タイトル | : Re^10: 1940のフランス軍の戦略構想 |
投稿日 | : 2005/01/29(Sat) 23:53 |
投稿者 | : 山家 |
この経済のあたりの私の知識は基本的に十年以上前の代物なので、最近の研究から否定されているものがあったら、すみません。
> 私の資料では、仏国内外の油田、の件がまずわかりません。この一文は、仏国内に油田があった、ということなのでしょうか?
ネット検索は掛けられましたか。当時、仏のアルザス地方に油田があったことは、すぐ見つかりました。ただかなり小規模なものだったようです(理由は後述)。
> また、ルーマニア以外の油田、という点では、1940年以後の独の占領地域において、石油を産出する地域はなかった、という私のほうでは調査結果なのですが、私の知らない所で、プロエシチィ油田以外の供給原があったのでしょうか?あと、私の調べた範囲では、1942年の段階で、ルーマニアからの供給は3割程度で、残り7割は他の供給源だった、との出典がどうしてもわかりません。ずうずうしいお願いで申し訳ないのですが、1942年の段階での7割の供給源の詳細と、出典文献等お教え頂ますと、幸いです。
休日を利用して、1日、県立図書館に篭ったのですが、最適の書籍資料が見つからず(10年程前に石油の軍事利用の歴史に関する専門書「石油の軍事利用史」(書名に全く自信はありません。図書館の蔵書検索でも引っ掛かりませんでした)で読んだと思ったのですが)、手持ちのコマンドマガジン3号の資料のみで書き込みます。
1943年当時、独の合成燃料生産量は391万5000t、独国内の原油生産量が188万3000t、各国からの輸入量ですが、ルーマニアから285万6000t、ハンガリーから63万7000t、ポーランドから38万t、エストニアから10万6000t、それ以外(ここに仏等が入ります)から6万6000t、総計で独の原油量は994万4000tとなっています。
> いずれにしても、仏軍首脳部は、ここでの議論のような相手国との成長率予測や自国との成長率の比較、封鎖を完遂するならばどういった戦略が有効か、等検討していたのでしょうか。
長期戦戦略立案の際に、そのようなことを検討せずに戦略立案がなされるとは、私には思われないのですが。ただ、そう書くと、具体的な数字云々の話になり、私の手持ち資料では具体的な数字までは見当たらないので、他の博識の方にお任せしたいと思います。