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タイトル指導者と二次大戦
記事No2343
投稿日: 2005/10/18(Tue) 17:29
投稿者ごちょう
以前から「モスクワが陥落したらスターリンは降伏するか?」
には興味はあったのですが「仮にモスクワが陥落してもロシ
アは降伏しないだろう」と言う大半の意見には多少の違和感
も小生は感じたので書いてみます。

そこで一般的に二次大戦における各国の状況ですが。

南京が陥落しても降伏しなかった中国。
モスクワを陥落寸前まで追い詰めても降伏しなかったロシア
ロンドンを爆撃されても降伏しなかったイギリス。
パリを無血開城して降伏したフランス。
ベルリンが陥落して降伏したドイツ。
本土決戦を決断せずに降伏した日本。

などがありますね。

ここでまず一つの疑問が小生にありました。

「もしフランスのドゴールがイギリス亡命では無く南仏での
徹底抗戦を決断したらどうなっていたか?またその可能性は
?」

歴史の可能性という意味でやはり「可能性は低い」と言う結
論なりますが、では「パリを無血開城したフランスと徹底抗
戦したロシアとの間に戦況にどの程度の違いがあったか?」
と言う疑問もあります。

もちろん、指導者の資質や国民性も大きいでしょうが少なく
とも指導者の資質と言う意味ではドゴールもチャーチルやス
ターリンと同程度には「戦争を辞めない」と思えます。また
実際にも水面下ではレジスタンスと言った抵抗組織もありま
したから、その点では南仏での掃討戦は泥沼になっていたと
も考えられますね。

しかしフランスは降伏して「ヴィシーフランス政権」となり
ましたね。

仮にフランス降伏が「当然の結果」なら首都陥落の危機にあ
るロシア降伏の可能性も「かなり高い」と言う結論になると
思えるのですが、実際には歴史上の結果から「ロシアは常に
徹底抗戦」と言った主張が支配的であることには小生にはや
や違和感もありますね。

何故フランス人は「最後まで戦う事を決めなかった」のか?
そしてロシア人は「最後まで戦う事に決めた」のか?

仮にドゴールが南仏で「自由フランス」を立ち上げて抵抗し
たらフランス国民はついてきたのでしょうか?

同様にスターリンがシベリアに逃れた場合ロシア国民はつい
て来たと思われますか?

また「本土爆撃で降伏した日本とロンドン爆撃に屈しなかっ
たイギリス」とどの程度の違いがあったか?

少なくとも「爆撃ではチャーチルは屈しない」と言うのとは
違うと思います。

御意見等を期待しております。

タイトルRe: 指導者と二次大戦
記事No2344
投稿日: 2005/10/19(Wed) 14:30
投稿者ゲンガー
ごちょうさん、はじめまして。

面白そうな話題なので、薄学ですけど意見させていただきます。

趣旨は、イギリスと日本、ソ連とフランス、ともに似たような状況だったけど前者はなぜ降伏しなかった、あるいはそう思われるのか、でよろしいでしょうか?

一言でいうと、ぞれぞれの継戦能力への期待の差がでた、と思います。

> また「本土爆撃で降伏した日本とロンドン爆撃に屈しなかっ
> たイギリス」とどの程度の違いがあったか?

イギリスへの爆撃の効果は限定された地域(スコットランド等は独空軍の行動範囲外)でかつ独空軍にも相当の被害を与えています。かたや日本vs米戦略空軍は…一方的に全身を殴られてるようです。つまりイギリスは独空軍を跳ね除けましたが日本はそれができませんでした。
また通商破壊戦によるダメージもお互いに相当なものになっています。しかしイギリスはアメリカの手を借りたかもしれませんが挽回しましたが、日本はほとんどされるがままで、末期には瀬戸内海の航行もままならないくらい追い詰められました。
ではなぜ被害のピーク時にイギリスは持ちこたえられたのか、それはアメリカという後ろ盾があったから、が大きいと思います。日本は同盟国があったとはいえ、単独で戦っていましたし、最後にはあの原爆・ソ連参戦ですからね。

イギリスは日本と比較して、爆撃の効果は限定的(地域や敵の損害)、通商破壊は助け舟が合ったか否か。戦った相手が上陸作戦を継続できる能力を持っていたかどうか、これらが戦争を続ける能力・意欲の差になって現れたと思います。

> 何故フランス人は「最後まで戦う事を決めなかった」のか?
> そしてロシア人は「最後まで戦う事に決めた」のか?
>
> 仮にドゴールが南仏で「自由フランス」を立ち上げて抵抗し
> たらフランス国民はついてきたのでしょうか?
>
> 同様にスターリンがシベリアに逃れた場合ロシア国民はつい
> て来たと思われますか?

ソ連は、確かにモスクワを占領されると滅茶苦茶痛いとは思いますが、人の動員や兵器の数、およびその生産能力への影響はまだ致命的ではなかったかと思います。そしてドイツにはソ連全土を占領する能力はないですから、「陸続きで正規軍による反撃拠点が確保できる」確信は持てたと思います。
かたやフランスは徹底抗戦していたら少なくとも正規軍は残れないでしょう。ですから降伏を選んだ…

もしドゴールが南仏にいたら、フランス国民は徹底抗戦したか?正直わかりません。ただ、その道を選んだらドイツに全土を制圧されていたでしょうね。対フランスならその能力持っていたと思いますので。
スターリンがシベリアに逃げてもソ連人民は徹底抗戦したか?これもわかりません。また、その後の展開も読めません。ただ、生産拠点を後方に移しつつ降伏はしないと思います。それだけの懐の広さがフランスとの違いですね。

以上です。

タイトルRe^2: 指導者と二次大戦
記事No2345
投稿日: 2005/10/21(Fri) 19:38
投稿者ごちょう
> 面白そうな話題なので、薄学ですけど意見させていただき
> ます。

いえいえ、大歓迎ですよ。基本的には「もういっぺんよく考
えてみよう!」的な物ですから、気にせずどんどん書いて下
さいね。

> 趣旨は、イギリスと日本、ソ連とフランス、ともに似たよ
> うな状況だったけど前者はなぜ降伏しなかった、あるいは
> そう思われるのか、でよろしいでしょうか?

大体そんな所です。また南京を放棄しても徹底抗戦した中国
と比較して「本当に首都の陥落が戦争終結の直接の要因とな
りえるのか?」と言う事ですね。

そしてフランスの場合「パリは無血開城」ですから軍事的に
陥落していた訳では無いので、やはり「首都の陥落と降伏と
は関連性が薄い」と言う事になるのでしょうか?

まあ、日本軍の場合は「首都が陥落しても彼らは戦い続けた」
訳ですから、かなり日本軍の勝利は条件的には「ほぼ絶望的」
ではあるわけですが。もっとも「初めから勝利は無かった」
と言うのであればこれは英米との太平洋戦争にも当てはまり
ますね。

その点では二次大戦の日本軍の勝利条件は「とても難しい(
事実上定義出来ない)」と言う事になりますね。

> 一言でいうと、ぞれぞれの継戦能力への期待の差がでた、
> と思います。

つまり国民性とか指導者の資質などの「政治的要因の方がよ
り強い」と言うスタンスなのでしょうか?

> ではなぜ被害のピーク時にイギリスは持ちこたえられたの
> か、それはアメリカという後ろ盾があったから、が大きい
> と思います。日本は同盟国があったとはいえ、単独で戦っ
> ていましたし、最後にはあの原爆・ソ連参戦ですからね。

戦略外交ゲーム的に二次大戦を考えるなら、確かにアメリカ
の動向は大きいでしょうね。

レンドリースについては個人的には「中・ソに関してはアメ
リカが援助しないと潰れそうだったから」だと思っています
が。

当時、アメリカの戦争準備は遅れており、元々対岸の火事で
ある事もあって、本当はアメリカはソ連や中国などに援助な
どしたくは無かったのです。もちろんアメリカもバカではあ
りませんから援助品に関しては旧式もしくは二流品の武器を
供与しています。つまりは「援助はするが決して彼らを太ら
せない」と言う援助政策だったのです。

その点ではそれくらいはソビエトの崩壊の可能性はあったと
言う事になるのでは無いかと思いますね。仮にソビエトが自
力でドイツを打ち負かす事が出来たのならアメリカは援助な
どしなかったでしょうね。もちろんこれは中国に対しても同
様でしょうね。

つまりレンドリースの状況から見てスターリンとしても「当
時のソビエトの戦況はぎりぎりで降伏の可能性はかなりあっ
た」とも解釈できるでしょう。

もっともそうなったら英米は更に窮地に追い込まれる事にな
ります。もちろん英米としてそれは「外交的に絶対に避けた
かった」訳ですから、当然あれだけの援助をスターリンに約
束せざる得なかった訳ですね。

> イギリスは日本と比較して、爆撃の効果は限定的(地域や
> 敵の損害)、通商破壊は助け舟が合ったか否か。戦った相
> 手が上陸作戦を継続できる能力を持っていたかどうか、こ
> れらが戦争を続ける能力・意欲の差になって現れたと思い
> ます。

確かに総合的に判断するとそうなると小生も同意します。

そうなると結局は「戦略爆撃と言った行為も戦争終結の決定
打とはならない」と言う事なのでしょうか?

ちなみこの命題は二次大戦の米国の日本上陸作戦の際にもし
ばしば議論になりましたね。要は「空襲と海上封鎖で日本は
降伏するか?」と言う問題で海・空軍は「十分彼らは降伏す
る」と主張し、陸軍は「最終的には軍靴(占領)が必要であ
る」と日本上陸作戦を主張し意見が対立しました。

結局は日本がポツダム宣言を受諾しましたので、本土作戦は
行われませんでしたが。

例えばこの問題は「バトルオブブリテン」のゲームデザイン
をする際に「ドイツ軍の勝利条件をどうすべきか?」と言う
事に直結する問題でもあります。もし爆撃でチャーチルが降
伏しないのであるならば「ドイツ軍の真の勝利条件は無い」
と言う事になり「ゲーム上の勝利」となるわけですね。

もしそれでもなお「バトルオブブリテン」における「真のド
イツ軍の勝利条件」を定義するなら、何等かの別の仕掛け(
チャーチルの失脚の判定など)が必要となるでしょう。

ある意味「ゲーム上の結果とは無関係にチャーチルが失脚す
る」と言う可能性も起こりえると言う事になりますね。

> ソ連は、確かにモスクワを占領されると滅茶苦茶痛いとは
> 思いますが、人の動員や兵器の数、およびその生産能力へ
> の影響はまだ致命的ではなかったかと思います。

では従来の「モスクワが陥落すればドイツ軍勝利」や「レニ
ングラード・モスクワ・スターリングラードが陥落すればド
イツ軍勝利」と言った勝利条件は「ゲーム上でのみの勝利」
と言う判断になるわけですが、どうなのでしょうか?

もちろん「独ソ戦においてのドイツ軍の勝利は初めから無かっ
た」と言う解釈でも良いのですが、それともやはり別途「ス
ターリン降伏チェック(政治的失脚)」のようなルールを補
完した方が良いのだろうか?

個人的には「ヒトラー命令ルール」のような「低確率のソビ
エト降伏チェックを段階的に入れる」と言った勝利条件の独
ソ戦ゲームがあっても面白いとは思います。

もちろん「バトルオブブリテン」のように「モスクワ陥落以
前にスターリンが降伏する可能性もあり得る」事にもなりま
すね。

> ドイツにはソ連全土を占領する能力はないですから、「陸
> 続きで正規軍による反撃拠点が確保できる」確信は持てた
> と思います。

仮に「ソビエト正規軍の撃破」がドイツの勝利条件なら、例
えば「あるターンにソビエト軍のユニット数が規定数以下に
なればドイツ軍勝利」と言うルールの方が妥当だと言う事な
のでしょうか?

実際にもドイツ軍首脳の中には「都市の占領より敵野戦軍の
撃破を優先すべきだ」と言う意見もありましたので、あなが
ち変な勝利条件の解釈でもありませんね。

まあソビエト軍が「けた違いに多かった」のはドイツ軍の誤
算だと思いますが。

> かたやフランスは徹底抗戦していたら少なくとも正規軍は
> 残れないでしょう。ですから降伏を選んだ…

個人的な意見では、対フランス戦については「ヒトラーの軍
事的恫喝」を含めて「ちょっとドイツ軍の出来すぎ」な気が
しますね。つまり「ドイツ軍のフランス降伏チェックでのサ
イの目が良かった」ような気が個人的にはするのです。

軍事的にはフランスはもちょっと踏ん張れたのでは無いかと?

シミュレーションゲーム的に書いてみましたが、御意見等は
ありますか?

タイトルRe^3: 指導者と二次大戦
記事No2346
投稿日: 2005/10/21(Fri) 20:39
投稿者ウィリー
こんばんは、ウィリーです。

ある国が降伏する唯一の理由は
「戦争を続けるよりましだから」というものです。
この点に関して例外はありません。

イギリスと日本の例がもっともわかりやすいでしょう。
イギリスはルフトヴァッフェによってイギリス全土が
完全に破壊されたとしてもまだコモンウェルスが残るのに対して
大日本帝国の方はその後背地をソ連の参戦によって
完全に絶たれてしまったわけです。

逆に言えば、イギリスだってオセアニアとアフリカと
インドとカナダで一斉に反英蜂起が起きれば
降伏した方がましだと判断したでしょうし
大日本帝国も日本海の制海権が維持出来ていて
ソ連が密かに(アメリカの矛先をかわそうとして)
日本へ援助でも送っていれば本土決戦派が優勢だったかもしれません。

同じ事はフランスとソ連にもいえます。
フランスはパリを失ったから降伏したわけでもなければ
ダンケルクで大敗したから降伏したわけでもなく
文字通り全フランスをドイツ軍が蹂躙しそうだったから
降伏したのです。
ソ連だってベーリング海峡までドイツ軍が
押し切りそうだったら降伏したでしょう。
(ドイツの占領統治のあり方を見ていると
 そうなったところで早晩ベトナム化したでしょうが)
どうかんがえてもドイツがウラル山脈を越えてシベリアに
進入するほどの力はありませんし、ソ連はシベリアで
生き残ってさえいれば遅かれ早かれ最後は勝利者として
立ち現れることが出来たであろう(史実の中国のように)ことが
ソ連はモスクワが落ちたぐらいでは降伏しないという判断の基礎なのです。

余談ながら。

ゲーム的なバトル・オブ・ブリテンの勝利条件を決めるなら
単純に「ファイター・コマンドが壊滅したらドイツの勝利」で十分です。
これは、ゲーム的なバルバロッサ作戦の勝利条件を決めるなら
モスクワとレニングラードとロストフが「孤立」しているなら
ドイツの勝利で十分であるのと同様です。
フランス軍や日本軍の勝利条件を決めるなら
敵に痛打を与えていれば勝利でよいでしょう。
この規模のゲームでなら、プレイヤーの役割は
特定の作戦の実行責任者であって、国家指導者ではないのですから。

#国家指導者として考えると、おおよそゲームにならない、というのはあります。
#フランスの国家指導者をプレイするなら
#ソ連との軍事同盟なしにポーランドへ保証を与えないでしょうし
#日中戦争を継続しつつ太平洋に手を出すような無謀な
#日本プレイヤーもいないでしょう。

タイトルRe^4: 指導者と二次大戦
記事No2347
投稿日: 2005/10/22(Sat) 23:01
投稿者ごちょう
> ある国が降伏する唯一の理由は「戦争を続けるよりましだ
> から」というものです。この点に関して例外はありません。

確かに「国家指導者の投了=降伏」と言う概念は不変ですね。

ただ、この考えを突き詰めて行くと「ソビエトが最終的に二
次大戦で勝利したのはスターリンが頑固で決して負けを認め
なかったから」といった「指導者の戦争継続に対する執念」
に帰着していきますね。

要は国家指導者が「参った」と言った時が「戦争終結」なの
だから。これは一種の「勝つまで辞めない徹マン」みたいな
物ですからね。

つまり「もしスターリンが敗北主義者であったならドイツは
戦争に勝てた」可能性も存在する事になります。もちろんこ
れは「モスクワの陥落」と言った軍事的状況とは無関係に存
在しますから「仮にスターリンもしくはヒトラーが降伏を受
け入れれば戦争は終わる」と言った事になりますね。

ちなみにあの頑強な意志を持つスターリンでさえも独ソ戦開
始時における大損害は相当堪えたそうで、彼自らが国民に「
徹底抗戦」を呼びかけるのは何と独ソ戦開始から二週間後の
七月三日の事だそうです。

この二週間は「スターリン謎の二週間」とされており、一説
には腹心のモロトフとべリアにドイツとの和平交渉を画策し
ていたとも、あまりの事態にスターリンが精神に支障をきた
し自暴自棄になっていたとも言われています。

つまり「国家指導者の投了=降伏」として考ると「もしこの
自暴自棄になっていたスターリンがヒトラーの恫喝と敗北主
義に屈していたならソビエトは降伏していた」事になります。
そしてこの時点でのドイツの勝利は「ゼロ」では無い事にな
ります。

そしてスターリンとっても「モスクワ陥落」の精神的打撃は
計り知れませんので、この時点で「スターリンが敗北主義に
屈した」可能性も存在するのです。

従って「スターリンはモスクワが陥落しても戦争を辞めない」
と言う「国家指導者の戦争継続の執念」と現実の国家被害と
は「必ずしも一致しない」と言う事になりますね。

ですので最終的には「国家指導者の戦争継続の執念」に帰着
してしまうのです。

> 文字通り全フランスをドイツ軍が蹂躙しそうだったから降
> 伏したのです。

つまりウィリーさんの「戦争を続けるよりまし」で考えるな
ら「もしフランスのペタン首相が徹底抗戦主義なら仮にフラ
ンス全土が焦土と化しても戦った」と言う事になりますね。

つまりフランス政府は「敗北主義者」だったと言う事なので
しょうか?

まあフランス戦以前の「奇妙な戦争」から考えると「フラン
ス政府は既に敗北主義に侵されていた」とも思えますね。

これも国家指導者の戦争継続意志と国家被害とは「必ずしも
一致しない」とも思えるのですが。

結局のところ「投げたら終り」と言う事になってしまいます
からね。そしてこの「投げるか投げないか」と「戦況と合理
的判断」とはある意味無関係なのです。

> この規模のゲームでなら、プレイヤーの役割は特定の作戦
> の実行責任者であって、国家指導者ではないのですから。

確かに「作戦担当者的なゲーム的な勝利条件」と言う意味で
はそれで妥当だと思います。

ただ逆に独ソ戦のような「ヒトラーの戦争経済」といった限
りなく政治的要因と関連した作戦の場合、単なる作戦担当者
であっても「政治的軍事作戦」を考慮せざる得ない事態も存
在する訳です。

そして「死守命令」のような、作戦担当者が「政治的理由か
ら無理な作戦を押し付けられる」と言った事態も存在するで
しょうね。

しかし従来の戦略作戦級のシステムでは「再現が難しい」の
も事実でしょう。

つまりある意味「ソビエトの降伏チェック」と言った政治的
な不確定要素を勝利条件に加味することによって「より二人
の独裁者の政治性を反映したリアルな独ソ戦」が再現できる
ような気もしたのです。

そしてその点おいて従来の硬直した勝利条件のシステムでは
「再現が不十分」のような気もしたのでした。

タイトルRe^5: 指導者と二次大戦
記事No2355
投稿日: 2005/10/27(Thu) 19:02
投稿者ウィリー
こんばんは、ごちょうさん。

個別にRESつけはせずに結論だけ行きます。

もし、国家指導者の定義を「国を実効的に代表している人」の
意味にとるのであれば、国家指導者が降伏しないかぎり
決して国家は降伏しませんし、国家指導者が降伏すれば
からなず国は降伏します。
これは、国家指導者の定義からしてあきらかです。

まあ、1814年のフランスとか1917年のロシアとか
1918年のドイツみたいに、クーデターや革命が
起きない限り国家指導者は変更されないわけですし
それはあくまで「相手国の」内部事情であって
外国の軍事的圧力は一要素にすぎないことを考えれば
「国家指導者が降伏しない限りどれほど軍事的に打ちのめされても
 降伏することは決してない」ということは事実です。

#極端な例としては、現在のイラクがありますね。
#フセインのイラク軍は文字通り消滅していますが
#戦闘はいつまでたっても終わりません。

まあ、抽象論ばかりでもなんですので、独ソ戦のスターリンを考えてみましょうか。

スターリンはドイツが攻撃を加えてきた時には完全に戦意を喪失し
二週間後、ハルダーが「ソ連は軍事的に崩壊した」と判断した時に
戦意を取り戻して戦争指導を開始しました。
野戦軍の撃滅とスターリンの戦意の喪失とに相関関係はなかったわけです。
なぜそうなったのか?

これは宿題にしてみましょうか。
私の考えはポケットに入れたままにしておきます。
前にも書いたような気がしますけれども
自分で突き詰めて考えようとはしない人に
何かを説明するのは、時間の無駄ですから。

タイトルRe^6: 指導者と二次大戦
記事No2357
投稿日: 2005/10/28(Fri) 13:05
投稿者ごちょう
> もし、国家指導者の定義を「国を実効的に代表している人」
> の意味にとるのであれば、国家指導者が降伏しないかぎり
> 決して国家は降伏しませんし、国家指導者が降伏すればか
> らなず国は降伏します。これは、国家指導者の定義からし
> てあきらかです。

もちろん、小生も「国家指導者の資質と言う要素は決して無
視出来ない。むしろかなり大きいと言える」と考えています。

そしてその流動的な政治的要素をシミュレーションゲーム的
に考えて当てはめると「独ソ戦ような戦略作戦級のシステム
では『スターリン降伏チェック』ような不確定要素を加味し
たらどうか?」とも考えてもいる訳です。

つまり「軍事的に幾ら有効でも政治的に著しく不利になるよ
うな作戦は出来ない」として所謂「ドイツの電撃戦を予想し
た作戦」などゲーム的作戦をした場合「政治的要素を無視し
為、降伏チェックの判定にペナルティーを課すと言うシステ
ムも有効でリアルでは無いか?」と考えたりもする訳です。

そしてあまりにも政治的影響を考えない「ゲーム的戦略」で
は「スモレンスク陥落でもかなりの確率でソ連は降伏する」
といった判定にすれば「そのリスク」を受け入れてまで「ゲ
ーム的戦略」に没頭するプレイヤーもいなくなるでしょう。

つまりあまりにも「軍事的要素」のみで「勝利条件」を考え
ているのではないかと?

そして結論が「わからん」なら「各段階でダイスチェック」
と言った「流動的な政治的判断を反映した確率的勝利判定」
の方がよりリアルだと考えたのです。

> スターリンはドイツが攻撃を加えてきた時には完全に戦意
> を喪失し二週間後、ハルダーが「ソ連は軍事的に崩壊した」
> と判断した時に戦意を取り戻して戦争指導を開始しました。
> 野戦軍の撃滅とスターリンの戦意の喪失とに相関関係はな
> かったわけです。なぜそうなったのか?

まあ原因を究明することは難しいですね。恐らく「不可能」
でしょう。

仮に原因というならば、それは小生は「運」だと考えますね。
もちろん「スターリンの気まぐれ」だったのかも知れないし、
ゾルゲの報告で「シベリアから軍を引き抜けた」からかも知
れない。工場のシベリア疎開が「予想以上の成果上げた」の
かも知れないし、アメリカが「破格のレンドリースの提供」
をしたからかも知れない。

そして、ひょっとしたらジェーコフの「レニングラードとモ
スクワのスターリングラードは絶対に守る」と進退を賭けて
説得したからと言う解釈もあり得ますね。(まあまずありそ
うも無いが)。

ただモスクワ戦に関してスターリンもかなり弱気になってい
たようでレニングラードから引き抜いたジェーコフに「本当
にモスクワは守れるか?」と打診していますね。

もしこの時ジェーコフが「守りきれる自信は無い」と発言し
たらスターリンは「他の選択肢(降伏など)を考えた」であ
ろう事は十分推測できるでしょうね。そして「降伏と言う選
択をした」可能性は十分にあると考えれられます。

ですので、もし独ソ戦緒戦段階でジェーコフが「ソ連は軍事
的に崩壊した」とスターリンに直訴したとしたら、独ソ戦は
「ドイツの勝利」で終わっていた可能性もありますね。

少なくともドイツ軍首脳が「そう判断した」くらいですから
ロシアとしても「追い込まれていた」事は確実です。従って
可能性は「ゼロ」では無いでしょう。

そして、それらをいくら列挙したとしても「可能性の一つ」
に過ぎないし、決定打ともなりません。そう言う意味では複
合的で最終的にはスターリンが「まだ負けていないと思い直
した」と言う結論が妥当となります。しかしこれも「スター
リンの頑固さ」と言う事なら「もしスターリンが軟弱ならヒ
トラーに屈していた」と言う事になるので、まさしく「運」
だったと思いますね。

要は「ロシア降伏チェックでドイツ軍はついてなかった」と
言うのが正直な小生の結論ですね。モスクワ進撃まで「ドイ
ツ軍が優勢」と判断してもそれ程おかしくは無いと思います
が。

逆にフランス戦は「ドイツ軍はツイていた」と考えています
ね。「降伏チェック等のサイの目が良かった」のでしょう。

その点ではウィリーさんへの結論は「わからん」と言う事に
なってしまうと思いますね。

ただそれが「結論ではない」にも関わらず思考を終了して「
結論と断定してしまう」よりは遥かにマシだと考えています。

だから考えるし、ここに書いているのですね。

タイトルRe^7: 指導者と二次大戦
記事No2358
投稿日: 2005/10/29(Sat) 20:08
投稿者ウィリー
E・H・カーでしたかね。
「試験の成績なんて宝くじみたなものさ、というのは
 劣等生諸君に人気のある考え方であります」と言ったのは。

この言い方が皮肉にすぎるというのなら
こちらならお気に召しますかね。野村克也だったはずですが。
「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」

あるいはこれはどうでしょう。誰の言葉か忘れてしまいましたが。
「ある一つの敗北が帝国の終焉をもたらしたとしたら
 一つの敗北で帝国の終焉をもたらすような一般的な原因があるのだ」

何が言いたいかはご自分でお考えください。
どうもあなたは「考察する」ということの意味が
わかっていないことがわかってないようですから。

タイトルRe^8: 指導者と二次大戦
記事No2359
投稿日: 2005/10/30(Sun) 18:21
投稿者ごちょう
まあ少しだけ書きます。

> この言い方が皮肉にすぎるというのならこちらならお気に
> 召しますかね。野村克也だったはずですが。
> 「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」

では反対に質問しますが、果たして1940年のドイツのフラン
ス侵攻は「本当の勝ち」だったのか?

小生は「ドイツの不思議の勝ち」の可能性はかなりあると思
いますね。

同様に「1941年の独ソ戦におけるソ連の勝利」も「ソ連の『
不思議の勝ち』だった可能性」も捨てきれないですね。

これが目に見えない「運」と言うものなのです。

そして実際の戦争は政治・経済など多岐に渡るのでどうして
も解明できない「運」としか言えない要素が数多くあります
ね。

少なくとも将棋や囲碁ような「感想戦」のような訳には行き
ません。そしてその将棋や囲碁であっても「優劣不明」と言っ
たどうしても分からない「運」のようなものが勝敗を左右し
ますから、特に現実の戦争のような「原因が多岐に渡る」よ
うな場合はなおさらです。

にも関わらす「仮にモスクワが陥落してもソ連は降伏しない」
と言った意見が「支配的」になってしまっている「現状」に
「違和感」があったのです。

では小生も「野村克也氏つながり」で一つ。

「勝負に3つの坂がある。上り坂と下り坂と言う2つの坂と、
そして『まさか』と言う坂である」

そもそもスターリンにとっては「1941年6月にヒトラーがソ
連に侵攻する」と言う事件そのものが「まさか」だった訳で
すよね。そして少なくとも1941年の時点では「ソ連が勝てる」
とは誰も思っていなかったでしょうね。

仮に「ドイツに勝ちは無く、ソ連の勝ち」としたしても、19
41年の独ソ戦においてスターリンにその「まさか」が起こら
ないとも限らないと小生は考えています。

そして「本当は勝てていたはず」なのに「投了してしまう」
可能性もあるのです。

これが「勝負」言うもので「運」と言う「魔物」の恐ろしい
所ですね。

> 何が言いたいかはご自分でお考えください。どうもあなた
> は「考察する」ということの意味がわかっていないことが
> わかってないようですから。

基本的には「そのありえないと言う考え方」の方が「ありえ
ない」と小生は考えますね。

「ありえない」と言うことは「そこで思考を終了してしまう」
事ですから。

タイトルRe^9: 指導者と二次大戦
記事No2360
投稿日: 2005/10/31(Mon) 12:54
投稿者sin
下手な考え休むに似たり

タイトルRe^9: 指導者と二次大戦
記事No2364
投稿日: 2005/11/11(Fri) 21:48
投稿者ウィリー
辛辣な返答はsinさんがやっちゃいましたから
これ以上付け加えることもないわけですが
もう少しかみ砕いた言い方をしましょうか。

それぞれの事実について、立体的な構造を見通しながら
考察することをいい加減には憶えたらどうです?
考察が平面をぐるぐる回りするだけで
個別の事実をピースとしてはめ込む努力さえしてないじゃありませんか。
それでは何も言ってないのと同じです。

もっとも、本当はとっくに結論を出していて
適当に議論ごっこを楽しんでいるだけなのかもしれませんけど。
それなら平面をぐるぐる回りしてればいいわけです。
メリーゴーランドよろしくね。

でも、せめて、観覧車ぐらいには乗りませんか?

タイトルRe^10: 指導者と二次大戦
記事No2367
投稿日: 2005/11/13(Sun) 21:04
投稿者ごちょう
こんにちは

あまり建設的でない議論になっているのが残念ですが。

> 考察が平面をぐるぐる回りするだけで個別の事実をピース
> としてはめ込む努力さえしてないじゃありませんか。

まあ合わないピースを強引にはめ込むより「まずはより多く
のピースを集める」方が重要だとも思っていますから。

その点では

> スターリンはドイツが攻撃を加えてきた時には完全に戦意
> を喪失し二週間後、ハルダーが「ソ連は軍事的に崩壊した」
> と判断した時に戦意を取り戻して戦争指導を開始しました。
> 野戦軍の撃滅とスターリンの戦意の喪失とに相関関係はな
> かったわけです。なぜそうなったのか?

の答えも「ピースの一つ」なので是非とも伺いたい所ですが
回答が無いのが残念ですね。

個人的には「小生が上げたミニマムでテクニカルな要素の幾
つか」ではないか?と推測していますが。それとも他に「決
定的な理由」があるのでしょうか?

> もっとも、本当はとっくに結論を出していて適当に議論ごっ
> こを楽しんでいるだけなのかもしれませんけど。

少なくとも小生にとっては「非常に有意義」ですよ。

ゲンガーさんの「時間」と言う要素の指摘は重要だし、フラ
ンスの降伏選択の妥当性も勉強になりました。柿崎さんの「
一次大戦の仏露との比較」も興味深いですね。

元来1941年の独ソ戦に関しては「ナポレオンのロシア遠征」
からの引用が多いのですが、一次大戦からの戦訓と言う意味
でも重要なテーマになりますね。「一次大戦の経験からロシ
アはすぐ降伏する」と軽視していたとも考えられますね。そ
の点に関してはバルバロッサ作戦の第二段階作戦の重点目標
が「明確に定義されていなかった」と言う事からも伺えます。

少なくともドイツ軍も図上演習を繰り返して研究していた訳で
すから単にそれを「ドイツ軍の見込み違い」で片付けられる問
題でもないでしょうね。そしてドイツ参謀本部がそんな無能集
団だったとも思えませんね。

それなりの勝率のある作戦だったと小生は考えています。

また「時間と言う不確定要素」に関しても小生は軽視していま
したね。少なくとも電撃戦のドクトリンには「スピード=時間」
と言う概念は重要な要素ですから、その点でもゲンガーさんの
指摘は重要でしたね。

> 国家指導者として考えると、おおよそゲームにならない、
> というのはあります。フランスの国家指導者をプレイする
> ならソ連との軍事同盟なしにポーランドへ保証を与えない
> でしょうし日中戦争を継続しつつ太平洋に手を出すような
> 無謀な日本プレイヤーもいないでしょう。

フランスの事例に関してよく分かりませんが、太平洋戦争に
日本軍に関しては「一撃講和による限定戦争」の枠内での戦
争終結を想定しましたね。まあウィリーさんの想定する「降
伏と言う決定的勝利」を想定した「最終戦争」では日中戦争
の有無に関わらず日本の勝利はありえないでしょう。

ただ日清・日露戦争のような「限定戦争」の枠内での戦争な
ら日本のある程度の「勝ち」はあった訳で、もちろん日露戦
争も敵国を最終的な降伏まで継続する「最終戦争」であった
なら日本に勝ちはなかった訳です。日本軍にはモスクワまで
遠征する力は無かった訳ですし、講和条件にしても「ギリギ
リの決断」であった訳ですね。そしてロシアにも革命の足音
は聞こえつつありましたし、資金的にもウィリーさん的には
たとえ東アジアの権益を多少失っても「戦争を続けるよりは
マシ」状態でありましたね。

つまり「戦争を続けるよりはマシ=国土が蹂躙されるから」
ではないのですよ。そしてその考え方は「最終戦争」におい
ての考え方で「限定戦争」には適応されないのです。

従って、戦争終結は必ずしも「降伏と言った決定的勝利もし
くは敗北」と言う結果とはならず、むしろ無条件降伏といっ
た二次大戦の終結形態の方が「例外的」であると言ってよい
のです。つまり通常の戦争形態は「条件闘争」である所の「
限定戦争」である事例の方が圧倒的に多いのです。

その点では現実の蒋介石やスターリンの対応の方が「想定外」
であった訳であたかもそれを当然の前提にして「判断の基礎」
にするのは明らかに後知恵で誤りだと思います。そして現実
の展開も「結果の一つ」と言う確率でしかないと思います。

そして可能性の問題ではその「限定戦争」での枠内での終結
と言う可能性も考慮に入れるべきでしょう。少なくとも一次
大戦のロシアはドイツと講和している訳ですから。その延長
線上でのドイツの「対ソ戦略」も考察すべきだと考えます。
そしてドイツの「電撃戦」も明らかに「総力戦といった最終
戦争では無く限定戦争を想定した機動戦」で「一撃講和的」
でもあります。その点では「敵に判断の余裕を与えない」と
言った「時間とスピード」と言う要素は大きいと考えます。

まあ「中国・ロシアと最終戦争をしてはならない」と言う意
見においてはウィリーさんと同意見で、だからこそチャーチ
ルの言葉にも深い意味があるのでしょうね。

ただ限定戦争的には「リガ・スモレンスク・キエフが陥落し
た時点でスターリンは対独交渉を考える可能性もあった」と
考えています。条件次第ではスターリンも「戦争を続けるよ
りはマシ」と考え直す可能性もあるでしょうね。その場合は
そしてその場合は「1941年の独ソ戦は引き分けもしくはドイ
ツの限定的勝利」と言ったものとなるでしょうね。

その点は関してはヒトラーが「スターリン体制の打倒」以外
の妥協点を想定していなかった所にも問題がありそうですが。

ただ独ソに関してはポーランド侵攻のような事例もあり、ま
た連合軍側も「ナチスドイツと言うババの押し付け合い」と
言う側面もありますね。スターリンが単独講和の応じて「バ
バを英米に押し付ける」可能性は多分にあります。またチャ
ーチルはそのような事態を非常に恐れていましたね。

とまあウィリーさんの「最終戦争的な解釈」だけでは「決し
てピース埋まらない」訳で、その点は巷で話題になっている
「逆転史観」的な短絡的な解釈だと思いますね。だからこそ
「考える」訳ですが。

タイトルRe^3: 指導者と二次大戦
記事No2353
投稿日: 2005/10/27(Thu) 09:39
投稿者ゲンガー
ちょっと遅くなりましたが・・・

> つまり国民性とか指導者の資質などの「政治的要因の方がよ
> り強い」と言うスタンスなのでしょうか?

政治的というより心理的といった方がいいのかもしれませんが、どちらかというとそれですね。
例えば、緒戦の敗退から立ち直れずにスターリンが降伏(講和)を決めたときにソ連軍部や国民がそれに従うのかどうか。かたや玉音放送が徹底抗戦を訴えるものだったときの日本軍部や国民の対応・・・
前者は実際どうなるかわかりませんが、少なくとも後者はその言葉のとおりになるでしょう。当時の天皇は実質的な指導者ではなかったですけど。
首都に関しても、その機能を冷静に見極めての判断に加えて、心理的なものもあるかなとは思います。クレムリンと皇居、どっちが外国の旗が立ったときのダメジーがでかいか…
ただ、首都というのは大抵が政治・経済の中心地でここの機能が喪失すると大ダメージを受けることが多いでしょう。ソ連や中国、それにアメリカなどの広大な国はある意味別格ですね。

> そうなると結局は「戦略爆撃と言った行為も戦争終結の決定
> 打とはならない」と言う事なのでしょうか?

こういう場合は時間軸のことも考えないといけないと思います。例えば戦争末期の日本軍機とアメリカ軍機の性能差で戦略爆撃だけ10年も続けられれば降伏するかもしれません。ただいえることは、太平洋戦争をあの時期に終結させるには、戦略爆撃は大きな効果をあげたと思います。通商破壊戦と戦略爆撃、どっちが決定打かと言われれば通商破壊戦と私は思いますが、戦略爆撃がなければ昭和20年8月15日に戦争は終わらなかったと感じます。

> では従来の「モスクワが陥落すればドイツ軍勝利」や「レニ
> ングラード・モスクワ・スターリングラードが陥落すればド
> イツ軍勝利」と言った勝利条件は「ゲーム上でのみの勝利」
> と言う判断になるわけですが、どうなのでしょうか?

私はそう思います。モスクワ占領でドイツ軍勝利、独ソ戦ゲームのドイツ軍プレーヤーの夢ですから。

> 仮に「ソビエト正規軍の撃破」がドイツの勝利条件なら、例
> えば「あるターンにソビエト軍のユニット数が規定数以下に
> なればドイツ軍勝利」と言うルールの方が妥当だと言う事な
> のでしょうか?

それ、面白そうですね。誰か作ってくれませんかねぇ。少なくとも一つは私に売れます。

以上です。

タイトルRe^4: 指導者と二次大戦
記事No2354
投稿日: 2005/10/27(Thu) 18:52
投稿者ウィリー
一発レスですが。

>> 仮に「ソビエト正規軍の撃破」がドイツの勝利条件なら、例
>> えば「あるターンにソビエト軍のユニット数が規定数以下に
>> なればドイツ軍勝利」と言うルールの方が妥当だと言う事な
>> のでしょうか?

>それ、面白そうですね。誰か作ってくれませんかねぇ。
>少なくとも一つは私に売れます。

サードライヒのソ連降伏条件がまさにそれでしたね。
補給下のユニットが50戦力を下回ると降伏でした。

タイトルRe^4: 指導者と二次大戦
記事No2356
投稿日: 2005/10/27(Thu) 19:35
投稿者ごちょう
> 政治的というより心理的といった方がいいのかもしれませ
> んが、どちらかというとそれですね。

ちなみに「国民心理」で見るならドイツのロシア侵攻・日本
の真珠湾攻撃は共に「宣戦布告無視のだまし討ち」と言った
効果を生み出しそれが「徹底抗戦の原動力となった」と言う
見解が支配的ですね。

また「スターリンとルーズベルトに政治利用された」と言う
解釈もありますので「国民心理と政治」は密接な関係にある
とも言えるでしょうね。

そして両作戦共にに「軍事的には成功だが政治的には失敗し
た」と言う解釈もありますね。

> こういう場合は時間軸のことも考えないといけないと思い
> ます。例えば戦争末期の日本軍機とアメリカ軍機の性能差
> で戦略爆撃だけ10年も続けられれば降伏するかもしれま
> せん。

> 戦略爆撃がなければ昭和20年8月15日に戦争は終わら
> なかったと感じます。

なるほど「時間」と言う要素は興味深いですね。盲点でした。

つまりアメリカとって既に「日本の降伏」が問題では無く「
どうすればソ連の対日参戦前に日本を降伏できるか?」が問
題だった訳ですね。

水面下では既にソ連とアメリカの「その後の冷戦繋がる確執」
は起こりつつありましたから、戦後の日本の占領処理もアメ
リカは視野に入っていましたね。

仮にソ連の対日参戦が「10年後」だったなら、アメリカは他
の「より軍事的・政治的にリスクの低い手段も選択できた」
と言う考え方ですね。

そしてその場合「多少時間は掛かったがその分アメリカのグ
ランドデザインにとって安全で確実な手法が取れる」と言う
考え方でもありますね。

確かに当時のアメリカにとって「日本降伏まで10年掛かる」
は「永遠」と大差なかったでしょう。

そして時間も「有限」ですから仮にアメリカの対日降伏期限
が「ソ連の対日参戦前」と言う事であればドイツ降伏後、ア
メリカにはそれ程「時間が無い」と言う判断になります。つ
まりアメリカは「昭和20年8月上旬にはソ連は対日参戦する
だろう」と分かっていたため「アメリカは早期に日本を無条
件降伏させたかった」と言う判断ですね。

もちろん「原爆投下を選択しなかったリスク」もありますの
で、その場合は「日本の無条件降伏が遅れ、ソ連が日本へ本
格侵攻する」とか「早期降伏の為に降伏条件を引き下げる」
などの「リスク」が伴うでしょうね。

つまりアメリカは「そのリスクよりは原爆投下のリスクとコ
ストの方が低い」と判断した訳ですね。

そして「昭和20年8月」と言う日程は「崩せない」以上「そ
れ以外のリスク」の中で「原爆投下」と言う判断となったの
でしょう。

これは現代のM&A的に考えるなら「時間と他の要素(金銭など
)とのトレードオフ」とか「時間を買う」と言った事と似て
いますね。つまりアメリカは「原爆投下と言うリスクとコス
トで日本の早期降伏までの時間を買った」と言う感覚に近い
ものがありますね。

同様にアメリカは「レンドリース」でアメリカの戦争準備の
「時間を買った」とも言える訳で、その点でも「時間」と言
う概念は興味深いですね。

> それ、面白そうですね。誰か作ってくれませんかねぇ。少
> なくとも一つは私に売れます。

そうですね。もし作る方がいたら小生も嬉しいですね。

タイトル国家の降伏
記事No2348
投稿日: 2005/10/23(Sun) 09:23
投稿者柿崎 唯
参照先http://www9.ocn.ne.jp/~saphisgc/
ごちょう様へ、

私見ですが、国家の降伏について、特に近代国家の降伏はその軍隊が崩壊したか否かによると考えています。
首都の占領というのは大きな要因ですが決定的でもないと考えます。

少々古い例ですが、1805年のオーストリアはウィーンを失っても戦い続けましたがアウステルリッツで主力を失うと降伏しています。

1940年にフランスが降伏したのは、フランス野戦軍の大半が失われたためでしょう。フランスは陸軍国でした。
精鋭の軍隊が壊滅して残っているのは要塞守備隊と後備兵のみ。民主的な心を持ったフランスの指導者は彼らに戦えとは命令できなかったのです。

同様に1940年のイギリスが継戦できたのは、イギリス海軍がほぼ無傷で残っていたからです。
ナポレオンの以前からイギリスは海軍国であり、1940年の時点でもその海軍はドイツ・イタリア連合に勝っていました。

逆に1945年の日本は既に連合艦隊が壊滅していました。
更に、本土決戦用として新編された陸軍部隊も極めて質の低いものであることが指導者層にも認識できていました。

空襲というのはその国の経済と軍事力を奪うのに大変強力な手段ですが、これだけで降伏する国はまずないでしょう。

第二次大戦で最も強力、かつ長期間の爆撃を受けたのはドイツです。が、ドイツはその陸軍が崩壊するまで降伏しませんでした。

被爆撃の2番目は日本です。これは期間、量共にドイツの半分以下です。
ドイツは連合軍の戦略爆撃に対して抵抗し続けたのですが、日本は、残念ながらあまり抵抗できませんでした。B-29に対抗できる高高度戦闘機をほとんど保有していなかったことが大きいと考えます。
日本の降伏については連合軍の爆撃に対抗手段が無かった、ということは小さくはなかったかもしれません。

イギリスは大して爆撃を受けていません。
バトル・オブ・ブリテンは有名ですが、期間も規模も貧弱です。

中国とソ連は特殊でしょう。

まず中国ですが、当時の蒋介石政権というのは軍閥に毛の生えたような政権です。共産党軍という別組織も存在していたぐらいですので。
当時の中国は自国では戦闘機も戦車も軍艦も作れていません。
軍事的、経済的な中心地を持たない、国というよりは地域でしたから、明確な降伏を引き出すのは困難だったでしょう。
と、いいますか、もし蒋介石を降伏させたとしても、他の勢力が対日抵抗を継続した可能性が高かったと考えます。

ソ連については、その共産党政権という特殊要素をどう考えるか、ということになります。
1917年のロシアは別にモスクワやペテルブルグを占領されなくても崩壊してしまいました。別に軍隊は崩壊していなかったのですが、多大な犠牲を受けており、それがロシアの崩壊の原因となりました。

一方、1941年のソ連は、緒戦で主力の大半を失っても戦い続けました。
訓練どころか武器も軍服もろくに無いよせ集めの人々を「軍隊」として戦場に送ることは民主的近代国家ではできません。少なくとも1940年のフランス首脳にはできなかったことです。また、1917年のロシア国民はそれよりずっとましな状態での戦争継続を拒否しています。
でも、1941年のスターリン政権はこれが可能だったのです。恐るべき支配力です。

私自身はスターリン政権が崩壊する可能性も少なくなかったと考えています。ただ、現実には崩壊していないのであって、どこが限界かは、推測の世界に入ります。
ようするに「わからん」という話になります。

以上、ご参考までに。

柿崎

タイトルRe: 国家の降伏
記事No2351
投稿日: 2005/10/25(Tue) 14:41
投稿者ごちょう
> 私見ですが、国家の降伏について、特に近代国家の降伏は
> その軍隊が崩壊したか否かによると考えています。
> 首都の占領というのは大きな要因ですが決定的でもないと考
> えます。

確かに「都市の占領より敵野戦軍の撃破を優先する」と言う
考え方もありますね。

ちなみ日露戦争でも日本は「一大決戦会戦に勝利する」と言
う「敵野戦主力の撃破」を基本にした「勝利戦略」でした。

また日本の戦時国債の販売実績から当時の国際認識としても
「自国の主力野戦軍が壊滅したら負け」と言う認識はあった
と思えますね。そして旅順要塞の陥落と奉天会戦の勝利は「
日露戦争における日本の勝利」を国際世論に強く印象づけま
したから「敵主力の撃破こそが国家の勝利に繋がる」言う考
えもあるでしょう。

> 少々古い例ですが、1805年のオーストリアはウィーンを失っ
> ても戦い続けましたがアウステルリッツで主力を失うと降
> 伏しています。

確かに「ロシアはナポレオンにモスクワ占領されても戦った」
を例にして「スターリンかつてのナポレオン戦争のようにモ
スクワを失っても戦うだろう」と言う考え方もありますね。

「敵野戦軍の撃破」で考えるなら「もしボルジノでロシア軍
が大敗していらならロシアは降伏した」のでしょうか?

まあナポレオンのロシア侵攻は泥沼もフランス・ロシア共に
「ギリギリの戦い」ではありましたが。

> 同様に1940年のイギリスが継戦できたのは、イギリス海軍
> がほぼ無傷で残っていたからです。

確かに英国侵攻には英仏海峡と言う特殊事情がありますね。

ちなみに英国には「英国は海軍が壊滅したら三日で降伏する
と言う逸話がある」と小生は聞いた記憶があります。

まあ小生的には「ロシアのモスクワへは馬でも行けるが、越
すに越されぬドーバー海峡」って感じですからね。

その点では「英国海軍」と言う要素は無視できませんね。

> 空襲というのはその国の経済と軍事力を奪うのに大変強力
> な手段ですが、これだけで降伏する国はまずないでしょう。

やはり軍事的にはマーシャル参謀総長の発言にあった「最終
的には相手の国土の占領といった『軍靴の力』が不可欠」と
言う事になるのでしょうか?

> 中国とソ連は特殊でしょう。

確かに特殊でしょうね。

確かチャーチルが二次大戦後に「この戦いで2つの事実が証
明された。第一に『絶対に中国に侵攻しない事』。第二に「
絶対にロシアに侵攻しない事』」といった発言をしたという
記事がコマンドマガジンに掲載されていたのを記憶していま
すね。

> 1917年のロシアは別にモスクワやペテルブルグを占領され
> なくても崩壊してしまいました。別に軍隊は崩壊していな
> かったのですが、多大な犠牲を受けており、それがロシア
> の崩壊の原因となりました。

> 一方、1941年のソ連は、緒戦で主力の大半を失っても戦い
> 続けました。

これは興味深い対比ですね。

1917年のロシアと1941年のロシアでは「何が違っていた」の
か?

また反対に一次大戦では北部フランスで頑強に抵抗したフラ
ンス軍と二次大戦で二ヶ月足らずで降伏したフランス軍とで
は「何が違った」のでしょうか?

少なくとも一次大戦のフランスの頑強な抵抗から「現状のド
イツの戦力ではフランスは降伏しない」とドイツ軍首脳は考
えていましたね。

また一次大戦のロシア軍との経験から「ロシア軍の士気と継
戦意思をドイツ軍はやや甘く見積もっていた」のかも知れま
せんね。少なくともドイツ軍の対ソ戦に見通しに関しては「
かなり希望的観測が見られる」そうなので「一次大戦と同様
に緒戦で痛打を浴びせれば共産ソ連は早晩降伏する」と言う
見込みだったとも思えます。

> ようするに「わからん」という話になります。

だからこそ思考を終了せずに「もう一度よく考えて見よう」
と言った「考えつづける事」が重要になってくると思います。

仮に「それが自分なりの結論」であっても「よく考えて自分
なりに納得した結論でありたい」とも思っていますね。

まあ「そんなに簡単に答えが出てしまったらつまらん」と言
うのもありますが。

タイトルRe: フランス1940の場合
記事No2350
投稿日: 2005/10/24(Mon) 01:55
投稿者Giftzwerg
1940年にフランスが降伏した時点で、南仏で抵抗を続けることは
軍事的にはほぼ不可能です。

ダンケルク撤退後、1940年6月に「フランスの戦い」(赤色作戦)
が開始された時点で、ドイツ陸軍は一線兵力は120個師団、予備に
22個師団を持っていました。
これに対し、フランス陸軍は全戦力で65個師団強、前線には45個
師団プラス英軍1個師団強しか持っていませんでした。

この戦いでフランス軍は緒戦で善戦したものの、やがて崩壊、
敗走します。
6/11に英仏首脳会談が開かれた時、フランス軍の北東方面軍司令官
ジョルジュ将軍は「6/5以降、一週間の戦闘で25個師団を喪失、空軍の
残存戦闘機は約180機のみ」と報告しています。

この時点で既にフランス国内での継戦能力はもはや無く、フランス
全土が征服されるのも時間の問題でした。
実際に6/22に停戦が成立するまでにドイツ軍はフランス全土の2/3を
占領しています。

フランス政府内でもレイノー首相や陸軍次官のドゴールは徹底抗戦を
主張しており、チャーチルも抗戦を勧めていました。
しかし、これは残っている戦力をできるだけ北アフリカに逃がし、
海外植民地を拠点に英仏連合を作って、軍事的にはイギリスと
単一国家のように合同するという構想でした。
抗戦派もフランス国内での抵抗は不可能だと考えていて、実際、
レイノー首相は陸軍総司令官のウェイガン将軍に、政府の北アフリカ
退去後、フランスに残された部隊をドイツ軍に「軍事的降伏」させる
ように命じて拒否されています。
その後、閣議で英仏連合案を反対されたレイノーは退陣して、後継の
ペタンがドイツと休戦しました。

フランス本土の軍事的降伏は当時不可避でした。
その後、海外植民地での抵抗を放棄して休戦したのも、私はそれほど
ひどい判断とは思いません。

タイトルRe^2: フランス1940の場合
記事No2352
投稿日: 2005/10/25(Tue) 16:22
投稿者ごちょう
フランス戦の解説ありがとうございます。勉強になります。

> フランス本土の軍事的降伏は当時不可避でした。
> その後、海外植民地での抵抗を放棄して休戦したのも、私
> はそれほどひどい判断とは思いません。

確かにそうひどい判断でもありませんね。フランス人の生命
と財産を守るためには致し方ない判断にも思えます。

ただ、反対にこれを独ソ戦に当てはめると「スターリンは祖
国を守る為に3000万とも言われる国民の生命と財産を犠牲に
したが、これは本当に正しい判断だったのか?」と言う疑問
にも繋がりますね。

となると「ロシア人の生命と財産を守る為に敢えてヒトラー
と和解する」と言う判断も「そうひどい判断でもない」と言
う事になりますね。どうなのでしょう?

少なくとも独ソ戦初期おける「小銃は二人に一挺」と言われ
る悲惨な装備状況であっても戦争を継続するのは「相当無茶
で、ひどい判断」とも解釈出来るのです。

つまりその点では「どちらの判断にも一定の合理性がある」
と小生には思えるのです。

そして「3000万もの犠牲を出した」大祖国戦争が「スターリ
ンの功績」とされ、フランスの人民と財産を守る為に「敢え
て降伏と言う選択をした」ヴィシーフランス政権は「ナチス
ドイツに屈服したフランスの汚点」として語られてしまうの
は歴史の皮肉なのでしょうか?

それともやはり「国家の判断」と「合理性」は「必ずしも一
致しない」と言う事なのだろうか?

タイトルRe^3: フランス1940の場合
記事No2361
投稿日: 2005/11/04(Fri) 16:21
投稿者柿崎 唯
参照先http://www9.ocn.ne.jp/~saphisgc/
Giftzwerg様、ごちょう様へ、

レスが遅れてすいません。

1940年のフランス戦ですが、イギリス、フランス共にドイツ軍を舐めていたのでは、と私は感じています。

5月の時点では、連合軍とドイツ軍の師団数は拮抗していたわけです。
これに、マジノ線という設備が加わっていたわけで、安心しきっていたのでしょう。
フランス軍はまだしもイギリス軍のBEF6個師団というのはあきれます。開戦から半年たっていたのですから、本気であれば倍は送れていたはずです。第1次大戦のときは10倍以上いたわけですし。

泥縄のディール作戦をやって、ベルギー・オランダの30個師団に加えてフランス、イギリスの30個を失うのですが、これで過度の安心から、過度の失望に振れてしまっています。
1940年5月以降、フランス軍は数個師団しか増えていません。

普仏戦争の時には、パリコミューンで粘ったのですが、・・・。

まあ、急速動員しても、敗戦を1ヶ月程度伸ばすだけに終わった可能性は否定できません。ロシアと異なり国土が狭いですから、・・・。

私は史実のフランス首脳の決断は致し方ないものと考えますが、もう少し粘る方法が存在していたのも事実と考えます。

スターリンが称えられるのはロシアの国民性なのでしょう。
2000万人の自国民を犠牲にしても称えられるというのは民主国家では考えにくいでしょう。

柿崎

タイトルRe^4: フランス1940の場合
記事No2363
投稿日: 2005/11/11(Fri) 14:53
投稿者ごちょう
レスが遅れてすいません。

> 1940年のフランス戦ですが、イギリス、フランス共にドイ
> ツ軍を舐めていたのでは、と私は感じています。

確かにその可能性は高いですね。

少なくともベルサイユ体制下で額面上はドイツの軍備はかな
り制限されていましたし、再建には時間が掛かると英仏は見
ていたと思いますね。

1939年のポーランド戦も「下馬評ではポーランド優勢」と言
う判断があったとしても不思議ではないでしょう。英仏も「
ポーランドは相当善戦するだろうからまだ時間はある」と楽
観視していたように思います。要はドイツ軍を舐めてしたの
でしょう。

> 泥縄のディール作戦をやって、ベルギー・オランダの30個
> 師団に加えてフランス、イギリスの30個を失うのですが、
> これで過度の安心から、過度の失望に振れてしまっていま
> す。

所謂浸透戦術が「敵を麻痺させる」戦術なら、戦略的な「電
撃戦」が「国家を麻痺させる」戦略とも解釈できますね。

また世論と言うのも「国家の集合意識」とも言えるので1940
年のアルデンヌ攻勢で「世論が麻痺」して、その結果「過度
の安心から過度の失望」に大きく世論が振れてしまったので
しょう。結局、フランスはその「麻痺」から最後まで立ち直
れなかったのが敗因なのかもしれませんね。

つまり「電撃戦」の本質は、その軍事的戦果より「大戦果に
よって敵国の心理を麻痺させる」と言う「大戦果よって起き
る精神的効果」に勝利の本質があるようにも思えるのです。

そしてこの「電撃戦による精神的打撃」は「ヒトラーの軍事
的恫喝」と組み合わさった時「恐るべき効果」を発揮したと
考えられます。でもってその「電撃戦とヒトラーの恫喝」の
「最高傑作」が1940年のフランス戦だったと言う事になるの
でしょう。

そうなると「孫子」の言う所の「心を攻める」と言うのが「
電撃戦」の的確な解釈なのかも知れませんね。

> スターリンが称えられるのはロシアの国民性なのでしょう。
> 2000万人の自国民を犠牲にしても称えられるというのは民
> 主国家では考えにくいでしょう。

逆にスターリンやソ連には「少なくとも麻痺から立ち直る時
間があった」事は確かでしょう。国土も広く、軍備も質はと
もかく量だけは用意できました。またスターリン政権の「頑
強な政権と立ち直りの早さ」も大きな要素ではありますね。

でも最終的には「その時間があった」と言う事だった訳でそ
の点フランスには「その時間が無かった」のが不幸だったと
も言えますね。また時間が無いと人は冷静な判断は出来ない
ものですし。時間の有無は勝敗を大きく作用する要素でもあ
りますね。

そしてその「麻痺」から立ち直りさえすれば、浸透戦術と同
様に「電撃戦」はその弱点を露呈して「自ずと崩壊する」事
になります。従って「常に進撃」と言った機動力で敵に「精
神的打撃」を与えつづけなければならないと言う事になりま
すね。

つまり「電撃戦」別の意味で例えるなら「自転車攻勢」とも
言える訳で、そして攻勢が終わると自らの重みに耐え切れず
「負けの確定」になってしまう訳です。

その点で見るなら「グテーリアンのキエフ転進」は失敗だと
言えるでしょう。敵に更に立ち直る時間を与えてしまった事
になりますから。ダメ元でも「モスクワに突っ込む」決断す
るべきだったと思います。

もちろん補給が届かなかったかも知れないし、モスクワが陥
落してもスターリンは諦めないかも知れない。でも「電撃戦」
が「自転車攻勢による賭け」である以上「少なくともスター
リンに立ち直る時間と隙を与えない」と言う意味では「キエ
フ転進」よりは勝機はあると小生は思えるのです。