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タイトル伊戦艦対英巡洋艦
記事No2241
投稿日: 2005/05/05(Thu) 21:32
投稿者WalkingAircraftcarrier
> 確かに伊の改装戦艦は、英戦艦から逃げることはできます。しかし、問題が一つあります。それは、魚雷を搭載した英重巡洋艦複数には、伊の改装戦艦では逃げることも、勝つこともできないという点です。砲力・速力共に伊改装戦艦に優る比叡でさえ、第三次ソロモン海戦で米重巡洋艦にズタボロにされました。米重巡洋艦が魚雷を搭載していれば、比叡・霧島共に沈んでいたでしょう。伊の改装戦艦の実力は、比叡以下で、英重巡洋艦複数には勝てない程度なのです。

この点には異論があります。お説は、巡洋艦(というか、水上水雷艦艇)の戦艦に対する戦闘能力を過大評価されていると思います。
以下、理由です。

1.魚雷は、よほど接近して有利な位置から発射しないと、命中しません。砲弾と違って回避できるからです。昼間の水上戦闘で、戦艦に対して巡洋艦なりその他の水雷艦艇が、魚雷の命中を期待できるような近距離まで接近するのは、よほど数的に有利でない限り困難で、相手に十分な随伴艦がいるときには不可能に近い、と思います。

2.実際に、第二次大戦で、水上艦が発射した魚雷が大型艦に命中して損害を与えているケースは、大半が夜戦でのものです。
昼間戦闘でのケースは、(1)ノルウェー沖でのシャルンホルスト、(2)ビスマルク、(3)バレンツ海でのシャルンホルスト、くらいのはずです。このうち、(2)(3)はすでに袋叩きにされた単艦相手にトドメをさすためのものです。(1)の際にも、独の2巡戦には随伴艦がいませんでした。なお、ラプラタ沖海戦でも、英巡洋艦は魚雷を使っていません。

3.イタリア海軍の基本的戦術は、戦艦は随伴艦なしでは戦闘させず、かつ、夜間には戦闘させない、ということを原則にしていたように思われます。フリート・イン・ビーイングでいくのなら、これでもかまわないわけです。
イタリア海軍には巡洋艦・駆逐艦は豊富にいますから、英巡洋艦がこれらを振り切って水雷攻撃に有利な位置につくのは事実上不可能だと思われます。

4.昼間の砲戦なら、ド級艦は巡洋艦に対して圧倒的に有利です。第三次ソロモン海戦は、夜間、反航体勢の両艦隊が、5000m以下の超近距離で砲戦を交わす、という特殊事例なので、昼間戦の参考にすることはできないと思います。また、この海戦で比叡は(探照灯火をつけたため敵の砲撃が集中したため)上部構造に多数の命中弾を受けましたが致命傷はなく、他方の米艦隊のほうは1隻を除いてかなりの損傷を受けています。比叡が沈没に至ったのは1弾で舵(装甲部から外れている)を損傷して操舵不能になったために捕獲を嫌って自軍の魚雷で処分されたもので、戦闘海域の昼間の制空権が米軍にあるのでなかったら楽に生還できていたでしょう。
ちなみに、この海戦のとき米軍には水雷装備の防空巡2隻と駆逐艦数隻がいましたが、比叡は魚雷は食っていません。

タイトルRe: 伊戦艦対英巡洋艦
記事No2246
投稿日: 2005/05/06(Fri) 22:51
投稿者山家
> この点には異論があります。お説は、巡洋艦(というか、水上水雷艦艇)の戦艦に対する戦闘能力を過大評価されていると思います。
> 以下、理由です。
>
> 1.魚雷は、よほど接近して有利な位置から発射しないと、命中しません。砲弾と違って回避できるからです。昼間の水上戦闘で、戦艦に対して巡洋艦なりその他の水雷艦艇が、魚雷の命中を期待できるような近距離まで接近するのは、よほど数的に有利でない限り困難で、相手に十分な随伴艦がいるときには不可能に近い、と思います。

 魚雷の命中を期待できるような近距離とは、まず具体的にどれくらいの距離を想定されておられるのでしょうか。史実では、3万メートル以上から戦艦の主砲弾が命中した実例は無かった筈です。そして、魚雷の最大射程距離は日本の酸素魚雷以外でも2万メートル近くあります。1万5千メートル内外に潜り込めれば、魚雷は命中を期待できませんか。

> 2.実際に、第二次大戦で、水上艦が発射した魚雷が大型艦に命中して損害を与えているケースは、大半が夜戦でのものです。
> 昼間戦闘でのケースは、(1)ノルウェー沖でのシャルンホルスト、(2)ビスマルク、(3)バレンツ海でのシャルンホルスト、くらいのはずです。このうち、(2)(3)はすでに袋叩きにされた単艦相手にトドメをさすためのものです。(1)の際にも、独の2巡戦には随伴艦がいませんでした。なお、ラプラタ沖海戦でも、英巡洋艦は魚雷を使っていません。
>
> 3.イタリア海軍の基本的戦術は、戦艦は随伴艦なしでは戦闘させず、かつ、夜間には戦闘させない、ということを原則にしていたように思われます。フリート・イン・ビーイングでいくのなら、これでもかまわないわけです。
> イタリア海軍には巡洋艦・駆逐艦は豊富にいますから、英巡洋艦がこれらを振り切って水雷攻撃に有利な位置につくのは事実上不可能だと思われます。

 具体的に伊海軍の基本的戦術を述べた資料を教えていただけませんか。確かに史実では伊海軍は夜戦を避けているようですが、そもそもタラント空襲で大打撃を受けたり、燃料不足になったりで、伊海軍の大型艦の出撃事例自体が乏しく、下手をすると憶測からの間違いになりかねません。更に言うと、夜戦を避ける海軍では、本土と北アフリカ間の通商路保護やマルタ島・ギリシャ本土等への侵攻作戦には使えず、本土防衛にしか役立ちません。それに伊海軍に巡洋艦・駆逐艦が豊富にあるとはいえ、英海軍からみれば、3分の1程です。1対1で刺し違えられてしまえば、すぐに裸にされてしまいます。

> 4.昼間の砲戦なら、ド級艦は巡洋艦に対して圧倒的に有利です。第三次ソロモン海戦は、夜間、反航体勢の両艦隊が、5000m以下の超近距離で砲戦を交わす、という特殊事例なので、昼間戦の参考にすることはできないと思います。また、この海戦で比叡は(探照灯火をつけたため敵の砲撃が集中したため)上部構造に多数の命中弾を受けましたが致命傷はなく、他方の米艦隊のほうは1隻を除いてかなりの損傷を受けています。比叡が沈没に至ったのは1弾で舵(装甲部から外れている)を損傷して操舵不能になったために捕獲を嫌って自軍の魚雷で処分されたもので、戦闘海域の昼間の制空権が米軍にあるのでなかったら楽に生還できていたでしょう。
> ちなみに、この海戦のとき米軍には水雷装備の防空巡2隻と駆逐艦数隻がいましたが、比叡は魚雷は食っていません。

 前にも書きましたが、伊の改装戦艦の主砲は金剛級には及ばず、アラスカ級やシャルンホルスト級程度の主砲なのです。ラプラタ沖海戦で同程度の主砲を積んでいるグラフ・シュペーは、列強の重巡洋艦の中では小型のエクゼターを沈められませんでした。伊の改装戦艦が英重巡洋艦と対戦した場合、同様の事態になると私には思われるのです。1930年代に計画・建造された大型艦で12in前後の主砲を装備した軍艦は、独を除くとアラスカ級のみです。そして、アラスカ級は無駄な建造で役立たずと評されることさえあります。また、192,30年代に仏伊共に小型戦艦の建造を計画したことはありますが、役に立たないとして、前弩級戦艦の代替として建造されたダンケルク級を除いては建造されず、政治的な制限が外されると、即座に15in砲を積んだ大型戦艦建造に走っています。日本も超甲巡は役に立たないとして計画のみでした。これらのことから考える限り、伊の改装戦艦の実力もアラスカ級等とほぼ同程度であることから、そんなに役立つとは思われませんし、重巡洋艦に圧倒的に有利とも考えられないのです。

タイトルRe^2: 伊戦艦対英巡洋艦
記事No2250
投稿日: 2005/05/08(Sun) 15:17
投稿者WalkingAircraftcarrier
山家さん、皆さん、こんにちは。

>  魚雷の命中を期待できるような近距離とは、まず具体的にどれくらいの距離を想定されておられるのでしょうか。

魚雷の「射程距離」は、魚雷の速度設定によっても、敵の前方から射つか後方から射つかによっても違うので、一概にはいえないと思いますが、歴史群像70号の伊吹秀明さんの記事「スラバヤ沖海戦」では「一般的には7000メートル」とされています。英軍魚雷の馳走距離はわからないのですが、米軍のMk15魚雷の馳走距離は、速度45ktで5500m、33ktで9150m、26ktで13500mです。実戦例では、チャネル・ダッシュで英駆逐艦が4000メートル後方から射って外し、サマール沖海戦で米駆逐艦が8000メートル前方から射って1発当てています。(昼間戦での命中例としてこの例を追加します)

日本軍の93式魚雷の馳走距離40000mは速度36ktでのものですが、実戦では(知る限りでは)この距離では射っていません。日本海軍の昼間魚雷戦例では、スラバヤ沖6000〜25000mで137発1中、サマール沖8000〜13000mで42発0中、アッツ沖15000〜21000mで43発0中です。(GJ11号MORさん「幻想の無敵海軍」)

この辺の数値から考えると、魚雷の命中を期待するには7000mくらいまで接近しないといけないのではないでしょうか。

次に、イタリア海軍の戦艦戦術についてですが、文献的な直接証拠は残念ながら知りません。
私の理解では、
1.WWU勃発前の戦術思想(各国とも)では、戦艦は随伴艦つきで昼間(ユトランド沖式で)戦闘するものとされていた、と理解しています。(それと、戦艦の最大の長所は長距離砲戦ができることだと思うのですが、夜戦では長距離砲撃での弾着観測が十分できなおのではないでしょうか?)

2.実際にイタリア戦艦が出撃した実戦で、イタリア戦艦は会敵後に夜になると例外なく引き揚げている、という印象を受けています。(カラブリア沖、スパルティベント沖、マタパン沖)イタリア戦艦が夜戦を求めて行動した例、随伴艦なしで行動した例を、私は見つけられませんでした。

これらの点から、「イタリア戦艦は随伴艦なしでは戦闘させず、かつ夜間には戦闘させない、という戦術原則をとっていた」と結論した次第です。

>それに伊海軍に巡洋艦・駆逐艦が豊富にあるとはいえ、英海軍から見れば、3分の1程です。1対1で刺し違えられてしまえば、すぐに裸にされてしまいます。

イタリア海軍の戦略は、単独で英海軍の全軍を相手にするわけではない…英海軍は艦艇の相当部分を他に拘束されて地中海戦域に投入できない、という前提で立てられていたはずです。また、戦艦が参加する戦闘で、英艦隊の補助艦が刺し違えのために突進してくる、ということが、戦術的にありうるのでしょうか。

> ラプラタ沖海戦で同程度の主砲を積んでいるグラフ・シュペーは、列強の重巡洋艦の中では小型のエクゼターを沈められませんでした。伊の改装戦艦が英重巡洋艦と対戦した場合、同様の事態になると私には思われるのです。

ラプラタ沖でグラフ・シュペーは、単艦で3隻の巡洋艦を相手に、エクセターを戦闘不能にし、アキリーズとエイジャックスにも相当の損傷を与えており、自艦の損傷は敵よりも軽微でした。ラプラタ河口に逃げ込んで自沈したのは、根拠地まで帰れそうにないという戦略的事情からで、戦術的には巡洋艦群を圧倒しています。
まして、グラフ・シュペーが11700tの28p2砲塔6門艦なのに対して、イタリアの改造戦艦は27000〜28000tの32p4砲塔10門艦で、戦闘力は完全に1クラス違います。

30年代に12インチ級艦があまり建造されず評判が悪いのは、対費用効果が悪すぎること、コンセプトが中途半端で実戦で運用しづらいこと、が原因ではないでしょうか。対巡洋艦の現実の戦闘力となれば、これとは次元の違う話だと思うのですが。

タイトルRe: ラプラタ沖海戦
記事No2248
投稿日: 2005/05/07(Sat) 10:29
投稿者Giftzwerg
こんにちは、Giftzwergです。

>なお、ラプラタ沖海戦でも、英巡洋艦は魚雷を使っていません。

ちょっと疑問に思ったのですが、ラプラタ沖海戦では、エクゼターが2回、エイジャックスが1回、グラフ・シュペーが1回、雷撃を実施しています。
特に、エクゼターの2回の雷撃は海戦のヤマ場で行われ、英軍側がシュペーを撃沈する最大のチャンスだったので、多くの戦史書に取り上げられています。

私のイメージでは、ラプラタ沖海戦はスラバヤ沖海戦やサマール沖海戦と並ぶ、昼間の砲雷(同時)戦の典型例だと思っていました。
ラプラタ沖海戦では魚雷を使わなかったというWalkingAircraftcarrierさんの印象がどこから来たのかちょっと興味があります。

タイトルRe^2: ラプラタ沖海戦
記事No2249
投稿日: 2005/05/08(Sun) 13:43
投稿者WalkingAircraftcarrier
Giftzwergさん、皆さん、こんにちは。
>
> ちょっと疑問に思ったのですが、ラプラタ沖海戦では、エクゼターが2回、エイジャックスが1回、グラフ・シュペーが1回、雷撃を実施しています。
> 特に、エクゼターの2回の雷撃は海戦のヤマ場で行われ、英軍側がシュペーを撃沈する最大のチャンスだったので、多くの戦史書に取り上げられています。

……あ…ほんとだ……射ってますね……で、外してるんですね。
お恥ずかしい。単なる思い込みです。お許しを。