・未見の資料のことを考えると、早急に結論を出し得ないと
思います。

> なお、小生が歴史群像に書いた論旨ですが、誤解されている向きがあるので、少し付言しますと、私が「後世の創作」としたのは「政宗の騎馬鉄炮八百挺」であって、「政宗の騎馬鉄炮」もしくは「騎馬鉄炮」一般ではありません。後二者については実在の余地が残っています。

あぁ、そうすると数直線上に並べるとこんな感じでしょうか。

中西説−河合説−桐野説−小生の説−司馬遼丸写し−信長の野望ファン
(否定)     (限定的肯定)            (肯定)

タイトルRe^6: 伊達家の騎馬鉄炮
記事No1137
投稿日: 2002/09/24(Tue) 14:35
投稿者キリノ
> 人間魚雷回天@EEG さん

さっそくのレス有難うございます。
また西村孫之進についてのご紹介有難うございます。

何というか、アプローチの方法は違うかもしれませんが、お互いがたどり着いた結論はかなり近いのではないかという印象をもちます。

              人間魚雷回天さん    小生

「政宗の騎馬鉄炮八百挺」    誇張        創作

伊達家の騎馬鉄炮      西村の証言を信頼  実在の余地有り   

   
それと、『常山紀談』には、伊達の騎馬鉄炮の記事が2カ所出てきます。

(1)巻之十七「西村孫之進武功の事」
(2)拾遺巻之四「大坂夏陣真田左衛門佐勇戦の事」

内容も似通っていますので、ご指摘のとおり、西村がニュースソースになっている可能性はありますね。
しかしながら、同じ本のなかで、騎馬鉄炮に関しては大きく異なります。

(1)「伊達家の騎馬鉄炮を打立てたれば〜」
(2)「政宗の騎馬鉄炮八百挺を〜」

いつの間にか、騎馬鉄炮が800挺になっています。同一筆者の同一本で、こんなに記述が変わったら、ちょっとねえという気がします。

ただ、(1)で西村が伊達家中の海道某と語ったという内容、とくに西村が討ち取ったという秋部甚平は、『伊達家文書』2-804号にみえる「給主衆」という鉄炮備の大将秋保長門か、その子刑部だと思われます(海道は刑部を父、甚平を子とする)。
西村の談話は『伊達家文書』2−808号「小関重次大阪陣覚書」の内容(秋保父子討死、伊達方が七、八町後退など)とほぼ一致しているので、実話に近いものと判断してもいいかもしれません。

そうはいっても、西村の史料が『常山紀談』にある「政宗の騎馬鉄炮八百挺」の補強にはなりえていないですね。

タイトルRe^7: 伊達家の騎馬鉄炮
記事No1138
投稿日: 2002/09/24(Tue) 14:56
投稿者人間魚雷回天@EEG
桐野さま、さっそくのレス有難うございます。

> いつの間にか、騎馬鉄炮が800挺になっています。同一筆者の同一本で、こんなに記述が変わったら、ちょっとねえという気がします。

確かに、重複した記事で細部が異なるものがいくつか見られております。
ただし、「拾遺」は、その名前とは裏腹に正編の下書き・未成原稿などが多
く含まれており、本人が拾遺として刊本に含めたのではないという説もある
と聞きます。ですから、厳密には「同一筆者の同一本で違う記述」とは言え
ない側面もあります。(習作と完成品で違う、という指摘はできますが)
また、数量的には「桶狭間の今川勢4万」や「織田家鉄砲隊@長篠 鉄砲3
千挺三段撃ち」同様誇張があり、どんなに好意的に考えても話半分と考えて
います。

> そうはいっても、西村の史料が『常山紀談』にある「政宗の騎馬鉄炮八百挺」の補強にはなりえていないですね。

そうそう、あと一歩背中の痒い所に手が届かないって感じ。(笑)
または、外堀は埋ったのに内堀が埋らない感じ。

タイトルRe^8: 伊達家の騎馬鉄炮
記事No1145
投稿日: 2002/09/25(Wed) 21:16
投稿者キリノ
> 人間魚雷回天@EEG さん

前に触れられた会報の記事の件ですが、興味がありますので、よろしかったら送っていただけないでしょうか。
送り先は、学研歴史群像(赤本)編集部気付で、桐野作人宛てにしていただければ幸いです。編集部の住所はメールにてご連絡します。
お手数ですが、よろしくお願いします。

タイトルRe^9: 伊達家の騎馬鉄炮
記事No1146
投稿日: 2002/09/25(Wed) 22:02
投稿者人間魚雷回天@EEG
> > 人間魚雷回天@EEG さん
>
> 前に触れられた会報の記事の件ですが、興味がありますので、よろしかったら送っていただけないでしょうか。

掲載誌が既に品切れですので、申し訳ありませんがコピーということになります。

> 送り先は、学研歴史群像(赤本)編集部気付で、桐野作人宛てにしていただければ幸いです。編集部の住所はメールにてご連絡します。

略同様で、メールもしておきました。