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タイトル「貫」とは?
記事No2679
投稿日: 2006/07/10(Mon) 00:07
投稿者TraJan
疑問がありますので、有識の方がありましたらご教示ください。

大名の石高は普通、「石」で表します。
1石=100升=180リットル
「1石」は概ね人間1人が1年に食べる米の量だそうです。
 これとは別に俸禄などを「貫」で表示するケースがあります。例えば歴史群像最新刊(78)の長宗我部元親の記事でも領主の国力を貫で表示しています。「貫」は重さの単位だと思われますが、何の重さなのでしょうか? 1石と1貫はほぼ等しい国力を表しているようなので、1石の米の重さでないことは確実です(1貫=4kg弱)。銭の重さだとは想像するのですが、それを説明した文章を見たことがありません。有識の方、よろしくお願いします。

タイトルRe: 「貫」とは?
記事No2680
投稿日: 2006/07/10(Mon) 10:05
投稿者FRTS
このへん?

http://homepage1.nifty.com/~petronius/kosen/tanwi_tael.html

タイトルRe: 「貫」とは?
記事No2681
投稿日: 2006/07/10(Mon) 12:32
投稿者TEIRYU
>  これとは別に俸禄などを「貫」で表示するケースがあります。銭の重さだとは想像するのですが、〜

 中略

〜それを説明した文章を見たことがありません。有識の方、よろしくお願いします。


Wikipediaで「貫」を引くと以下の記述がありました

鎌倉時代・室町時代には、田地の面積は、その田で収穫することのできる平均の米の量を通貨に換算し「貫」を単位として表された。よって、同じ貫数でも土地の条件などによって実際の面積は異なることになる。これは、米で納めるべき年貢を銭で代納する「分銭」に由来するもので、武家の知行高も貫で表した。江戸時代には、知行高は支給される米の容積による「石」(石高)で表されるようになった。

タイトルRe^2: 「貫高制」で調べてください。
記事No2685
投稿日: 2006/07/11(Tue) 23:12
投稿者Giftzwerg
こんばんは Giftzwergです。

TEIRYUさんの回答が一番近いので、ここにレスします。

>それを説明した文章を見たことがありません。

これは他の方も指摘しているように「貫」は重量及び貨幣の単位
なので、「貫」で調べても埒が明かないと思います。
Trajanさんの質問の内容は、歴史用語としてはタイトルにある
ように「貫高制」になります。
こちらで調べれば、回答、解説がたくさん出てきます。

簡単に説明すると、ある土地から一年間に得られる収入を、
貨幣単位で表したのが「貫高制」になります。
収入は年貢の場合もありますし、地子銭(地代)の場合もあります。
例えば、下記のように表記されます。
・○○国××荘 1貫文
・○○国△△郷 300文
貨幣経済が発展していた西国では実際に銭納が行われていましたが、
東国では物納が多かったようです。
「貫高制」が急速に普及したのは戦国時代です。
理由としては、
・戦国大名が戦費等として現金収入を得るため
・家臣に軍役を課すときの基準とするため
・家臣に恩賞を与えるときに公平を期すため
等がよく挙げられます。

タイトルRe^3: 「貫高制」について
記事No2686
投稿日: 2006/07/12(Wed) 14:07
投稿者ごちょう
こんにちは

貫高制についでですが。

基本的な概念は「田畑の収益を銭で評価する」と言うのが「
貫高制」です。

そしてその評価基準ですが、貫高制を広く採用した後北条家
の場合、

田1反=500文
畑1反=165文(秋100文・春65文)

を評価基準としていたそうです(歴史群像シリーズ・戦国合
戦大全上巻より)。

また田1反の米生産量はおよそ一石なので、1反=1石(石高)
=500文(貫高)となります。

ですので貫高制で1貫の知行は2反(石高で2石)に相当します。

従って単純に貫高を倍にすれば石高になると考えれば良いでしょう。

ではでは

タイトルRe: 「貫」とは?
記事No2682
投稿日: 2006/07/10(Mon) 21:50
投稿者
参照先http://d.hatena.ne.jp/nishikitaitei/
戦国大名家総覧によると一貫≒一石ではなく、一貫≒約二石との事です。
単位のことは判りません。
以上、ご参考までに。

タイトルRe: 「貫」とは?
記事No2684
投稿日: 2006/07/11(Tue) 15:58
投稿者ごちょう
こんにちは。

> 銭の重さだとは想像するのですが、それを説明した文章を見たことがありません。有識の方、よろしくお願いします。

一貫(目)(3.75kg)は一文銭1000枚の実際の重量だそうです。

つまり銭1000枚=一貫(目)=3.75Kgと言う事になります。

そして匁(文目)は3.75gでこれは銭一枚の実際の重量に相当します。

ちなみに現在の5円硬貨は1匁(文目)で当然3.75g均一です。

ではでは

タイトルありがとうございました
記事No2687
投稿日: 2006/07/12(Wed) 23:45
投稿者TraJan
 多くの方々に返信頂きながらまとめての返信で失礼します。皆さん、ありがとうございました。
 調べる取っ掛かりも判らなかったのでこちらで聞いてみたのですが、大正解でした。ここまで来れば関連した事は独自で調べることは容易くなりました。
 ・・と言いつつ更なる疑問を。平安中期以降日本では銅銭を鋳造していないので、鎌倉時代以降に流通していた銭は宋銭・明銭が主流のハズ。そんなに大量に流通していたのだろうか? う〜ん。

タイトルRe: 宋銭・明銭と日本経済史について
記事No2689
投稿日: 2006/07/13(Thu) 23:10
投稿者Giftzwerg
Trajanさん、こんにちは。

ぶっちゃけ、もう少し日本史を勉強してクレヨ〜(笑)って感じですね。
ただ、経済史や経済に関連する国際関係史、民衆生活史については、
最近2〜30年で研究が進んできています。
高校の教科書の内容等も昔とはかなり変わってきていますし、新聞記事等で
新しい学説が紹介されていて「目から鱗」みたいなこともよくあります。


>そんなに大量に流通していたのだろうか?

大量に流通していたし、現代も大量に残っています(笑)。
イメージとしてはこのあたりが参考になります。
http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/genbutu/genbutunihonshi19.htm

宋銭・明銭と日本の経済史については下記のHPがよくまとめられています。
http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/quiz/n03-3.htm

それから、No.2685 にも書きましたが、貨幣の流通が少ない地域では
(貨幣価値に換算しての)物納が一般的でした。
また、主に戦国時代以降は、銀や金も銭の代わりに(重量を測って)
流通していました。
佐渡、甲州など金山が多い東国は金本位制、石見、但馬など銀山の多い
西国は銀本位制とよく言われます。
西国が銀本位制なのは、中国大陸が銀本位制だったことの影響もあります。

タイトルRe^2: 宋銭・明銭と日本経済史について
記事No2762
投稿日: 2006/09/04(Mon) 09:10
投稿者TraJan
 Giftzwergさん こんにちは。亀レスになってすいません。

 「そんなに大量に流通していたのか」の意味としては、貨幣経済が成立するにはベラボウな量の明銭が必要になるだろうなという事です。私が見たところでは、貨幣経済が成立していた事を示す文献はありませんでした。Giftzwergさんの文章でも戦国時代には貨幣経済が成立していなかったことを認めるように読めますがいかがでしょうか?

 そこで、ふと貨幣経済が成立するにはどの程度の銭が必要なのかを疑問に感じたので、乱暴ではありますが、私なりに試算してみました。
 方針として、貨幣経済が成立している現代の貨幣の流通量を人口比で按分してみることにします。(銭の価値を現代と比較してみると、銭1貫=1000銭=米2石としてこれを換算すると・・・1銭=米2合になります。単純比較は出来ませんが、感覚的には1銭=1コインという感じです。)
 現代の人口は約1億2千万人。中世の人口はハッキリしませんが、奈良時代(8世紀)で約6百万人、江戸時代(18世紀)で3千万人とされますから中世の人口を約1千2百万人くらいとします。
 次に現代の貨幣流通量を調べると約1000億枚(うち約1割が紙幣)でした。
 よって、中世の貨幣量は100億枚となります。質量で言えば、1枚4gとして、400億g=4000万kg=4万tになります。
 以上、多くのファクターを無視した乱暴な計算ではありますが、貨幣経済が成立していたのであれば、数万tの宋明銭が輸入されていたと推測されます。

タイトル渡来銭の流通について
記事No2695
投稿日: 2006/07/20(Thu) 22:21
投稿者久保田七衛
 いつぞや上野に美術展を見に行ったとき、「TraJan」の胸像をみて、おお、ここはSLG共用掲示板か?などと感慨にふけったりして、、、。
 トラヤヌス帝のことだったんですね、知的好奇心は常に広げておきたいものだと、自戒しております。

 さて、ご質問の件ですが、しらかわ ただひこ氏の「コインの散歩道」を是非、お勧めします。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/index.html

「『渡来銭』と『鐚銭』」の項に載っています。なお、掲載文中の「たった1隻で800万枚」とは、1975年に韓国新安沖でみつかった沈没船のことです。
http://www.ffac.or.jp/magazine/01/fcm.html

 立ち入った内容としては、鎌倉後期には国内でも貨幣での決済が目立ってくることを論じたのは玉泉大梁氏(1969年)が最初のはずです。ほか、佐々木銀弥氏・浦長瀬隆氏・鈴木公雄氏の諸研究もkey word検索されると参考になるかもしれませんね。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/sasaki-ginya-kaheinoryutu.htm

タイトルRe: 渡来銭の流通について
記事No2763
投稿日: 2006/09/04(Mon) 09:21
投稿者TraJan
 久保田七衛さん こんにちは。亀レスすいません。

 貴重な情報ありがとうございます。参考にさせて頂きました。
 さて、私はTraJanでありますが、トラヤヌス帝はTrajanでありますので、区別して頂ければありがたく思います。では、今後ともよろ〜。