タイトル | : タイムリミットはいつか? |
記事No | : 2102 |
投稿日 | : 2005/01/02(Sun) 17:05 |
投稿者 | : WalkingAircraftcarrier |
皆さん、山崎さん、明けましておめでとうございます。
包囲環完成の前にドン南岸を南西方向に突破するという、山崎さんのご意見に賛成です。 赤軍にカラチで橋を渡られて南翼の突破部隊と合流されてからでは、もうチャンスはないと思います。(ビーヴァーの「スターリングラード」によれば、赤軍の反攻開始の段階で前線部隊には燃料・馬糧が不足しており、軍馬の相当部分がドン西岸に下げられており、補給所の多くがカラチ周辺にあった、ということで、この状況を前提にする限り、カラチを取られれば実質ゲームセットではないでしょうか。)
最初から投入可能な快速部隊(第14装甲、第29自動車化。一両日のうちには第16・24装甲、第3自動車化の一部も投入可能になる)を南翼の赤軍のの撃退とカラチの防御にまわし、第22装甲・ルーマニア第1装甲は遅滞行動に専念させればこれは可能なはずですが、これはさすがに後知恵すぎるでしょう。
むしろ問題は、いつの時点でカラチの危機を知って(もしくは当然知 りうべくして)それに対処する行動を取れたか、だろうと思います。ビーヴァーによれば第6軍司令部が気づいたのが、21日午前に集まってきた情報によって、ということです。フォン・メレンティンが引用している第3自動車化師団のディンクラー大佐のメモでも、21日には師団の後方補給所から攻撃されたという情報が次々に入った、とありますので、この段階では気づかなければいけないでしょう(もちろんB軍集団も)。ヒトラーの死守命令が出る前ですから合理的行動もできるはずですし。
さてそのときにカラチの危機を阻止すべく投入できる装甲部隊があったか?ですが……ビーヴァーは「なかった」というのですが、その時点での部隊配置状況のデータがわからないので、いまいち判断しかね るんですよね……
えと、それから、第6軍からドン西岸に初めに投入されたのは、第14装甲師団ではないのでしょうか?ビーヴァーではそう読めるのですが(もっとも、部隊名の誤り(誤訳?誤植?)が多いのでいまいち信頼できないのですが……
|