タイトル | : Re^10: 1940のフランス軍の戦略構想 |
投稿日 | : 2005/01/29(Sat) 22:59 |
投稿者 | : 山家 |
> まあ、信用の件は既述しましたので、おいときまして、それではそもそも交渉になりません。前提が、仏国よりの提案、ということであるのなら、一応仏国の方に提案をまとめたい、という気があっての仮定になりますので、山家様の考えはともかく、当時の仏国首脳の考えられる、現実的な提案、という観点より見てみますと、独軍の独仏国境より一定の距離の撤兵、ベネルクス3国に対する独による不可侵条約等による安全の保障、地中海方面、南部国境方面の安全確保のため、独伊同盟関係の何らかの変更、これ以上の独の欧州の現状変更要求を取り下げることの具体的な担保としての、対独兵力削減要求、ポーランドの現状を協議するためのソを交えた多国間会議の開催、といったところでどうでしょうか。
以前にも書きましたが、1939年9月から1940年5月に掛けて、仏はこの戦争に英国と協同して戦い、勝てると思っているのです。勝てると思っている状況で、寛大な講和条件の提示がなされるものでしょうか。私が見る限り、独にとって余りにも寛大極まりない講和条件の提示にしか思われません。
ラインラント非武装地帯に対する一方的な進駐行為を行ったのは誰でしょうか。先日、まだ不可侵条約の有効期間は4年余りもあり、1年前にミュンヘン会談において、英仏ソの介入を最終的に断念させた自国領の外国軍隊通過を認めないと声明を出してまで味方をしたポーランドに一方的な言いがかりを付けて、侵略行為を行ったのは誰でしょうか。
それなのに、不可侵条約を結べば侵略してこないと信じて、自ら有利であると信じる状況を放棄して、寛大な講和を結ぼうとするというのは、私には信じられません。