タイトル | : 「36年戦争」の場合 |
投稿日 | : 2005/02/03(Thu) 18:00 |
投稿者 | : WalkingAircraftcarrier |
ウィリーさん、皆さん、こんにちは。
いやー、このテーマはなんというかえー、皆さんの食いがちがいますね。DASREICHさんに感謝、です。
以下、本題です。最初に種を割っておきますと、この件での私のタネ本は、シャイラーの「第三帝国の興亡」とチャーチルの「第二次世界大戦」です。どちらもミリタリ的には問題がありますが、政治・外交史の資料としては1級だと思います。
36年のラインラント進駐のときに戦争にならなかったのは、英国の反対、仏軍部の尻込み、国内での意見対立のために仏政府が実力行使に踏み切れなかったためで、「ボルシェビキ入り世界戦争の恐怖」はバックグラウンドにあったとしても直接の理由ではない、というのが私の意見です。理由は以下のとおり。
1.36年の際、ガムランが仏政府に勧告した内容は、正確に引用すると、「作戦行動はいかに限られたものであろうとも、不測の危険を伴い、総動員を下さないでは(つまり、平時編成のままでは)実施できない」というものでした。これは純然たる軍事的観点からの弱気発言だと、私は思います。
2.にもかかわらず、仏政府は実力行使に積極的で、最後通牒を発して総動員しようとしました。当時の仏外相フランダンはロンドンを訪問してボールドウィン英首相に「フランスは総動員して武力進駐したい。小協商諸国の支持はとってある。英国の支持を得たい」と申し入れて、あっさり断られてしまいました。仏政府はここでくじけたようです。
3.のちポーランド危機の際(独ソ協定の前)、英仏はポーランドに「ソ連軍に越境して支援してもらっては」と提案しています(ポーランドがあっさり断りましたが)。この経緯を見ると、英仏はソ連の介入を好んではいないにしても、「何が何でもダメ」とは考えていないように見えます。
なお、もし独仏開戦となれば、この段階ならいくらなんでも仏圧勝で、ガムランの尻込みは(後知恵ですが)弱気すぎ、と思います。