History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re: 本能寺の変の謎
投稿日: 2005/06/10(Fri) 22:27
投稿者ウィリー

こんばんは、ウィリーです。

> また、本能寺の変を起こすまで、明智光秀が1万3,4千の兵を集めてい
>るのに、織田信長が全く無警戒だったのも不思議です。通説では、明智光
>秀が兵を集めていたのは、羽柴秀吉の援軍のためとされていますが、毛利
>家と織田家の講和はほぼ決まりかけており、援軍の必要性がそもそも疑問です。

私はこれについて一つの考えがあります。
(賛同者はいないでしょうが)
織田信長は明智光秀を使って、一種の「クーデター」を
準備していたのであって、光秀の上洛は
はじめから信長の予定表に入っていた、というものです。

そう考えればすべての行動はつじつまが合います。
毛利救援は口実で、京都での信長によるクーデター
を隠すための陽動なのです。
寝耳に水の軍事作戦で京を完全に制圧する。
そのショックを利用して正親町帝を退位させる。
その上で、信長が新王朝を開く。
だから光秀が上洛してきても全く無警戒ですし
京を制圧していても無警戒だったのです。

本能寺が攻め落とされる瞬間まで。

> 他にも、例えば、織田信長が殺害された後すぐに、織田信忠が何故すぐに京都から逃亡せず、むざむざ籠城してしまったのか等、謎が多々あります。

これも、光秀上洛が予め予定に入っていたと考えれば
容易に回答できます。
光秀が「救援」に来るまで持ちこたえればいいと思えば
籠城した方が有利に決まってます。
その光秀が謀反を起こしていることに気づいた時には
手遅れだった、という訳です。

光秀が謀反を起こした動機は、私にとってむしろ重要ではありません。
「詰んでいた」というのが結論でしょう。
謀反の証拠をでっち上げて信長に握らせるぐらい
毛利にとっては朝飯前です。
第一、功臣2人がすでに追放になってます。
それも、毛利と事を構えた武将に限って。

光秀ぐらいになれば、次に毛利が誰を陥れようとするか
大体想像がついたでしょう。
その上で「謀反の証拠」そのものを「毛利に」つきつけられたら
光秀には選択の余地がないのです。
そうであった証拠はどこにもありませんが
これこそまさに元就いらいずっと続く、毛利の得意技なのです。

まあ、これで機内を再び戦乱に落とし込めばそれで
毛利とすれば目的を十二分にはたせるわけですから
秀吉が天下を取ろうが光秀が天下をとろうが
どうでも良かったでしょうけどね。

証拠は?なにもありません。
ただ、この件で秀吉との講和に絡んだ2人が
後で秀吉から直接知行をもらっていたんですから
傍証にはなると思われます。

まあ、信長がクーデターを準備していた、と
強く言うつもりはありません。
しかし、本能寺のシナリオを書いたのは
小早川隆景であることは、ほぼ確実と言っていいでしょう。
光秀が将軍になるには、現に生きている15代将軍
足利義昭をなんとかする必要があるのですし
その義昭は鞆の浦〜つまり、小早川隆景の領土にいるんですから。


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