タイトル | : 古代ギリシャ人のDNA |
投稿日 | : 2004/09/24(Fri) 18:36 |
投稿者 | : QUIET |
TraJanさん、こんにちは。
>私が言いたかった第一のことは、「ギリシャがビザンチン帝国の属領だったという言い方はおかしいのではないか」ということです。ビザンチン帝国がローマ人の帝国であるならば、ギリシャはその属領と言えましょうが、ギリシャがギリシャ人の帝国の一部であるならば、属領と言うよりはその本国といえましょう。
なるほど、そういう意味ですか、失礼しました。ユスチニアヌス時代は「ローマ法大全」に代表される様に、制度や法はローマの方式で、支配者層もローマ人だったと思います。時代を経るにつれローマ人より人口の多いギリシャにローマ人は同化していったのでしょう。その意味ではギリシャがビザンチンの支配下にあったというより、TraJanさんがおっしゃられる様に本国だったというのはそうだと思います。特に全盛期のマケドニア朝はギリシャ人が支配層だったと言えるのではないでしょうか?
アナトリア(小アジア)もビザンチン領だったので、多くのギリシャ人が住んでいたそうです(アレクサンダー時代からですから)。オスマンはアナトリアを征服してトルコ人の移民が始まります。しかし、アナトリアには多くの先住民(ギリシャ人が多数派)がいて言語、文化でトルコ化していったと文献にあります。イェニチェリは奴隷の軍人としてギリシャ人が多数含まれていました。オスマンはトルコ人の国ですが、支配層や軍人にはかなりギリシャ人の血が混じっていた事になります。古代ギリシャ人の血はビザンチン、シリア、エジプト、オスマンに拡散したのかもしれません。