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タイトル「敵に塩を贈る」について
記事No2115
投稿日: 2005/01/17(Mon) 20:53
投稿者山家
 歴史群像の最新号で、上杉謙信のことが取り上げられていて思い出したのですが。

 上杉謙信の逸話として、宿敵の武田信玄が、今川氏真と北条氏康の塩止めという、現代で言えば経済制裁により困っていたところ、塩を武田信玄に贈ったという話しがあります。

 この話しは、実話とされているようですが。単純に考えるべきではなく、実際問題として、武田信玄の領国では、今川氏真と北条氏康の塩止めにより、塩が不足して塩の値段は高騰したが、武田信玄と友好関係にある越中の本願寺系の商人により、塩の輸入は続けられており、上杉謙信としては、経済というものを全く理解していない今川氏真と北条氏康の塩止めに加担することにより、宿敵である本願寺が多大の利益を得るのを座視する訳には行かなかった。そこで、今川氏真や北条氏康に味方せず、自ら武田信玄に塩を贈ると共に、自らの領国の越後の塩商人に武田信玄の領国への塩販売を積極的に勧めたというのを一昔前に歴史雑誌の記事で読んだ覚えがあるのですが、これは本当なのでしょうか。

タイトルRe: 「敵に塩を贈る」について
記事No2163
投稿日: 2005/01/30(Sun) 17:42
投稿者人間魚雷回天
関連する一次資料を知らないのでどっちとも言えませんが、経済活動としては新規の商圏を開発する絶好の機会なので、あり得ないことではないと思います。
もっとも、「リアリストで商魂逞しい謙信」ではファンは幻滅するかもしれませんね。
本願寺系商人云々のくだりは今回初めて聞いたお話ですが、その後謙信が越中に勢力を伸ばしていたことから(日本が援蒋ルートを絶つために南進したように)可能性皆無ではないと思います。

タイトルRe: 「敵に塩を贈る」について
記事No2173
投稿日: 2005/02/01(Tue) 19:22
投稿者WalkingAircraftcarrier
山家さん、人間魚雷回天さん、こんにちは。

私は、啄木鳥の計も三本の矢も信じないいけない子で、おまけに資料の裏づけがあるわけでもないのですが……「塩を贈る」って、実話なのでしょうか?

「塩の道」が甲越対立の時代にも閉鎖されなかった(ルートが現に戦場になってない間は閉じてなかったと思うのですが)ことから、後世に説話として成立したお話しではないか、と思うのですが……

タイトルRe^2: 「敵に塩を贈る」について
記事No2179
投稿日: 2005/02/02(Wed) 21:30
投稿者山家
> 私は、啄木鳥の計も三本の矢も信じないいけない子で、おまけに資料の裏づけがあるわけでもないのですが……「塩を贈る」って、実話なのでしょうか?
>
> 「塩の道」が甲越対立の時代にも閉鎖されなかった(ルートが現に戦場になってない間は閉じてなかったと思うのですが)ことから、後世に説話として成立したお話しではないか、と思うのですが……

 私自身が、三本の矢については信じていないし、啄木鳥の計についても余り信用していない、いけない人なのですが。

 「敵に塩を贈る」については、上杉謙信自ら武田信玄に塩を贈ったのか、と言われると私は資料の裏付けも無く、ノーの可能性が高い、と言わざるを得ません。

 しかし、今川氏真が塩止めを決断し、北条氏康もそれに同調した永禄10年に、武田信玄の脅威に対抗するために同盟交渉を行っていた今川氏真が塩止めを要請したにも関わらず、上杉謙信がそれに同調せずに越後産の塩を送り続けたのは、上杉謙信が同年に越後産の塩を送ることを禁ずる禁令を出したことが同時代の資料から確認できないこと、それどころか、甲信においては上杉謙信が塩を贈り届けた(例えば、松本市では永禄11年1月11日のことと、日まで主張されている)という伝承が種々見られることから、ほぼ間違いないと思われます。

 それまでの5次にわたる川中島の合戦を頂点とする上杉謙信と武田信玄の宿敵関係を考えれば、上杉謙信が塩止めに加担するほうがむしろ当然で、上杉謙信の美談とされるに足る逸話だと思われますが、いかがでしょうか。

 それにしても、塩止めの実際の正確な経済効果というのは、五里霧中といったところらしいです。何故なら、当時既に三河からも甲信への塩の輸送路というのは確立されており(三河の塩というと、忠臣蔵においては赤穂の塩とライバル関係にあったと小説ではされるくらいで、中々良質の塩が江戸時代以前から採取されていたらしいです)、三河の当時の領主の徳川家康は、今川氏真と敵対していて、塩止めには加担しなかったこと等から考えると、甲信において、塩不足への不安から塩の値段が暴騰することはあっても、上杉謙信が塩止めに加担したからといって、塩が完全に欠乏するというのは考えにくいという説もあると聞きました。

タイトルRe^3: 「敵に塩を贈る」について
記事No2189
投稿日: 2005/02/04(Fri) 18:36
投稿者WAlkingAircraftcarrier
山家さん、こんにちは。

>  しかし、今川氏真が塩止めを決断し、北条氏康もそれに同調した永禄10年に、武田信玄の脅威に対抗するために同盟交渉を行っていた今川氏真が塩止めを要請したにも関わらず、

うーん、それじゃ今川・北条が「塩止め」をやったというのは史実なのですね。実はそこからして疑っていたもので(笑)……というのが、そもそも当時の戦国大名って、そこまで流通統制ができてたのかなァ、って思ってたのです。それと、「美談」は片端から疑ってかかる性分なもので……(私が一番好きな歴史家は、「抹殺博士」こと重野安ツグ(字が出ない……)なのです(笑)。)

だとすると、塩止めに加わらないのは、本物の美談か、それとも経済がわかってたのかのどちらかですね。一つ勉強になりました。ありがとうございます。