タイトル | : Re^5: 1940のフランス軍の戦略構想 |
投稿日 | : 2005/01/23(Sun) 22:59 |
投稿者 | : DASREICH |
> ここは、私の書きこみに勘違いがあったので、お詫びします。私は1939年9月のWWU開戦時点での英仏ポーランド連合対独伊枢軸の戦力比較をしていました。しかし、他の人も既に指摘されていますが、ポーランドが崩壊したとはいえ、それでも、英仏連合は独伊枢軸に対し、額面上の戦力はやや優位に立っている状況だったのです(ただし、それは独伊枢軸が戦術的優位によって十二分にカバーしきれるもので、実際にそれによって仏は崩壊したのですが)。ソ連と英仏はお互いに宣戦を布告しておらず、ソ連が独伊枢軸に荷担して、ソ連軍が大挙して独仏国境に集結していない状況で、何故、不本意な講和をしなければならないのでしょうか。
そうです。そうなっては遅すぎるのであの時点の講和が最善の選択である、と言いたいわけです。そもそも、何度も書くようですが、スジからいけば、仏はあの時点でソにも宣戦していなければおかしいはずです。何故宣戦しなかったか、納得のいく回答のできる方がおられるでしょうか。唯一考えられそうなのは、仏はひたすら対独打倒のみを考え、事前にそれにむかった戦略を組んでいた、という場合のような気がしますが、そうなるとソ連をむしろ同盟に引き入れようとするべきですが、そうなるとソフィン戦争時にフィンランド援助のために出兵しようとした説明がつきません。結局フィン出兵はぎりぎりの所で回避されましたが、もし出兵されて仏ソ両軍がフィンランドで激突、という事態になれば、山家様の書いた事態も現実になることもありました。そして仏は対ソ開戦という事態も覚悟している行動をとっていることからも、何か対独打倒戦略を持っていたと私は考えたわけです。