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タイトル初期の地雷
記事No2085
投稿日: 2004/12/12(Sun) 11:53
投稿者WalkingAircraftcarrier
初期の地雷の発達にふと興味がわいたのですが、手持ちの資料ではわかりませんでした。(ネットで検索しようとしてみましたが、行けども行けども対人地雷廃止運動のサイトばかりで、くじけてしまいました。)
南北戦争から使われ始めたとか、日露戦争(旅順)のロシア軍が地雷原を作っていたとか出てくるのですが・・・「工兵による地雷原の啓開作業」が出てこないので、どんなものやらワケがわからないのです。
私のあてずっぽうでは、日露戦争までの地雷は有線の遠隔操作で作動させるモノで、自動信管つきのものは第一次大戦の途中から、対戦車・対人並行してできてきたのじゃないか、と考えているのですが・・・
ご存じの方、教えていただけないでしょうか。

タイトルRe: 初期の地雷
記事No2086
投稿日: 2004/12/14(Tue) 20:45
投稿者アルプスオンジ
私もその話題には興味有ります。
しかし地雷とは、機能のことをいうのか、製品パッケージのことをいうのか、効果のことを指すのか?或いは設備のことか?ブービートラップはどうなるのか?
どういう意味で答えが欲しいのか明確にしないと皆さん答えようがないと思います。
因みに広辞苑では、地面に埋めて爆発させ(中略)る爆薬、となってます。
極端な話、ランプと黒色火薬が有れば、爆発する仕掛けは作れるわけですから、理屈の上では火薬が発明された時点で発生してもおかしくないと思います。
しかし十分な対費用効果や対象を考えれば、起爆薬炸薬の性能が十分上がり地雷のようなモノが要求される局面がなければ、他の手段を採った方が効果的と想像することが多いのです。
つまり最初の地雷とは、閃光と音はでかいわりに殺傷力は余り期待できない、極めて限られた補助戦術兵器として発生したのではないでしょうか?そのまま使えば元寇に出てくる<てっはう>イメージです。アレが地面で爆発する。それだけ。
手榴弾は擲弾兵という言葉があるぐらいですから、フリードリッヒ大王の頃には着火式投擲爆弾は十分意味のある兵器だったのでしょう。しかし対象が人馬せいぜい馬車であり戦闘様相が大軍同士の決戦や遊撃戦では、地面に設置した自動爆発の仕掛けをした炸裂弾は、大砲の弾として直接敵陣に打ち込んだ方が確実でしょう。より小さな投擲爆弾はなおさらでしょう。
強力な火器などで戦線が停滞して陣地戦の様相が出てきて始めて、今日のような地雷への需要が生まれたと思うし、そのころにはバネ式の起爆装置は既に小銃に普及していたのですから、現地改修でも簡易型の地雷は作れたと思います。そんなわけで大量生産はWW1からじゃないでしょうか?
単なるイッチョカミですが、誰もレスしないので一筆執りました。

タイトルRe^2: 初期の地雷
記事No2089
投稿日: 2004/12/16(Thu) 18:57
投稿者WalkingAircraftcarrier
アルプスオンジさん、ありがとうございます。
たぶん、「地雷」そのものの発祥は、攻城戦用の地雷(城壁の下まで坑道を掘っていって、火薬をしかけて爆破する)だろうと思うのです。トルコ軍が16世紀にはすでに使用していますし、それ以前にもきっと原型のようなものはあるでしょう。
しかし、有効な「対人地雷」となると、信頼性のある信管(適度に敏感で、しかも暴発しない程度に過敏でない)が必要なわけで、こいつはかなり時代が下るのでしょうね。
(R/Dさんの教えてくださったサイトで南北戦争の際にすでに開発されたとわかりましたが。)
話がヨコ漏れしますが、「風の谷のナウシカ」(アニメじゃなくて原作のコミックスのほう)に擲弾騎兵やら攻城工兵やら出てきますね。あれ、いつころのイメージなんでしょうねー?

タイトルRe^3: 初期の地雷
記事No2092
投稿日: 2004/12/18(Sat) 23:52
投稿者アルプスオンジ
イヤー、話題が盛り上がってきて良かったですね!!

私なりに考えてみたりちょろっと調べてみたんですけど、やはり直接火種を火薬に点火してる間は信管という発想はないんですね。
小銃でいえば少なくても薬莢ができて撃鉄部分に火打ち石みたいなモン、できれば雷管みたいなシステムができれば、信管付き地雷も準備できるだろうと思うんですね。雷管といっても、要するに癇癪玉を金属板でサンドイッチすれば起爆剤にはならないかと思うんですね。癇癪玉自体は金剛砂と火薬を紙に包んだ玩具ですけどね。砲弾の信管ほどデリケート?である必要ないですし。小銃の場合は閉鎖機の問題が次に来そうですが(笑)
砲弾でいえば、木留弾(りゅうだん。変換出来なかった)はフランスで革命11年(1737年?)に、木留散弾は英国でその後2−30年ぐらいして出現したと、光人社文庫−大砲入門にあったと思います。
明治維新の頃の輸入小銃は雷管式ばかりという訳ではなかったみたいですし、木留散弾がその威力を十分に発揮したのはクリミア戦争だったようです。
アメリカ南北戦争では、潜水ボートで機雷を敵艦船に接触させたらしいじゃないですか。攻撃側も巻き添えで死んじゃったらしいですが。

ナウシカはいろんな時代や文化が混じってますよ。ドルク軍なら行けると思えば地雷原も雑兵に踏ませて突破するでしょうね。概ね金属製の薬莢に雷管は使われてるようですし、攻城砲は木留弾を撃つ大口径臼砲ですね。見た目ほど対地攻撃力は無さそうですが。
一方、機関銃や深くて大規模な塹壕というモノは無かったんじゃないでしょうか?
このような点からナポレオン戦争以降からクリミア戦争までの範囲、臼砲の古めかしさと雷管式小銃の普及度から考察するのが良いのではないでしょうか?

いや、地雷の話題とはちがうのですが。

タイトル雷酸水銀
記事No2093
投稿日: 2004/12/19(Sun) 17:39
投稿者WalkingAircraftcarrier
どうもどうもどうも、盛り上げにご協力いただいて、有難うございます!
>
> 私なりに考えてみたりちょろっと調べてみたんですけど、やはり直接火種を火薬に点火してる間は信管という発想はないんですね。
> 小銃でいえば少なくても薬莢ができて撃鉄部分に火打ち石みたいなモン、できれば雷管みたいなシステムができれば、信管付き地雷も準備できるだろうと思うんですね。雷管といっても、要するに癇癪玉を金属板でサンドイッチすれば起爆剤にはならないかと思うんですね。癇癪玉自体は金剛砂と火薬を紙に包んだ玩具ですけどね。

うーんそうですね。理屈としてはカンシャク玉のメカニズムでパーカッション・ロックができてもいいわけですね。なんでそっちの方にいかなかったんだろ?
やっぱり、起爆装置としての安定性が足りなかったんでしょうかね。「起爆できることもある」じゃダメなわけですから。結局、19世紀はじめに雷酸水銀(最近、水銀の毒性が問題になりはじめてやっと、起爆薬としてのお役が御免になったらしいというんですから、無茶苦茶に寿命の長い、超優秀な起爆薬ですよね)が使われはじめるまで、フリント・ロックから離れられなかったわけですものね。(またヨコ漏れですが、「雷酸水銀」でネットを検索したら、お呼びのサイトもお呼びでないサイトも色々でてきて、えらく面白かったです。)

タイトルナウシカ遊びまくり・・・
記事No2094
投稿日: 2004/12/19(Sun) 17:55
投稿者WalkingAircraftcarrier
完全にヨコ漏れになるので、別レスにします。

> ナウシカはいろんな時代や文化が混じってますよ。ドルク軍なら行けると思えば地雷原も雑兵に踏ませて突破するでしょうね。概ね金属製の薬莢に雷管は使われてるようですし、攻城砲は木留弾を撃つ大口径臼砲ですね。見た目ほど対地攻撃力は無さそうですが。
> 一方、機関銃や深くて大規模な塹壕というモノは無かったんじゃないでしょうか?

改めて、その気で読み直してみたら、もうスゴいです。
飛行兵器(?)はヌキにして(なにしろジェット推進みたいだし。なんで浮いてるのかわからない「飛行ガメ」なんてのまであるし…)、地上兵器だけ見てみたんですが、重機関銃はあるは、対空砲はあるは、ロケット砲はあるは、柄付き手榴弾はあるは、小銃はボルト・アクションの連発銃だは、大砲は(見栄えは悪いけど)閉鎖機構つきの後装式でおまけにどう見ても駐退機としか思えない出っ張りまでついているは。
そのクセに、騎兵はプレート・アーマーで馬(…)も馬鎧を着込んでるし。しかも導火線つきの擲弾使ってるし。城壁は稜堡なしのキープつきだし。土鬼の僧兵って銃剣がナギナタ状になってるしー!

宮崎さん、遊んでるなァ……

タイトルRe: ナウシカ遊びまくり・・・
記事No2095
投稿日: 2004/12/21(Tue) 16:36
投稿者アルプスオンジ
ナウシカネタはこれで最後にします。

トリメキア戦役厳書、トリメキア健軍史、ヴ王王権掌握青春日記といものがあれば読みたいです。

なんちゃらキアという地名はギリシャローマ文明における周辺地域を示唆してるようなので、ひょっとかすると王一族の歴史は古トリメキア王国の歴史より古いかもしれないと言うニュアンスですね。

タイトルRe: 初期の地雷
記事No2087
投稿日: 2004/12/14(Tue) 21:34
投稿者R/D
詳しくはありませんが、参考になりそうなサイトをいくつか。

http://members.iinet.net.au/~pictim/mines/history/history.html
↑とりあえずこちらのサイトがそれなりに詳しいようです。
最初のpressure-operated landmineについての言及は1726年に遡るとか。
実際にpressure-operated landmineの犠牲者が出たのはやはり南北戦争中だそうです。

http://www.hdic.jmu.edu/journal/6.1/notes/robbins/robbins.htm
↑南軍で爆弾製造に従事していた人物について紹介したサイトですが、
その中に1862年5月に地雷が使用されたという話があります。

http://baitassalam.sweetbox.ws/archives/57058.html
↑によるとシャーマンは南軍の兵士に地雷除去作業をさせたそうです。

以上を見た限り、南北戦争より前は導火線を使って着火する地雷、
南北戦争からは自動的に爆発する地雷が使われるようになったのではないでしょうか。

タイトルRe^2: 初期の地雷
記事No2090
投稿日: 2004/12/16(Thu) 20:33
投稿者WalkingAircraftcarrier
R/Dさん、ありがとうございます。

>http://members.iinet.net.au/~pictim/mines/history/history.html
> ↑とりあえずこちらのサイトがそれなりに詳しいようです。
> 最初のpressure-operated landmineについての言及は1726年に遡るとか。
> 実際にpressure-operated landmineの犠牲者が出たのはやはり南北戦争中だそうです。

上記のサイトにアクセスしてみて、唸ってしまいました。やはり、南北戦争って、時代の先を行ってたんですねえ。・・・しかし、なんで日露戦争で地雷、あんまり活躍してないんでしょうかね。やっぱり南北戦争が「マイナー・リーグの出来事」視されたからなんでしょうか。(シュリーフェンでしたか、「武装した暴徒の衝突」だって言ったヨーロッパの専門家がいたとか聞きましたが・・・)

第一次大戦であんまり活躍してないのはなんとなくわかるんですけどね。なにしろ、突撃発起壕から敵の第一線壕まで何百メートルしかなくて、ウン万発かウン十万発か、1週間がかりで準備砲撃をやるんで
しょう。地雷原作ったって完璧に掘り返されますよね・・・

地雷が第一級に効果的な武器になってくるのは、浸透戦術や戦車攻撃とかの戦術革新に対応して、ということになるのでしょうか?

タイトルRe: 初期の地雷
記事No2088
投稿日: 2004/12/16(Thu) 00:21
投稿者クリスマス・ピポ
 上で聞かれている地雷は、信管付きの現用型なのは承知の上で
日本で作られた最初期のものは、確か箱の底面に火薬を敷き詰め
上に敷いた薄板に火の付いた線香を置き、更に上蓋をして、
それを踏み抜くと爆発…となるはずですがサテ。
 制作年代は判りませんが、恐らく戦国時代でしょう。ただ、
実戦での使用例は全く知りません。

タイトルRe^2: 初期の地雷
記事No2091
投稿日: 2004/12/16(Thu) 20:43
投稿者WalkingAircraftcarrier
クリスマス・ピポさん、ありがとうございます。

>  上で聞かれている地雷は、信管付きの現用型なのは承知の上で
> 日本で作られた最初期のものは、確か箱の底面に火薬を敷き詰め
> 上に敷いた薄板に火の付いた線香を置き、更に上蓋をして、
> それを踏み抜くと爆発…となるはずですがサテ。

……す、すごいですね。でもこの発火機構、実効性あるんですかね・・・24時間もつ線香もたしかにありますが・・・