History Quest「戦史会議室」
[記事リスト] [新着記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

タイトル Re^2: 36〜38年当時のドイツ軍の実力評価
投稿日: 2005/02/08(Tue) 21:26
投稿者山家

 どこにつなぐか、迷いましたが、ここにつながせてもらいます。

 1936年から1938年における英仏の独に対する対応ですが。こういった場合、軍事的な視点だけではなく、政治的な視点も考え合わせるべきではないでしょうか。

 私が思いつくのは、ベトナム戦争における事例です。管理人さまから、余りにも政治的な発言で、この掲示板にはそぐわない、とお叱りを受けることを覚悟で書きますが。ベトナム戦争において、米国がその投入可能な軍事力(勿論、NBC兵器の使用も含めて)全てを、政治的な制限を外されて、ベトナム戦争において投入していたら、北ベトナムは独立の維持すら困難で、1970年以前に南ベトナム主導の下で、ベトナムは統一されていたと思われます。しかし、政治的な問題から、そのようなことは起こりませんでした。

 1936年から1938年の独の軍事力が、当時の独の宣伝上の額面程に強力で無かったことは、現在からすれば明らかです。しかし、そういうことは、当時の英仏政府・軍首脳部にはほぼ分かりませんでした。百歩譲って、それ程に強力では無いことが当時の英仏政府・軍首脳部に推測できていたとしても、戦争という重大な決断を下す際には、万が一、本当に独の軍事力が強力であった場合のリスクを考えると、慎重な対応が必要不可欠でした。

 そういったことから、当時の英仏が、独に対する戦争を決断するとなると、当時の英仏は独軍が本当に強力であった場合に備えて、軍の総動員が必要不可欠であったと考えられます。しかし、簡単に軍の総動員といいますが、これによって、英仏の社会が蒙る影響は甚大なものがあります。例えば、総動員が行われることにより、工員が大量に召集され、休業に追い込まれる工場が多数出現する等、国民生活には多大な影響があるのです。そういった事態に追い込まれても、国民は独との戦争を支持するでしょうか。また、戦争が始まった後で、独がベルリンにトリコロールが翻るまでは戦争は止めない、と主張して徹底抗戦した場合に、国民はそれでも独との戦争継続を支持し続けるでしょうか。

 そして、ミュンヘン会談直後のときでさえ、ミュンヘン会談によって、英においてチェンバレン首相が、仏においてダラディエ首相が、欧州に平和をもたらしたとして、帰国の際に大勢の自国の国民の歓呼の声で歓迎された、という事実を考えるとき、1936年から1938年にかけて英仏が独に対して宣戦を布告するというのは、政治的にほぼ不可能では無かったのではないか、と私は考えるのです。


- 関連一覧ツリー (★ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 返信フォーム (この記事に返信する場合は下記フォームから投稿して下さい)
おなまえ
Eメール
タイトル
メッセージ   手動改行 強制改行 図表モード
参照先
暗証キー (英数字で8文字以内)
  プレビュー

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 暗証キー