タイトル | : 長期戦の見通し |
投稿日 | : 2005/01/25(Tue) 12:03 |
投稿者 | : WalkingAircraftcarrier |
DASREICHさん、ウィリーさん、こんにちは。
えー、2130はミスです。無視してください。
「長期戦が英仏有利」という見通しは、当時の当事者の一致した見方だったようです。「第一次大戦の経験からして当然」というところでしょうか。
1.ムソリーニは40年初めのヒトラーあての手紙で、「ドイツとイタリアが共闘しても英仏を武力で屈服させることはできないから、『弱いポーランド』を復活させて和平を結ぶべきだ、と勧めています。
2.ヒトラー自身もポーランド戦以後ずっと、長期戦は英仏に有利だから早く西方で攻勢に出ろ、と陸軍をせっついています。ヒトラーが理由として挙げているのは、「ドイツは資源の点で不利であり、友好的中立国(ソ連とイタリア)・非友好的中立国(アメリカ)の態度がどう変わるかわからない」ということです。
3.イタリアとの協力関係は39年秋から少々怪しくなっていて、ドイツは約束した石炭や機械をイタリアに渡すのをさぼり、イタリアも輸入した物資をドイツに渡すのをさぼっています。ソ連との間の通商協定交渉はスターリンの粘り腰にあって非常に難航し、40年に成立しますが、ドイツは食糧や石油代金の引換えに工作機械・エンジン・機関車・Bf109,Me110,He88を含む最新鋭飛行機30機・建造中の重巡1隻・「ビスマルク」の設計図などをソ連に渡すことになっています。
この調子ではドイツにとって長期戦は明らかに不利でしょう。
4.フランスでは39年8月23日(ドイツとソ連が結ぶことが明らかになった直後)の国防会議でガムランが政府側に戦争の見通しを説明しますが、議事録ではガムランは長期戦の見通しについてけっこう楽観的な発言をしているようです。ガムランの回顧録は、戦後この議事録がフランスの戦犯法廷に提出されて公けになったあとで書かれていて、その中では「外相が情報をドイツに漏らすかもしれないので悲観的なことは言えなかった」とか「議事録は省略が多すぎて正確でない」とか、かなり見苦しい自己弁護をやっています。
5.ちなみに、ドイツ軍の西方攻勢に対してガムランがとった措置は、左翼をディール河に向けて前進させるとともに機動予備の第7軍をオランダに突出させること、空軍戦力の過半を後方に予備として控置することでした。これは防御に自信を持ち、長期戦のことしか考えていない指揮官のすることでしょう。
結局、英仏側は長期戦の有利を確信して初戦では防御に回り、ドイツ(というかヒトラー)は長期戦の不利を恐れて電撃戦に出た、ということと考えるのですが。