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タイトル蜀の北伐
記事No2316
投稿日: 2005/07/02(Sat) 22:29
投稿者WalkingAircraftcarrier
皆さん、こんばんは。
 WalkingAircraftcarrierです。
ぽけっ〜と中国の地図を眺めていて、こんなことを考えました。

1. 蜀の北伐では、孔明も姜維も、長安を直攻しないで、いつも陳倉より西のほうばかり攻撃しています。まあ、長安を攻めるのは直接的アプローチで、敵の補給線も短くなってしまうのはわかるのですが、魏との決戦を求めるのなら、いっぺんくらいはストレートで攻めてみてもいいのではないか?

2. 蜀軍の戦略目的は、実は、魏との決戦を求めることにはなく、涼州回廊の切断にあったのではないでしょうか。

3. 蜀が陳倉〜街亭あたりの線で回廊を切断できれば、
(1) 西方の主交易路を魏から切断し、蜀のものにすることができる。北方との交易路も確保できる。
(2) 涼州の軍閥勢力(騎兵兵力としてきわめて有用)を魏から切り離し、蜀の味方につけることを期待できる。

4. 魏が妨害に出てくれば、魏軍の補給線はきわめて長くなるので、兵力に劣る蜀軍も有利な交戦を期待できます。

5. 蜀としては、必ずしも魏軍と決戦する必要はありません。涼州との回廊に居座って、恒久的に切断できればそれで良い。3の利益を得れば国力・戦力を充実させることができます。魏との本格的対決はその後でする、というのは理にもかなっていると思います。

まるきりの思いつきで、裏付け資料は皆無です。
皆さんのご意見をお聞かせください。

タイトルRe: 蜀の北伐
記事No2317
投稿日: 2005/07/08(Fri) 23:06
投稿者北条投了
はじめまして。投了と申します。

1の直接長安を目指す作戦は、演義で魏延の主張したと言われる「子午谷越え」ですが、孔明がこれを採らなかった理由として挙げられているのは2〜5の他に、

・天水に比べて上庸方面の人口が低く、食糧の現地調達に不安があった
・姜維という道案内がいる関山道コースに比べ、子午谷コースは地理不案内だった
・「周興の地」岐山のゲンの良さを重視した
・もともと北伐自体が蜀国内に対するポーズで、魏との主力決戦を避けるコースをあえてとった

などがあります。
孔明が軍事的才能に乏しかったのは事実ですが、曹操の漢中侵攻戦や、のちのトウガイの蜀侵攻戦の際も同じようなルートが使われているので、もともと子午谷越えは大軍の移動には向かなかったものと思われます。