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タイトル英国の潜水艦
記事No2198
投稿日: 2005/03/16(Wed) 01:38
投稿者ごちょう
最近気になっている事があります。

イギリスの潜水艦は第二次世界大戦中何をしていた
のでしょうか?大西洋で通商破壊?

ちなみにドイツには有名なUボートがあり、アメリカも
太平洋では日本の通商破壊で多大な戦果を上げました
ね。あまつさえ戦艦も沈めています。

日本の潜水艦はドクトリン上通商破壊には向いていませ
んが、反面ヨークタウン・ワスプと言った空母をしずめ
ていますね。

それに比べてイギリスの潜水艦の話は聞いたことがあり
ません。Uボート対策、船団護衛の話ばかりです。

友人に聞いた所「そんなの分からない。制海権はイギリ
スあったから潜水艦戦は必要無かったのでは?」と一笑
にされてしまいました。

二次大戦でイギリスの潜水艦は何をしていたのか?

ご存知の方がいたらご教授お願い致します。

タイトルRe: 英国の潜水艦
記事No2199
投稿日: 2005/03/16(Wed) 12:13
投稿者風間裕一
どうも風間です。

 私自身は全然詳しくないのですが。

 早川書房から「イギリス潜水艦隊の死闘」という本が出版されています。

 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4150502781.html

 文庫で手軽ですので、読んでみてはいかがでしょうか?

 それとGoogle等で検索をかけると結構ヒットすると思います。

以上です。

タイトルRe^2: 英国の潜水艦
記事No2211
投稿日: 2005/03/26(Sat) 23:43
投稿者daisuki
> どうも風間です。
>
>  私自身は全然詳しくないのですが。
>
>  早川書房から「イギリス潜水艦隊の死闘」という本が出版されています。
>
>  http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4150502781.html
>
>  文庫で手軽ですので、読んでみてはいかがでしょうか?
>
>  それとGoogle等で検索をかけると結構ヒットすると思います。
>
> 以上です。

「イギリス潜水艦隊の死闘」は、マルタ島を基地にしていた部隊を描いたものです。チャーチルをして「これほど損害をだした部隊はいない」と言わしめた状況がよく描かれていると思います。

タイトルRe: 英国の潜水艦
記事No2200
投稿日: 2005/03/17(Thu) 02:33
投稿者DKH
 はじめまして。ごちょう様。
 光人社NF文庫「潜水艦入門」等によりますと、英仏の潜水艦は、一部の巨砲を搭載した艦を除き、主にその運用目的は「沿岸防御」「哨戒」「機雷の敷設」だった様に書いてあります。
 あまり詳細な事は書いてなかったので、実際の戦績などは不明ですが、人知れずに行動できる潜水艦ですので「偵察」など、目立たぬ処で活躍していた事と思います。

タイトルRe: 英国の潜水艦
記事No2201
投稿日: 2005/03/17(Thu) 10:35
投稿者げげっせん
実際に何をしていたかは知らないのですが、Advanced Third Reichには
マルタ島の潜水艦に関するルールがありますね。

これからすると、地中海で枢軸軍の海上輸送を妨害していたのではない
でしょうか。

タイトルRe^2: 英国の潜水艦
記事No2205
投稿日: 2005/03/18(Fri) 17:18
投稿者TEIRYU
> 実際に何をしていたかは知らないのですが、Advanced Third Reichには
> マルタ島の潜水艦に関するルールがありますね。
>
> これからすると、地中海で枢軸軍の海上輸送を妨害していたのではない
> でしょうか。

HJの「地中海キャンペーン」では、両軍とも潜水艦は哨戒・海上輸送妨害に活躍していました。 このゲームは「補給戦」なので潜水艦の配置が重要でした。 

タイトルRe: 英国の潜水艦
記事No2203
投稿日: 2005/03/17(Thu) 14:06
投稿者
こんにちは。

 フランスの海戦史研究家レオンス・ペイヤール著「潜水艦戦争」(1970)が良い本だと思います。

これによると
(1)商船保護がイギリス海軍の最大の任務であったが、39年12月に行ったハリファックスイギリス本土間の輸送船団防御演習において参加した潜水艦が悪天候によって多数遭難したため、イギリス海軍省は護衛任務に潜水艦を投入するのを断念した。
(2)海軍省の考えでは、潜水艦の任務は敵の海域を哨戒し通過する大型艦艇を待ち伏せて魚雷攻撃することにあった。
(3)開戦時の配備は本国21、地中海10、北大西洋2、極東15および訓練を担当する第5潜水戦隊8隻であった。
(4)開戦劈頭はカテガット海峡やノルウェー海域で哨戒待ち伏せ任務についていたが、港の出口をその場所に加えるようになった。
(5)フランス降伏とイタリアのリビア侵攻によって40年8月には地中海に17隻の増援がなされ、独伊の補給船攻撃に活躍した。(なお、地中海での潜水艦基地はマルタとアレキサンドリアです。)
(6)東南アジアではセイロン島を基地に日本の沿岸交通に攻撃を加えた。地中海での戦闘終結によって多くの増援を得て戦闘水域を広げ、やがてアメリカ軍担当水域であるオーストラリアを基地に加えるまでになった。

 DKHさんのおっしゃる機雷敷設、特殊部隊の輸送、上陸作戦における航路標識任務など目立たない活動についても記述がありました。

潜水艦戦争 1939‐1945〈上〉 ハヤカワ文庫NF on Amazon
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150502153/qid=1111027959/sr=1-5/ref=sr_1_10_5/250-5993056-7203412

タイトルRe: 英国の潜水艦
記事No2204
投稿日: 2005/03/17(Thu) 18:25
投稿者WalkingAircraftcarrier
世界の艦船増刊第9集「第二次大戦のイギリス軍艦」から拾った数字をご紹介します。
イギリスは開戦時に約50隻の潜水艦を保有しており、戦時中に約170隻を新造、さらにアメリカからの中古艦のリース(基本だなァ)、トルコ海軍向けの数隻の差押(なんかデジャヴ)、捕獲した敵潜水艦の利用などで、延べ236隻を就役させました。
驚くのは損失艦がけっこう多いことで、合計77隻を失っています。特に初期の第一線艦に損失が多く、クラスによって16隻中12隻喪失とか12隻中9隻喪失とかのクラスがあります。
損失原因や海域のデータが載っていないのですが、損失は40年〜43年に集中しており(44〜45年の喪失は7隻)、おそらく大半の喪失が地中海戦域のものではないでしょうか。

タイトルRe: 英国の潜水艦
記事No2206
投稿日: 2005/03/19(Sat) 17:02
投稿者ごちょう
ごちょうです。

小生の薄学な疑問に際し、皆様方のご教授、誠に有難うございます。

とても参考になりました。書籍等にもあたってみたいと思う次第です。

有難う御座いました。

タイトルRe: 英国の潜水艦
記事No2207
投稿日: 2005/03/19(Sat) 23:05
投稿者山家
 既に終わっているようで、気が引けますが。

> それに比べてイギリスの潜水艦の話は聞いたことがあり
> ません。Uボート対策、船団護衛の話ばかりです。

 英国の潜水艦もUボート対策に結構活躍しているようです。学研の歴史群像欧州戦史シリーズ「Uボート戦全史」によると、Uボートの洋上での全損失は685隻ですが、このうちの26隻を潜水艦により喪失しています。私の調査不足かもしれませんが、米国の潜水艦はUボート狩りにほとんど投入されておらず、これらのほとんどは英国の潜水艦によるものと考えられます。

 たかが、26隻といわれそうですが。護衛空母等の艦載機により、Uボートは制圧され、大量に失われたと言われますが、実際のところは、艦載機によるUボートの損失は39隻で、艦載機と艦船との共同攻撃を含めても51隻に過ぎないそうです。ちなみに機雷によるUボートの損失は10隻に留まっています。更に当時の技術的限界(当時は、対潜用の音響追尾魚雷は英国では実用化されておらず、水中のUボートに対して、英国の潜水艦が攻撃を加えることはほぼ不可能でした。)を考えると、英国の潜水艦はUボート対策において、充分敢闘したといえるのではないでしょうか。

タイトルRe: 英国の潜水艦
記事No2213
投稿日: 2005/04/01(Fri) 20:34
投稿者TraJan
 亀レスになってすいません。
 第2次世界大戦当初で最も多くの潜水艦を保有していた国はソビエトで、2位はイタリアのはずです。この2国の潜水艦も何やっていたか不思議ですね。確たる戦果はあるのでしょうか。

タイトルソビエトの潜水艦の悲劇
記事No2214
投稿日: 2005/04/01(Fri) 22:03
投稿者山家
>  亀レスになってすいません。
>  第2次世界大戦当初で最も多くの潜水艦を保有していた国はソビエトで、2位はイタリアのはずです。この2国の潜水艦も何やっていたか不思議ですね。確たる戦果はあるのでしょうか。

 取りあえず、手持ちのコマンドマガジン第2号の記事のみから拾ったもので、他の資料で裏を取ってはいませんが。

 WWUのソビエトの潜水艦ですが、1939年9月1日時点の保有数は168隻、1941年6月22日時点の保有数は215隻で更に100隻余りを建造中とのことです。そして、1919年に英潜水艦を引き上げて調査し、1920年代には独と軍事技術交流を行い、と世界水準に伍する潜水艦の開発に努力し、その結果、建造して間もない新造でかつ性能的に諸外国に見劣りしない潜水艦を大量に保有していました。

 その一方で、泣き所も多々ありました。海軍にも襲い掛かった赤軍大粛清(これによりベテラン士官の3分の2を喪失)と余りにも急速に拡大し過ぎたツケから来た、潜水艦に配属される人材の質の低下と量の不足でした。更に建造面に力を注ぎすぎた結果、定期整備や故障修理に手が回らない始末になりました。そして、ソビエトの地形上止むを得ないことなのですが、北方、バルト海、黒海、太平洋各艦隊に潜水艦を分散せざるを得ず、更に各艦隊を協調させて戦うことは事実上不可能で、個別に各艦隊が戦わざるを得ないという問題でした。

 そして、独ソ開戦時より、独はソビエト潜水艦対策に知恵を絞ります。まず、北方艦隊の潜水艦に対処するために、ノルウェー近海のフィヨルドに機雷をばら撒き、枢軸側の安全航路の確保を図ります。その結果、北極圏の厳しい天候の中で、レーダー未装備のソビエト潜水艦は枢軸側の商船を攻撃するのに、独空軍の制空権下での機雷堰の突破を強いられる羽目になります。

 バルト艦隊は更に悲惨でした。緒戦の独陸軍の快進撃により、多くの潜水艦が撃沈されたり、自沈を強いられます。そして、1941年8月から1944年9月まで、フィンランド湾の両岸は枢軸軍に抑えられ、ソビエト潜水艦は枢軸側の海上交通路を攻撃するのに、機雷・対潜ネット・ASW(枢軸側の高速巡視艇・航空機・潜水艦により編成)という複合的な対潜網を370km突破しなければならない地獄のような状況下で闘うことになりました。

 黒海艦隊にしても、セバストポリの喪失まではほぼ目標が無く、その後は最大の根拠地を喪失したことによる作戦制限が科せられるという状況でした。更に枢軸側は、1944年6月頃までは制空権を保持しており、海上輸送を行うには、海底の起伏の激しい沿岸部に機雷をばら撒いた上で、喫水線下の小さな小型の貨物船と艀を利用しました。

 それにより、どのような結果がもたらされたかですが、WWU中に122隻、26万5740tの戦果をソビエト潜水艦は挙げ、保有した272隻の内114隻を喪失しました。

 これをどう判断するかはその人に委ねます。

タイトルRe: ソビエトの潜水艦の悲劇
記事No2215
投稿日: 2005/04/03(Sun) 21:06
投稿者TraJan
山家さん こんにちは。

早速のレスありがとうございます。ソビエトの潜水艦艦隊は著名な戦果はあげていませんが、勇猛果敢に戦ったという印象を受けました。ソビエトの艦隊というとクロンシュタットに押し込められている印象が強かったので意外な感じです。
ところで、久々に初期のころのコマンドを読み直しましたが、今と誌面の方針がものすごく違いますね。思わず読み入ってしまいました。

タイトルイタリアの潜水艦の悲劇
記事No2216
投稿日: 2005/04/13(Wed) 13:46
投稿者WalkingAircraftcarrier
皆さんこんにちは。
亀レスですみません。
(いや実はあまり資料とてないのですが、振られっぱなしではイタリアが可哀そうすぎるように思いまして。)
元ネタは(株)光栄「艦船年鑑」とデーニッツ「10年と20日間」です。
1.基本データ
イタリア海軍は第2次世界大戦開始時に115隻の潜水艦を保有していて、ソ連に次ぐ第2位の潜水艦大国でした。大戦中の増強は30隻余り、喪失は86隻。「年鑑」によると、指揮・連絡・戦術といった運用面での稚拙さから戦果は芳しくなく、それに反比例する形で損害が増えていった、とあります。
2.外洋戦線
イタリア海軍は、1940年(健気にも)ドイツ軍の作戦指揮下で大西洋で戦いたいと申し入れ、デーニッツを喜ばせます。27隻の潜水艦が大西洋に派遣され、10〜11月に船団攻撃海域に出撃しましたが、戦果はほとんど皆無。「イタリア潜水艦部隊は、旧来の伝統的観点だけに基づいて訓練を受けていたことがわかった。潜水艦は単独で特定海域に配置され、そこで敵を待ち、水中艦として水中攻撃を加えるべく訓練されていた。」で、要するに、護衛艦艇の監視・妨害をかいくぐってつきまっとって攻撃するような機動戦ができない、と。そこでイタリア潜水艦は、いったん作戦から外されて、外縁海域での個艦行動、訓練、欠陥の改造を行いました。そして41年3月に再び船団攻撃作戦に投入されますが、またしても戦果なし。デーニッツもついに匙を投げ、5月以後は船団攻撃海域の外側(インド洋含む)で専ら個艦作戦に従事することになりました。
結局、個艦行動で独航船を攻撃する分にはそこそこの戦果をあげるのに(騎士十字章をもらった艦長が二人いるそうです)、船団攻撃になると、全然使えない。デーニッツに言わせると(同業者に遠慮してかいつもの毒舌を押さえ気味ですが)「イタリア人の性格と軍人としての態度」に問題がある。イタリア人は勇敢さと奉公精神ではドイツ人に劣らないが、船団攻撃ではこれだけでは不十分で、辛抱と粘り強さが要求され、「この点ではイタリア人よりもドイツ人のほうが優れていると思う」のだそうです。
3.地中海戦線
この戦線になると、デーニッツはもう同業者とは思っていないのか辛辣で、数行で片付けています。いわく、「イタリア艦隊と潜水艦部隊は、その兵力からみて味方も敵も予期していたほどの効力を発揮しなかった。……イタリア潜水艦の大部隊は、損失の大きさの割りに戦果が非常に少なかったが、一方の、同じ海域におけるイギリス潜水艦の成績は遥かに良かった。」事態に業を煮やしたヒトラーは41年秋にドイツ潜水艦を地中海に投入するよう命じ、10数隻のUボートが地中海に派遣されました。一方でイタリアの大型潜水艦は北アフリカへの輸送任務に使用されるようになり、輸送専門型の潜水艦まで建造されました。
4.要するに。
潜水艦作戦戦略についての基本的コンセプトの段階で初手から間違っていたために、組織・教育・訓練・造兵・装備・戦術が全部狂ってきて、散発的な戦果はあっても戦争全体の進行にほとんど寄与できないで終った、と。
……ところで、これって、わが帝国海軍の潜水艦とそっくりじゃないか、と思うのは……私だけでしょうか?

タイトルRe: イタリアの潜水艦の悲劇
記事No2217
投稿日: 2005/04/13(Wed) 20:35
投稿者TraJan
WalkingAircraftcarrierさん こんにちは。

他国の潜水艦部隊に比べると見劣りする戦績ですが、イタリア軍の中でみると、結構働いているなあと感じましたよ。



>……ところで、これって、わが帝国海軍の潜水艦とそっくりじゃないか、と思うのは……私だけでしょうか?

戦争全体に影響が無かった点は同じですが、日本の潜水艦は輸送船を狙いませんから根本的に違うような・・・日本の方がもっと悪いか。

タイトルRe^2: イタリアの潜水艦の悲劇
記事No2219
投稿日: 2005/04/16(Sat) 22:53
投稿者山家
 すっかり、亀レスになりますが。

 週末を利用して、本棚を整理していたところ、ダニガン氏とノーフィ氏の共著「第二次世界大戦あんな話こんな話」が出てきて、その中で大西洋戦域に投入された伊潜水艦の活躍が出ていました。

 大西洋戦域に投入された伊潜水艦は30隻(内3隻は紅海から駆けつけた)で、135隻、84万2000tの戦果を挙げたとのことです。そして、10隻を喪失しました。ちなみに、大西洋戦域に投入された独潜水艦は約800隻、2640隻、1400万t以上の戦果を挙げています。伊潜水艦が活動したのは1943年以前ですから単純に比較できませんが、1隻当たりの戦果では明らかに伊潜水艦の方が上です。これをもって、伊潜水艦は戦果無しというのは、酷な評価ではないでしょうか。

 更に付け加えると、コマンドマガジン3号によると1940年9月以降、ヒトラーはレイダー元帥に毎月9万tの燃料を伊海軍に供給するように命じますが、レイダー元帥は多い時でも月2万t以下、月平均5000tしか伊海軍に供給しませんでした(ちなみにビスマルク級戦艦が未完成の1939年時点で、独海軍は毎月10万tの燃料を訓練のために消費していました)。

 そして、ロンメル率いるDAKや地中海戦域で活動するUボートの補給は伊の負担とされていたことを考えると、伊潜水艦の活動の不活発さは、独側にも多大な責任があるように思われます。

タイトルRe^3: イタリアの潜水艦の悲劇
記事No2220
投稿日: 2005/04/16(Sat) 23:40
投稿者山家
 書込みの途中で送ってしまいました。まことに、すみません。最後の文章には続きがあります。

 ただ、独海軍自身も燃料不足には苦慮しています。同記事によると、1939年の開戦から1943年まで、月3,4万tしか独海軍には主要燃料の割当量が無かったとか。ヒトラーは、そもそもレイダー元帥に不可能な事を命じている訳です。もう少し、独伊海軍に燃料の余裕があれば、伊潜水艦はもう少し活躍できた、という想いがします。

タイトルRe^3: イタリアの潜水艦の悲劇
記事No2226
投稿日: 2005/04/18(Mon) 17:07
投稿者WAlkingAircraftcarrier
山家さん、皆さん、こんにちは。いつも亀レスですみません。

NO2216を読み返してみて、これは誤解を招きやすくてイタリア潜水艦かわいそう、と気付きました。引用を省略したデーニッツの文章に、こうあります。
「南大西洋と、さらに後日出撃したカリブ海とブラジル沿岸では、数隻のイタリア潜水艦が、主として独航船に対する各個行動で大変な好成績を挙げた。それは同海域で同じ頃ドイツ潜水艦が挙げた戦果に匹敵するものであった。」そして5人の艦長名、騎士十字章の2人の戦果が挙げられ、中南部大西洋で好成績を挙げたのに北大西洋で戦果がなかった理由は、ときて、イタリア人の性格云々の話になるわけです。

ダニガン/ノーフィの本は見落としていて、そこまで好成績だったとは知りませんでした。
大西洋のイタリア潜水艦の成績が非常に良くなっているのは、
1.山家さんが(ダニガンらも)仰るとおり、潜水艦にとって厳しくなった43年以降にはイタリア艦は引き揚げずみだったことと、
2.潜水艦の最高の稼ぎ場所だった42年前半期の中南部大西洋(アメリカ参戦後・護送船団採用前の時期・海域)に投入されたこと、
のためだろうと思われます。

ただ、対船団戦では成績を挙げられなかった(特に、デーニッツが猫の手も借りたかった40〜41年に「使えなかった」)わけなので、イタリア潜水艦部隊に対する私の総合的な評価は変わらないのですが。

いま一つ、イタリア軍の潜水艦の場合、燃料不足はあまりネックになっていないのではないでしょうか。潜水艦のエンジンは駆逐艦の10分の1以下の低出力でおまけにディーゼルで、戦果/燃料のパフォーマンスが滅茶苦茶に良いです。燃料を大量に食うのは水上艦艇(特に大型艦)なので、一海軍が燃料不足であればあるほど、大型艦をしまいこんで潜水艦に働かせる、というパタンになるはずだと思います。
ドイツ海軍でも、ソ連との開戦後燃料危機に見舞われて大型艦が干ぼしにされますが、潜水艦の燃料はケチっていないようです。(デーニッツはそれこそ章ごとに潜水艦の隻数が足りないと文句を言っていますが、燃料が足りないという愚痴は全然出てきません。)
むしろ、参戦してから降伏までの3年間に30隻しか潜水艦を新造できない、という建造能力……つまりは鋼材不足……のほうがネックだったのではないでしょうか。ドイツは6年間で約1000隻を新造しているので。(

タイトルRe^4: イタリアの潜水艦の悲劇
記事No2227
投稿日: 2005/04/19(Tue) 22:24
投稿者山家
 まず、伊が海軍を整備したのは、国家・軍事戦略的に何を目指していたからなのか、から考えていかないと、話しの根本からずれていくと私には思われます。

 伊海軍は、仏海軍に対抗し、地中海の制海権を確保することを第一に考えて整備されてきました。日本海軍が、米海軍に対抗することを考えて整備されてきたのと同様の考えです。伊海軍が英海軍と戦うことは全く考えられていませんでした。実際問題として、伊と英が戦争に突入した場合、英海軍の海上封鎖により、伊では石油が欠乏し、海軍が張子の虎になることは自明だったからです(史実でもそうなりました)。

 この部分は、私の推論になりますが。伊が潜水艦を大量に整備したのは、対仏戦の際に、潜水艦によって大西洋で通商破壊戦を行うことで、仏海軍を大西洋に引きつけ、地中海の制海権確保を図る目的があったと思われます。実際、そうでも考えないと(英海軍も同様の失敗を犯し、多数の大型潜水艦を失いましたが)、大型潜水艦の活動に不向きな浅海域の多い地中海で、大型潜水艦整備を伊海軍が進めた理由が付きません。

 そして、仏海軍のみと戦うことを考える以上、対船団攻撃を潜水艦で行うことの重要性は低下します。仏海軍の規模は伊海軍とほぼ同じなのです。地中海の制海権は伊海軍が握ろうとするのが第一目的と考えるならば、敢えて大西洋で危険な船団攻撃を行うよりも、独航船を狙って、仏海軍の戦力を分散させたほうがより効果的だからです。

 しかし、史実では戦うつもりが毛頭無かった英と、伊は戦うことになり、伊潜水艦は船団攻撃を行うことになります。独潜水艦はWWTの戦訓を生かし、かつ対英戦の準備を整えていたのに対し、伊潜水艦にはそのような準備がありませんでした。このことから考えると、伊潜水艦の成績が、独潜水艦に及ばなかったのは、ある意味必然のような気がします。しかし、だからといって、伊潜水艦を責めるのは、上層部の失敗(そもそも伊海軍は対英戦の準備をしていなかった)を、現場に押し付けているような気がし、私としては首を傾げます。

 更に言うと、史実の伊海軍にとって、伊潜水艦を商船攻撃に使うことよりも、北アフリカの枢軸軍への補給を維持することのほうが、より重要な任務ではないでしょうか。そして、伊は輸送船だけではなく、ガダルカナルにおける東京急行ではありませんが、巡洋艦まで動員して、北アフリカの枢軸軍への補給維持に苦労していたのです。そして、前回も書きましたが伊の恒常的な燃料不足(TACTICS51号の瀬戸利春氏の記事によると、1941年10月末の残燃料は伊海軍の行動1週間分にも満たない3万tに落ち込み、北アフリカへの補給維持等のために大型艦を出撃させるのは、ほとんど不可能になっていたとか。このような状況からしても、伊潜水艦が史実より活発に行動するというのは、困難だと思われます(もし、史実より少し燃料が多いくらいだったら、潜水艦よりも、補給不足に苦しんでいる北アフリカへの補給維持にその分の燃料は回されるでしょう)。

タイトルRe^5: イタリアの潜水艦の悲劇(付録 フランス潜水艦の謎)
記事No2228
投稿日: 2005/04/20(Wed) 19:26
投稿者WalkingAircraftcarrier
山家さん、皆さん、こんにちは。

根本的には山家さんのおっしゃるとおりだと思うのですが、イタリア海軍が大型航型潜水艦を対フランス戦でどう使うつもりだったのかが、考えてみてもいま一つよくわからないのです。

ふつうに考えれば、山家さんのおっしゃるとおり、大西洋での通商破壊に、ということになるはずなのですが、それだと、デーニッツが言っている、「単独で特定海域に配備され、そこで敵を待ち、水中艦として水中攻撃を加えるべく教育されていた」ことと平仄があわないような気がします。こんな戦法では通商破壊戦なんてできないはずなので。

もしかすると、フランスの大西洋岸の諸港の沖合いに潜伏して、通りがかりの艦船を狙うのじゃないか、と思うのですが……まるでの想像でしかありませんし、それってあまりにもおマヌケなような……

P.S.
実はもっとよくわからないのがフランス潜水艦で、航洋型の大型艦を40隻以上も造っています。……どこで誰と戦争するつもりだったんだろ?

タイトルRe^6: イタリアの潜水艦の悲劇(付録 フランス潜水艦の謎)
記事No2229
投稿日: 2005/04/20(Wed) 22:46
投稿者ウィリー
>P.S.
>実はもっとよくわからないのがフランス潜水艦で、航洋型の大型艦を40隻
>以上も造っています。……どこで誰と戦争するつもりだったんだろ?

欧州海戦記の「スルクフ」に関する説明によると
英国海軍相手に通商破壊戦を挑むつもりだったようです。

もっとも、スルクフの場合、8インチ砲搭載の大型潜水艦ですから
どこで何に使うつもりだったのか今ひとつ意味不明です。
史実では上陸支援潜水艦として作戦行動を取っていますから
孤島の小基地に対する奇襲攻撃を考えていたのかもしれません。

タイトルRe^6: イタリアの潜水艦の悲劇(付録 フランス潜水艦の謎)
記事No2230
投稿日: 2005/04/21(Thu) 08:49
投稿者MSW
> ふつうに考えれば、山家さんのおっしゃるとおり、大西洋での通商破壊に、ということになるはずなのですが、それだと、デーニッツが言っている、「単独で特定海域に配備され、そこで敵を待ち、水中艦として水中攻撃を加えるべく教育されていた」ことと平仄があわないような気がします。こんな戦法では通商破壊戦なんてできないはずなので。

 潜水艦が(無線で連絡を取り合って)連携して行動し、夜間に浮上し
たまま攻撃すると言うのは、ドイツ海軍が独自に考えだした戦法だった
と何かで読んだ記憶が有ります。
 当時は単独待ち伏せ・水中攻撃が一般的な戦術だったのでは?

タイトルRe^7: イタリアの潜水艦の悲劇(付録 フランス潜水艦の謎)
記事No2231
投稿日: 2005/04/22(Fri) 17:21
投稿者WalkingAircraftcarrier
MSWさん、皆さん、こんにちは。
>  潜水艦が(無線で連絡を取り合って)連携して行動し、夜間に浮上したまま攻撃すると言うのは、ドイツ海軍が独自に考えだした戦法だったと何かで読んだ記憶が有ります。
>  当時は単独待ち伏せ・水中攻撃が一般的な戦術だったのでは?

ううむ、確かに。ドイツ海軍は、第一次大戦末期に、夜間浮上攻撃までは実行したようですが、共同攻撃まではできなかった(企画はしたが実現する前に終わってしまった)ようです。
……しかし、それにしても……

1.単独待ち伏せ・水中攻撃の「純WWT式潜水艦通商破壊戦」って、護送船団戦術によって、「もう終わった」戦術じゃなかったか、と思うのですが(英海軍はそう考えていたらしい)……工夫とか、考えなかったのかなー……護送船団やられたら、どうする気だったんでしょう?

2.水中攻撃で通商破壊、ということは、「フランス船と見るやぶっ放す」のだと思うのですが……WWU前の国際条約でもって、潜水艦が商船を攻撃するときは、例外的な場合(護衛されているとか、軍隊を運んでいるとか)を除いて、「まず停船させて臨検してから」にしなさい、となってたハズなのですが……まー、WWUでこれ律儀に守った交戦国て1ヶもないみたいだから、いいのか……

3.英米船ならともかく、大西洋のフランス商船て、「潜水艦がバラでン十隻待ち伏せて」狙うのが合理的なほど、密度濃ゆいんですかね……いいのか、好き好きで……

タイトルRe^8: イタリアの潜水艦の悲劇(付録 フランス潜水艦の謎)
記事No2233
投稿日: 2005/04/24(Sun) 09:40
投稿者MSW
> 1.単独待ち伏せ・水中攻撃の「純WWT式潜水艦通商破壊戦」って、護送船団戦術によって、「もう終わった」戦術じゃなかったか、と思うのですが(英海軍はそう考えていたらしい)……工夫とか、考えなかったのかなー……護送船団やられたら、どうする気だったんでしょう?

 フランスが側が十分な対策を講じない限り、第一次大戦と同様に
それなりの戦果はあがるのでは?(経済的に破滅させるのは無理で
しょうが)
 そして、山家さんが言われていた「フランス海軍の一部を引き付
ける」と言う目的なら、運用効率に劣り護衛艦が必要な護送船団を
組ませた時点で勝利と言えるのでは?

> 2.水中攻撃で通商破壊、ということは、「フランス船と見るやぶっ放す」のだと思うのですが……WWU前の国際条約でもって、潜水艦が商船を攻撃するときは、例外的な場合(護衛されているとか、軍隊を運んでいるとか)を除いて、「まず停船させて臨検してから」にしなさい、となってたハズなのですが………… まー、WWUでこれ律儀に守った交戦国て1ヶもないみたいだから、いいのか……

 もし、臨検の訓練受けていたとしても、船団への水上攻撃には余り
役に立たないような?

> 3.英米船ならともかく、大西洋のフランス商船て、「潜水艦がバラでン十隻待ち伏せて」狙うのが合理的なほど、密度濃ゆいんですかね……いいのか、好き好きで……

 密度差がどの程度有ったのか知らないので、なんとも言えません。
 まあ植民地持ってますし、全然戦果が上がらないと言う程は行か
ないと思いますが・・・?


P.S
 ふとした思いつきなのですが・・・巨大な艦橋上に砲を設置したの
は臨検時に確実に砲を使える為だったりして(笑)

タイトルRe^8: イタリアの潜水艦の悲劇(付録 フランス潜水艦の謎)
記事No2234
投稿日: 2005/04/25(Mon) 22:23
投稿者山家
 いろいろと忙しく、レスが遅くなり、すみません。

 前回にも書きましたが、伊海軍がどのような状況を想定して、整備されてきたのか、を考えないと話がおかしくなると思います。伊海軍は、仏海軍に対抗し、地中海の制海権を確保すべく整備されてきたのです。英海軍に対抗することは、ワシントン条約を締結した後の1920、30年代には考えられてもいません(当時、伊は13in以上の主砲を積んだ戦艦を1隻も保有していないのに、英は15隻の戦艦全てが15in以上の主砲を積んでいるのです。これで、伊海軍に勝ち目があるでしょうか。英に対抗する海軍を整備するのなら、ワシントン条約を伊は締結してはならなかったのです)。そして、仏海軍に対抗するための施策の一つとして、伊潜水艦は整備されたのです。

> 1.単独待ち伏せ・水中攻撃の「純WWT式潜水艦通商破壊戦」って、護送船団戦術によって、「もう終わった」戦術じゃなかったか、と思うのですが(英海軍はそう考えていたらしい)……工夫とか、考えなかったのかなー……護送船団やられたら、どうする気だったんでしょう?

 まず、この部分ですが、WWUの日本海軍でさえ、護送船団を組むのには、護衛艦を集めることや船団の編成法等、いろいろと苦労しています。大雑把に言って、WWUの日本海軍のほぼ半分の規模の同時代の仏海軍が、伊潜水艦に対応できる充分な質量を持った護衛艦をかき集められるでしょうか。そして、それだけの護衛艦を大西洋に派遣した仏海軍が、伊海軍に勝って、地中海の制海権確保ができるでしょうか。

> 2.水中攻撃で通商破壊、ということは、「フランス船と見るやぶっ放す」のだと思うのですが……WWU前の国際条約でもって、潜水艦が商船を攻撃するときは、例外的な場合(護衛されているとか、軍隊を運んでいるとか)を除いて、「まず停船させて臨検してから」にしなさい、となってたハズなのですが……まー、WWUでこれ律儀に守った交戦国て1ヶもないみたいだから、いいのか……

 この部分については、デーニッツの回想録の原文が読めなかったので、コメントしづらいのですが。私としては、伊は潜水艦を遊撃戦力として考えていた、ということだと思います。西アフリカやインドシナ、ニューカレドニア等々から本国を目指す仏商船を狙おうとするならば、潜水艦を単独で特定海域にばら撒いたほうが、仏海軍がその海域の伊潜水艦を狩りだし、殲滅するのに手間が掛かります。主戦力を拘引し、負けずに長く戦うのを第一に考えるのなら、発想自体は悪くないように思われます。

> 3.英米船ならともかく、大西洋のフランス商船て、「潜水艦がバラでン十隻待ち伏せて」狙うのが合理的なほど、密度濃ゆいんですかね……いいのか、好き好きで……

 2でも書きましたが、当時の仏の植民地は英には劣るとはいえ、世界各地に散在しています。それらの植民地から仏本国に向かう商船や仏領西アフリカの沿岸航路の商船等、獲物はそれなりにあります。そして、伊潜水艦の第一の目的は、仏海軍の主戦力の誘致、拘引なのです。通商破壊は副次的な目的なのです。そして、大量の伊潜水艦が潜伏すればするほど、仏海軍はその殲滅に手間取ることになります。そうなれば、伊海軍主力が第一目的たる地中海の制海権確保がより容易になると考えるのですが、いかがでしょうか。

タイトル イタリア海軍の仮想敵
記事No2235
投稿日: 2005/04/29(Fri) 18:41
投稿者WalkingAircraftcarrier
山家さん、皆さん、こんにちは。
毎度の亀レスで、申しわけありません。

1920〜1930年代前半のイタリア海軍の仮想敵がフランスであったことについては異議はありませんが、1930年代後半にはイギリスも仮想敵ににされてきて、「世界2位の潜水艦戦力」も、対英戦を念頭に整備されたのではないか、と思います。
理由は、以下のとおり。

1.1933年にドイツにナチス政権が誕生、35年に再軍備宣言、同年に英独海軍協定、とヨーロッパ全体の戦略環境が変わり、イタリアの戦略的選択肢が増えます。イタリアは実際に35年にエチオピア侵攻、36年に(実質)スペイン内戦介入、37年に独日防共協定への参加(と、このへんのどこかで国際連盟脱退)と、第一次大戦後の英仏主導のヴェルサイユ秩序に対して挑戦的になっていきます。
このような行動は英との摩擦を引き起こさずにはいませんし、現に引き起こしています。この状況で対英戦の可能性を意識しないことはありえないはずです。

2.イタリア潜水艦戦力の建設過程を見てみると、
(1)イタリアが参戦時に保有していた潜水艦のうち、30年までに保有していたものは、航続距離7500浬超のもの(以下、仮に長距離型ということにします)1タイプ4隻に対し、航続距離6000浬未満のもの(短距離型ということにします)5タイプ21隻です。なお、UボートでいうとZB型の航続距離6500浬、]TC型11000浬です。
(2)31年〜35年の建造は、長距離型6タイプ13隻に対し、短距離型2タイプ19隻です。長距離型の比率が増えていますが、依然力点は短距離型にあります。
(3)36年以降、この状況が一変します。
まず36年に、短距離型2タイプ27隻が一挙に建造されます。エチオピア侵攻によって地中海には緊張状態が発生していますので、これに対処するための緊急建造と見られます。
ついで、37〜40年には、長距離型5タイプ29隻が建造されます。この間の短距離型の建造は1タイプ2隻だけです。
イタリア参戦時の「世界2位」の潜水艦戦力は、こうしたメリハリのある建造の結果なわけです。

こうして考えてみると、30年代後半の長距離型潜水艦戦力の大増強は、対英潜水艦戦を念頭においていたはずだ、と私には思えるのですが、いかがでしょうか。

……と、さもわかったらしく述べてみたのですが、以上は潜水艦の建造年と国際情勢からあてずっぽうに考えた一人合点のものです。なにしろ、資料がなさすぎるのですヮ……というわけで、どなたか資料豊富な方、いらっしゃらないでしょうか?

タイトルRe: イタリア海軍の仮想敵
記事No2236
投稿日: 2005/05/01(Sun) 22:11
投稿者山家
> 1920〜1930年代前半のイタリア海軍の仮想敵がフランスであったことについては異議はありませんが、1930年代後半にはイギリスも仮想敵にされてきて、「世界2位の潜水艦戦力」も、対英戦を念頭に整備されたのではないか、と思います。

 ここでいう、対英戦というのは、英が宣戦布告した場合に伊本土沿岸の防衛戦を行うためという趣旨でよろしいでしょうか。それとも、それ以外、例えば伊から宣戦布告する場合も想定しそれに備えるためという趣旨でしょうか。私としては、伊本土防衛戦を行うため、ということならば、首を傾げながらも、まだ賛成の余地があるのですが、伊から宣戦布告する場合等も想定してというのなら、それは違うと思います。

 何故なら、英国はスエズ運河を制しており、ジブラルタルも領土化していることから、地中海の外からの伊への物資の海上輸送路はすぐに封鎖可能です。更に一部既述のように、1940年に完成したヴェネト級戦艦以外の伊戦艦は英戦艦からみれば、二等戦艦で、戦艦の質量ともに伊海軍に勝ち目はありません。巡洋艦等の補助艦艇にしても量的に英は伊を圧倒しています。そして、マルタの存在は史実と同様に、地中海の伊の海上輸送路を締め上げる拠点となるものであり、更に圧倒的な英海軍によりマルタは難攻不落の要塞と化しています。そして、厳重な封鎖を英海空軍が行えば、伊は物資の不足に苦しむことになり、更に優勢な英海軍は伊本土に対する上陸作戦さえ成功させるでしょう。こうした状況から考えると、伊海軍にまず必要なのは、伊本土防衛のための艦艇ではないでしょうか。

 当時の世界情勢の流れから、WalkingAircraftcarrier様が伊の対英関係が悪化している以上、それに対処する必要があるというのは、理解できるのですが、ただ、それに潜水艦の大量建造が有効か、というと私は首を傾げます。まず、対英戦を考えると、伊本土防衛を優先せねばならない程、海軍力に格差があり、リビアと伊本土との海上交通路の維持さえ、伊単独では困難な状況だからです。対英戦を伊が想定するなら、伊本土防衛や海上交通路維持のために、むしろ水上艦の方が必要ではないでしょうか。

タイトルRe^2: イタリア海軍の仮想敵
記事No2237
投稿日: 2005/05/03(Tue) 11:21
投稿者WalkingAircraftcarrier
山家さん、みなさん、こんにちは。
さんさんと陽光のふりそそぐ連休に、なんで私がイタリア海軍の心配をせにゃならんのかと、そこはかとない不条理を感じる今日このごろですが、この際勢いで続けてみます。資料不足のため、想像の域を出ませんが……

1930年代後半のイタリア海軍の戦略コンセプト(対英仏)は、
(1)イタリア水域は水上艦と空軍力で守る、
(2)長距離型潜水艦で外洋で通商破壊をする、
だったのではないか、と思います。
以下、理由です。

1.まず、イタリア海軍の戦力は確かに英国に大きく劣りますが、ドイツが海軍再軍備(英独協定では英国の35%まで可)をやるので、英海軍は全力を地中海に投入することはできない、という戦略判断があったはずです。
2.イタリアは30年代後半に弩級艦4隻の大改装をやり、速力を27〜28ノットに向上させました。これはクイーン・エリザベス級よりも4ノットばかり速い速力です。もちろん砲力・装甲は弱いですから、殴り合いになったら圧倒的に不利ですが、「自分より強いのが出てきたら逃げてしまう」ことができます。
3.実際に英戦艦が出てきたら、航空攻撃で叩くことが(額面上は)できます。イタリアは30年代後半に主力爆撃機としてSM79を数百機配備しましたが、これは雷撃や対艦爆撃のできる陸攻みたいな機体です。これの行動圏内に敵水上艦艇が長時間とどまることはできないから、イタリア水上戦力(基本的にフリート・イン・ビーイング戦術をとります)と加えれば、イタリア近海及び北アフリカ交通路を守ることは可能である、と。
4.守勢一方の海軍力では戦略的に勝てませんし、抑止力としても不十分なので、攻撃力が必要です。そこで、長距離型潜水艦の大西洋での通商破壊戦を攻勢的に使います。
5.では燃料油はどうするか。(ルーマニアとかソ連とかに頼るのは「希望」にすぎないでしょう。)この点はイタリアは「考えてなかった」のではないでしょうか。というより、「まさか本物の戦争になるとは思っていなかった」のではないでしょうか。「英国との戦争はしたくない。しかし領土は拡張したい。地中海で火遊びをすれば英国との関係が緊張するから、戦備は対英戦に備えなければならない。この戦略環境でこれだけの軍備を備えれば、英国もむりやり戦争にはするまい。」と。ムソリーニはぎりぎりまでヒトラーに「イタリアは戦争準備ができていない」と言いぬいていますし、イタリア軍部も最後まで参戦に反対していますし。
6.(ホントの蛇足ですが)イタリアに限らず、ドイツにしても日本にしても、海軍軍備を拡張するときに、燃料油の心配をした形跡がないのは何故なのでしょうね?どっちも、仮想敵は石油の仕入れ元ですのにね……

タイトルRe^3: イタリア海軍の仮想敵
記事No2238
投稿日: 2005/05/04(Wed) 23:18
投稿者山家
 そろそろ新しくスレッドを立て直す時期が来つつある様な気がしますが、今回はこちらで続けます。

 私もこの辺りは資料不足です。図書館で資料を検索しようにも近くの図書館が休館日で利用できず、ネット情報で手持ち資料の不足を補う有様なのでどこまで正確な情報なのか、今ひとつ確信が持てないのですが。

> 1930年代後半のイタリア海軍の戦略コンセプト(対英仏)は、
> (1)イタリア水域は水上艦と空軍力で守る、
> (2)長距離型潜水艦で外洋で通商破壊をする、
> だったのではないか、と思います。
> 以下、理由です。
>
> 1.まず、イタリア海軍の戦力は確かに英国に大きく劣りますが、ドイツが海軍再軍備(英独協定では英国の35%まで可)をやるので、英海軍は全力を地中海に投入することはできない、という戦略判断があったはずです。

 まず、1930年代に伊と独は本当に蜜月関係だったのでしょうか。ネット情報で裏を取っていませんが、1943年にファシスト党の重鎮でありながら、反ムッソリーニに回ったグランディ元駐英大使に関して調査したところ、伊が独の墺併合に反対したり、エチオピア戦争のときにエチオピアに独が援助を与えたり、とどうも蜜月関係とはいえないように思われることが出てきました。その一方で、英仏は最終的に伊のエチオピア併合を認め、1938年4月には英伊協定を締結する等、1930年代に英仏は伊がアルバニアに侵攻するまで、かなり伊に好意的な政策を採っています。1930年代、伊は英仏と独を天秤に掛けてそれぞれに逆の側に味方するということで、自国の利を図る外交をしていたように思われます。

 伊は最終的に1940年6月に独側に立って参戦しますが、これは仏が事実上崩壊した後のことで、英も遠からず独に屈伏して戦争が終結するだろうから、戦後の発言権を確保するためには参戦しないといけない、とムッソリーニが判断したためです。もし、独仏戦が膠着し、英仏有利に戦局が流れていたら、伊は英仏側に立って参戦した可能性さえ、かなりあるように思われます。

> 2.イタリアは30年代後半に弩級艦4隻の大改装をやり、速力を27〜28ノットに向上させました。これはクイーン・エリザベス級よりも4ノットばかり速い速力です。もちろん砲力・装甲は弱いですから、殴り合いになったら圧倒的に不利ですが、「自分より強いのが出てきたら逃げてしまう」ことができます。

 確かに伊の改装戦艦は、英戦艦から逃げることはできます。しかし、問題が一つあります。それは、魚雷を搭載した英重巡洋艦複数には、伊の改装戦艦では逃げることも、勝つこともできないという点です。砲力・速力共に伊改装戦艦に優る比叡でさえ、第三次ソロモン海戦で米重巡洋艦にズタボロにされました。米重巡洋艦が魚雷を搭載していれば、比叡・霧島共に沈んでいたでしょう。伊の改装戦艦の実力は、比叡以下で、英重巡洋艦複数には勝てない程度なのです。

> 3.実際に英戦艦が出てきたら、航空攻撃で叩くことが(額面上は)できます。イタリアは30年代後半に主力爆撃機としてSM79を数百機配備しましたが、これは雷撃や対艦爆撃のできる陸攻みたいな機体です。これの行動圏内に敵水上艦艇が長時間とどまることはできないから、イタリア水上戦力(基本的にフリート・イン・ビーイング戦術をとります)と加えれば、イタリア近海及び北アフリカ交通路を守ることは可能である、と。

 ここには同意します。

> 4.守勢一方の海軍力では戦略的に勝てませんし、抑止力としても不十分なので、攻撃力が必要です。そこで、長距離型潜水艦の大西洋での通商破壊戦を攻勢的に使います。

 ここで、私が引っ掛かるのが、英国領ジブラルタルの存在です。独Uボートが大西洋と地中海の間を行き来する際、ジブラルタルの航空機や対潜艦艇のためにかなりの損害を受けた、と何かで読んだ覚えがあるのですが、これは私の記憶違いでしょうか。実際問題として、ジブラルタル海峡の最狭部は10数キロしかなく、ここに濃密な対潜哨戒網を敷かれると、伊潜水艦の大西洋進出はかなり困難です。史実で大西洋進出を図った伊潜水艦が、ここでどのような損害を受けたか、私としてはかなり気になりますが、それに関する資料を私は知りません。

> 5.では燃料油はどうするか。(ルーマニアとかソ連とかに頼るのは「希望」にすぎないでしょう。)この点はイタリアは「考えてなかった」のではないでしょうか。というより、「まさか本物の戦争になるとは思っていなかった」のではないでしょうか。「英国との戦争はしたくない。しかし領土は拡張したい。地中海で火遊びをすれば英国との関係が緊張するから、戦備は対英戦に備えなければならない。この戦略環境でこれだけの軍備を備えれば、英国もむりやり戦争にはするまい。」と。ムソリーニはぎりぎりまでヒトラーに「イタリアは戦争準備ができていない」と言いぬいていますし、イタリア軍部も最後まで参戦に反対していますし。
> 6.(ホントの蛇足ですが)イタリアに限らず、ドイツにしても日本にしても、海軍軍備を拡張するときに、燃料油の心配をした形跡がないのは何故なのでしょうね?どっちも、仮想敵は石油の仕入れ元ですのにね……

 5,6ですが、結局のところ、(少なくとも海軍は)三国とも英国と戦うつもりはなかった、ということだと思います。伊の対仏戦計画は、英の中立が大前提ですし、日の対米戦計画も、英仏等の欧州諸国は中立を保っていることを前提に作戦が立案されてきました。上に書きましたが、伊は自分から英国に宣戦を布告しますが、その際には、もうすぐ独勝利で戦争が終わりそうだから、その尻馬に乗ろうという意図があり、英国が屈伏せず、長期戦になるとムッソリーニは想定してませんでした。

タイトルRe: 英国の潜水艦の戦果
記事No2225
投稿日: 2005/04/18(Mon) 00:26
投稿者Giftzwerg
もう終わった話だと思いますが、イギリスの潜水艦は過少評価されていると思えるので、戦果をまとめてみました。
きちんとまとまっている統計資料が無かったので、巡洋艦以上の大型艦について分かる範囲で集めてみました。

対独戦 
潜水艦によるもの
日時	損害艦名			状態	潜水艦名		発生場所
-----------------------------------------------------------------------------
39/12/14	軽巡ライプチヒ		大破	サーモン		北海
同上	軽巡ニュールンベルク	大破	同上		同上
40/4/9	軽巡カールスルーエ		大破処分	トルーアント	クリステャンサン沖
40/4/10	装甲艦リュッツォー		大破	スピアフィッシュ	カテガット海峡
40/6/20	巡戦グナイゼナウ		中破	クライド		トロンヘイム沖
42/2/23	重巡プリンツ・オイゲン	大破	トライデント	トロンヘイム沖
特殊潜航艇によるもの
43/9/22	戦艦ティルピッツ		大破	X艇		コーフィヨルド

対日戦 
潜水艦によるもの
44/1/11	軽巡球磨			沈没	タリーホー	マラッカ海峡
45/6/8	重巡足柄			沈没	トレンチャント	バンカ海峡
特殊潜航艇によるもの			
45/7/20	重巡高雄			大破着底	XE艇		シンガポール

対伊戦 
潜水艦によるもの		
41/2/24	軽巡A・ディアス		沈没	アップライト	トリポリ沖
42/4/1	軽巡J・D・バンデネレ	沈没	アージ		ストロンボリ沖
42/6/15	重巡トレント		沈没	アンブラ		東地中海
42/11	重巡トリエステ		大破	アトモスト	
42/11/7	軽巡A・レゴロ		中破	アンラッフルド	シチリア南方
特殊潜航艇によるもの
43/1/3	軽巡U・トライアーノ	沈没	チャリオット	パレルモ
44/6/21	重巡ボルツァーノ		沈没	チャリオット	ラ・スペツィア
44/6/26	重巡ゴリツィア	自沈浮揚後破壊	チャリオット	ラ・スペツィア

大破は修復に半年以上かかった損傷、小破は作戦行動が継続可能な損傷とし、中破はその中間としています。