History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re^4: 1940のフランス軍の戦略構想
投稿日: 2005/02/02(Wed) 22:12
投稿者山家

 どこにつなぐか、迷いましたが、ここにつなぐことにします。

> ごちょうさん、山家さん、こんにちは。
> お二人のご意見……意見の違いがあるというよりは、ほとんど同じご意見で、重点の置き所が少し違うだけ、と傍からは見えるので……に基本的に賛成です。

 確かに、どこに重点を置いて見るか、の違いに過ぎないかもしれません。お互いの意見にそう極端な違いというのはないのですから。

> 1.英仏は、ドイツの再軍備宣言からミュンヘン危機までの時期、「世界戦争」だけでなく、「軍事力の行使」じたいをやりたくなかったのではないでしょうか。「世界戦争」にまで行かなくても、ドイツに対して軍事行動をとるだけでも、人命もさることながら、非常にお金がかかります。当時の英仏両国の世論の状況が平和一色だったので、金のかかる軍事行動をとることを政治的に決断できなかった、という意味があるのではないでしょうか? ミュンヘン危機当時はまた別として、再軍備宣言やラインラント進駐の時点では、ドイツ侵攻が「世界戦争」にまで発展するとは思えないのですが……

 独が再軍備宣言をした、ラインラントへ進駐した、というだけで、当時の英仏が独との戦争に踏み切ることは、自らの軍事的な問題からも、政治的な問題からも、困難であったと考えます。

 前に書きましたが、軍事的には、独の再軍備宣言の直前まで、当面の間、欧州で戦争が起こることはありえない、と英仏では考えられていました。例えば、マジノ線の建設は1930年からですが、それも1935年に行われる予定の仏軍のラインラントからの撤退に対応するためで、それも当初の計画ではあった方がいいな程度で、本格的な永久要塞築城を図るものではなかったのです。そして、軍備にしても、植民地の反乱鎮圧をまず考えて整えていました(例えば、ライフルにしても19世紀末に採用されたものが、完成度が高かったこともありますが、そのまま採用されている有様)。

 そのため、再軍備宣言とともに、仏軍が単独で一撃で倒せるのは到底困難に見える強力な独軍がいきなり現れると、逆に独軍に対する誇大評価が現れます。そのため、独にたいする軍事的な対立は、まずじっくり自国の軍備を整えた上で、ということになりました。

 更に政治的な状況が追い討ちを掛けます。ナチズムはコミュニズムよりは遥かにまし、というのが1930年代の欧州における一般的な評価で、ナチズムをコミュニズムの防波堤として積極的に活用すべしという主張までありました。また、ヴェルサイユ条約が余りにも独に対して過酷過ぎたことを反省すべきだという主張が一部で強かったことも加わり、ヒトラーが説く独の正当な権利を認めよという主張が共感を得やすい風潮がありました。更にWWTの反動から極端な平和愛好主義が一部では叫ばれていました。これらのことから、ミュンヘン会談の時点においても、独に対する宣戦布告は、英仏等の政府・軍部・国民の間で、全面的な賛成をうるに至りませんでした。

 これらのことから、後世から見れば、何であの時点までナチスドイツを放っておいたのだ、と非難されることになったのだ、と思われます。しかし、当時の目では、まさかあそこまで独が暴走するとは予測できなかったのです。

> 2.もう一つ、英仏両国とも、「ヒトラーはボルシェヴィキよりはまし」という判断があったのではないでしょうか。
> 「ヘタにルール再占領などをやってドイツ国内が18年当時のような大混乱になれば、ヒトラーはツブせても、その後のドサクサに共産党の政権が成立するもしれない。もしそうなれば、ボルシェヴィキは東〜中欧を席捲してしまう。ヒトラーは危ないヤツかもしれないが、まさか著書で言ってるとおりのことを本気でやるつもりではなかろうし、ゲルマン民族の単一国家くらいのことなら、赤色革命の波及にくらべればまだ辛抱できる、と……

 うっかり、上でまとめてしまいましたので、省略で失礼させてください。


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