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投稿時間:2003/05/15(Thu) 22:02
投稿者名:かげ
Eメール:PXk13315@nifty.com
URL :
タイトル:
空軍スパイラル(1)
空軍の効果は、以下の2点に大別できるでしょう。

1.目標ユニットの弱体化
2.目標ユニットのZOC喪失

1については、攻撃を受ける側としてはいかなる不利な効果も
受けたくないというところがあるものの(もしいかなる不利な
効果も受けないのであれば、そのシステム・効果は不要)、
許容範囲内(許容せざるをえない)ではないかと思われます。

一方、2については深刻です。
ZOCがなくなることによって、戦線が存在しなくなり、独軍が
突如として縦深突破能力をもっての攻撃が可能になります。
本作システムでは、包囲されて攻撃された場合、被害が
増加し、混乱状態で全周包囲であれば全滅します。
独軍機械化部隊の移動力を考えると戦線がなくなった状態で
包囲、全周包囲に近い形になるリスクは看過しえないでしょう。

既存(空軍登場以前)のスキームでは、2重戦線の後ろに
配置されたソ連軍主力は攻撃を受けることがありません。
従って前面に立つ部隊は出血しつつも、後置された主力によって
かろうじて攻勢を継続することが可能です。
しかし空軍スキーム内では、主力が撃滅されるというリスクが
存在し、リスクマネジメントの観点から何らかの対応が
必要となるでしょう。
また対応をしたとしても、主力が打撃を受け、攻勢力の大幅な減少は
避けられないでしょう。
注目点としては、これらはすべてZOCの喪失によって
もたらされているということです。

2つの空軍の効果のうちの弱体化は、デザイン上にそれを
意図しているものと想定されますが、
縦深突破によるソ連軍主力の無力化を意図しているとは
思われないのですが。

投稿時間:2003/05/16(Fri) 19:46
投稿者名:柿崎 唯
Eメール:wyvern9@juno.ocn.ne.jp
URL :http://www9.ocn.ne.jp/~saphisgc/
タイトル:
Re: 空軍スパイラル(1)
かげさんへ

> 1.目標ユニットの弱体化
> 2.目標ユニットのZOC喪失
> 2つの空軍の効果のうちの弱体化は、デザイン上にそれを
> 意図しているものと想定されますが、
> 縦深突破によるソ連軍主力の無力化を意図しているとは
> 思われないのですが。

実は、主としてZOCの消失を主体に考えてデザインしています。

歴史的背景でも書く予定ですが、本戦役におけるドイツ軍の反撃成功には空軍の復活が非常に大きな位置を占めていたと考えています。

柿崎

投稿時間:2003/05/16(Fri) 23:11
投稿者名:かげ
Eメール:PXk13315@nifty.com
URL :
タイトル:
Re^2: 空軍スパイラル(1)
> 実は、主としてZOCの消失を主体に考えてデザインしています。
>
> 歴史的背景でも書く予定ですが、本戦役におけるドイツ軍の反撃成功には空軍の復活が非常に大きな位置を占めていたと考えています。

空軍が重要な役割を果たしていたのですね。

空軍投入後の独軍の戦線突破および戦線後方のソ連軍主力の撃破も
意図してデザインされているということでしょうか?

投稿時間:2003/05/19(Mon) 12:16
投稿者名:柿崎 唯
Eメール:wyvern9@juno.ocn.ne.jp
URL :http://www9.ocn.ne.jp/~saphisgc/
タイトル:
Re^3: 空軍スパイラル(1)
かげさんへ

> 空軍が重要な役割を果たしていたのですね。
> 空軍投入後の独軍の戦線突破および戦線後方のソ連軍主力の撃破も
> 意図してデザインされているということでしょうか?

しばらく、空軍に付いて書く予定がないのでここに多少書いておきます。
空軍の推移に付いては、Williamson Murrayの「Luftwaffe」にこの戦役の事情が載っています。非常によくまとまっているので少々長くなりますが引用しておきます。

「一方、空軍の戦力は1月の惨状から目立って回復した。スターリングラード空輸補給作戦が終わったため、この作戦の支援に当てられていたかなりの数の爆撃機と戦闘機を、他の用途に向けられるようになった。そしてリヒトホーフェンは2月の初旬に徹底的な組織再編を実地した。これまでいくつもの指揮組織があり、兵力の奪い合いを演じていたが、彼はこの混乱にけりをつけ、損耗の激しい部隊を休養と兵力再編のために後方に退がらせた。
乗員は新しい部隊編成のために本国に送られ、整備と支援の要員と機材は他の部隊に移された。その結果、整備能力と機材定数充足率はかなり改善された。そして戦線後退の結果、比較的施設が整った以前の後方基地から作戦するようになり、補給拠点までの距離も短くなったこともよい条件だった。ミルヒの現地視察も第四航空軍の後方組織の立て直しに役立った。彼は能力の高くない高級指揮官を解任し、その中にはリヒトホーフェンの参謀長も含まれていた。
第四航空軍の戦闘能力は劇的に回復した。1月の1日あたりの出撃数は延べ350機だった。これが2月20日から3月15日の間の平均では1日あたりの戦闘出撃が延べ1000機になり、2月23日には1200機に達した。ドイツ空軍の作戦行動の助けになったのは、ソ連軍が自軍の飛行場と補給線から遠過ぎる線まで前進したことである。このためソ連空軍は進行中の地上戦闘にほとんどインパクトを及ぼすことがなく、第四航空軍の方は敵機を気にせず地上攻撃に専念することができた。」
ドイツ空軍全史 W・マーレイ/手島尚・訳より

実際、ドイツ第1装甲軍などは、2月上旬から継続して攻撃(反撃)を行っているのですが、2月下旬までソ連軍の戦線を突破できませんでした。突破が可能となったのには、スツーカの効果的な支援があったと、記載されています。
空軍の参加により、ドイツ軍がソ連軍の前線突破能力が大きく向上したものと考えています。

柿崎