タイトル | : Re^2: 歴史群像67 |
投稿日 | : 2004/09/17(Fri) 20:35 |
投稿者 | : TraJan |
QUIETさん こんにちは。
意味のとりにくい書き方をしてしまったようですいません。
私が言いたかった第一のことは、「ギリシャがビザンチン帝国の属領だったという言い方はおかしいのではないか」ということです。ビザンチン帝国がローマ人の帝国であるならば、ギリシャはその属領と言えましょうが、ギリシャがギリシャ人の帝国の一部であるならば、属領と言うよりはその本国といえましょう。
さて、 QUIETさんの提議された「ローマはいつまで存続したのか」という話題も興味深いですね。どの時点でローマ滅亡とするかはだいたい下の4つが考えられます。
476年:西ローマの滅亡
1453年:東ローマの滅亡
1806年:神聖ローマ帝国の滅亡
1918年:ロシア帝国の滅亡
他にはローマ法王庁が存する限り、ローマは存続しているという考えもできるでしょうか。
私としては、7世紀にラテン語を捨てて、ギリシャ語を公用語としたときに東ローマ帝国はローマ人の国ではなくなり、ローマ帝国は終焉を迎えたといえると思います。
> トルコ人はビザンチンをローマと呼び、ギリシャ人をローマ人と呼んでいます。トルコからすれば白人は全てローマ人だったのかも知れません。
まあ、これは世界中どこでも同じでしょう。西欧ではマジャール人をフン族と今でも呼んでいますし、我々日本人も少し前までは「外国人=アメリカ人」でしたし。