History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re^2: 1940のフランス軍の戦略構想
投稿日: 2005/01/31(Mon) 22:01
投稿者山家

 微妙に私の考えとは異なります。

> こういった問題は単にポーランド侵攻以後の軍事的側面だけでは無く第一次世界大戦前後からのスパンで見ないと良く理解できないと考えますが。

 ここには同意します。

> 結論から言えばフランスのグランドデザインの根底理念は単に「自国が戦場にならなければよい」「これ以上戦場で自国の若者の鮮血を見なくない」と言う国民世論から出発したもので純軍事的なデザインではなく「政治的な」グランドデザインだったのです。
> まず第一次世界大戦はその名の通りこれまでに無い悲惨な戦争で戦争終結後、各国は「もう二度とこのような戦争はしたくない」(ドイツを含めて)と誓い合い国際連盟の理念が出来るのですが、もちろんイギリス、フランスの被害も甚大で特に戦死による人的損失は膨大なものでした。軍事的には所謂「塹壕戦の恐怖」と言われている戦闘ですね。
> そして各国の軍事常識は「今後行われるであろう戦争では塹壕戦が主体になる」と考えられたのです。もちろん浸透戦術や戦車といったドクトリンも一部では使われましたが、その効力は未だ未知数で懐疑的と思われていました。
> そしてフランスも「より効率的に塹壕戦を乗り切る」と言うドクトリンを考えるようになり、その一つの回答がマジノ戦を主眼とした「専守防衛」なのです。そしてそのドクトリンは当時のフランスの「自国を戦場にしない・自国の若者の犠牲を極力減らす」と言う国民世論とも合致していました。
> つまり塹壕戦においては「強固な塹壕に閉じこもり敵を迎え撃つのが一番有利」と言う結論に達したのです。

 ここまでですが、基本的に仏陸軍だけではなく、例えば独陸軍においてもWWTの戦訓によって、基本的に攻撃側よりも防御側の方が戦闘においては有利であると理解していたと思われます。日中戦争における上海から南京までの戦闘において中国国民党軍の作戦を独軍事顧問団が指導していますが、基本的に陣地に篭って、敵の攻撃を撥ね返して大出血を強い、それによって戦闘に勝利するというコンセプトが見受けられるからです。そして、WWTにおいて防御を固めた敵を打ち破った戦例はカポレット位で、それ以外はほぼ失敗に終わっています。フランスだけではなく当時の各国陸軍は、戦闘で勝利を収めるには、基本的に戦闘においては防御に徹すべき、と考えていたと思われます。

 では、何故、戦車と浸透戦術を融合させて積極的に攻撃を行う電撃戦戦術が、独陸軍において採用されたのでしょうか。私の見るところでは、日本海軍が米国に勝利するには、艦隊決戦により短期戦に持ち込むしかないとして、艦隊決戦主義に極端に走ったように、ヴェルサイユ条約により制限された独陸軍の兵力では、防御に徹して長期戦で勝利するのは不可能で、積極的に攻撃を行って短期戦を行うことでしか勝利を収められないという考えがあったからだと思われます。

> そして第一次世界大戦はその後の宣戦布告といった外交行為にも影響を与えます。第一次世界大戦の原因がオーストリアとセルビアの地域紛争から大戦に発展した経緯から「攻守同盟による宣戦布告の連鎖」を必要以上に警戒するようになったのです。それはイギリスのチェンバレンの「宥和政策」にも見られます。そしてイギリスもフランスも二度と「世界大戦」はしたくなかったのです。そして他国のために自国の若者を犠牲にすることも…。だからミュンヘン会議で「ヒトラーの行為を容認」したのです。もちろんそのツケを彼らは支払させられるはめになるのですが。
>
> こう言った観点から見れば「ミュンヘン会議」や「奇妙な戦争」も少しは理解できるのでは無いかと思う次第なのですが。
>
> 要はヒトラーがのさばるのは嫌だが「世界大戦はもっと嫌」だったのです。

 ここも単純にそうは言えない、と思われます。例えば、ワシントン条約締結の際に、最終的に米国の主張で日英同盟は廃棄されますが、英国は日本よりも積極的に日英同盟存続を望んでいます。モンロー主義に傾いていた当時の米国はともかく、英国等では平和の維持には同盟が重要なことをそれなりに理解していたのではないでしょうか。

 実際問題として、英仏共にヴェルサイユ条約体制下で独軍部が再軍備計画を進めているとは夢にも思わず、国家財政の負担となる軍備をできる限り減らそうと試み続け、世界大恐慌のためにその動きにはますます拍車が掛かりました。そのために、ヒトラーが政権奪取後に再軍備を発表し、あれ程の勢いで再軍備を進めた際に、肝心の自国の軍備は張子の虎になっていました。それで、慌てて軍備の増強に走りますが、すぐには追いつけるものではありません。自国の軍備の増強が整うまで、何とか独との関係を良好に維持し続けないと、自国が独の脅威に曝されます。

 太平洋戦争の開戦間際まで、米国は自国の軍備が整うまで、何とか日本をあやそうと試みました。それと同様に英仏も自国の軍備が再建され、独と対等以上に戦える自信が付くまで、宥和政策で独をあやそうと試みたのです。そのために、ミュンヘン会談等が行われたというのが、私の理解です。


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