タイトル | : Re^6: 1940のフランス軍の戦略構想 |
投稿日 | : 2005/01/24(Mon) 23:43 |
投稿者 | : 山家 |
> そうです。そうなっては遅すぎるのであの時点の講和が最善の選択である、と言いたいわけです。そもそも、何度も書くようですが、スジからいけば、仏はあの時点でソにも宣戦していなければおかしいはずです。何故宣戦しなかったか、納得のいく回答のできる方がおられるでしょうか。唯一考えられそうなのは、仏はひたすら対独打倒のみを考え、事前にそれにむかった戦略を組んでいた、という場合のような気がしますが、そうなるとソ連をむしろ同盟に引き入れようとするべきですが、そうなるとソフィン戦争時にフィンランド援助のために出兵しようとした説明がつきません。結局フィン出兵はぎりぎりの所で回避されましたが、もし出兵されて仏ソ両軍がフィンランドで激突、という事態になれば、山家様の書いた事態も現実になることもありました。そして仏は対ソ開戦という事態も覚悟している行動をとっていることからも、何か対独打倒戦略を持っていたと私は考えたわけです。
他の方が書かれているように、英仏としては、長期消耗戦略で独伊と対決し、勝利を収めるつもりでした。そして、これは極めて合理的な作戦です。米国の支援を受け、英仏連合の国力は独伊枢軸の国力を圧倒しています。愚策とされる戦力の逐次投入を避け、自らの兵力を充分に蓄積し、独伊の兵力を圧倒できるようになって、攻勢に転じるという戦略です。1年先、2年先の具体的な戦力の蓄積見積もりが出されていない、とおっしゃられますが、実際問題として、1942年12月時点の日本の戦力を、太平洋戦争開戦時に精確に日本軍首脳部は見積もりをし、その予測を的中させられたでしょうか。取りあえず、ディール計画で守勢防御の態勢を固め、戦力を充実させたうえで、反攻に転じるのです。その戦力がいつ整うのか、詳細な計画が立てられていない、と非難されますが、それでは仮に詳細な計画を立てたとして、戦争の際に、その計画が計画通りに進むものでしょうか。
軍事上の事を調べられる際に、当然、経済のことも調査済みであると考えていたのですが、調査されていないのでしょうか。独はソ連から物資を輸入できる以上、英仏の封鎖戦略は無意味と理解されているようですが、ソ連からどうやって独は物資を購入するのでしょうか。独の外貨準備高は1938年段階で既に危機的状況にあり、資源輸入が計画通りに行かないので、軍備は計画通りに進まず、外貨の流出を防ぐためにバーター貿易を奨励せざるを得ない状況でした。戦争に伴い、英仏が経済封鎖を続ければ、独はソ連等からの物資の購入資金に事欠き、経済的に衰弱していくのは自明のことなのです。独マルクで購入すればよい、とお考えなのでしょうが、いずれ戦争に敗れ、紙くずになりそうな独マルクで購入代金を受け取るのを歓迎するところがあるでしょうか。