どうも風間です。
1999年4月3日にTSS例会で独ソ電撃戦(エポック)をプレイした報告です。T橋さんが独軍、私がソ連軍です。
ソ連軍は歩兵で戦線を張りつつ戦車ユニットを後方に逃がすべくセットアップを行いました。できるだけ地形効果を得るようにしていますが、歩兵の損害は度外視しており、包囲されるような位置にも敢えて配置しています。そうすることにより戦線を維持するユニット数を押さえたわけです。
第1ターンの独軍の攻撃で前線の歩兵部隊はほぼ一掃されます。生き残った少数の歩兵はどうせ逃げ切れないので、近くの町や道路上で拠点防御を行います。主戦線はブレストリトフスクからグロドノまでの道路に概ね沿う形で展開しました。平地ではできるだけスタック防御を心がけています。
第2ターンの独軍の攻撃でブレストリトフスクがあっさりと陥落。これは予想通りでしたが、ビャリストクが陥落したのは予想外でした。ここの近くには独装甲部隊が配置されていなかったので攻撃されないと思い歩兵1ユニットしか配置していなかったのです。ところが、ブレストリトフスク北方の装甲擲弾兵ユニットのスタックが攻撃可能で激戦の末に陥落したわけです。EXが出たので得点的には我慢できるのですが、防御拠点を失ったのは痛いです。
独第3装甲集団は総力を挙げてグロドノを攻撃しますが、撃退されます。その際、側面を守るべき部隊までも攻撃に投入したためソ連軍の大規模な反撃が行われました。独第3装甲集団の装甲部隊全てを包囲下に置いたのです。流石に攻撃するだけの戦力はなく、包囲しただけでしたが、装甲部隊の自由な機動を妨げるだけでも効果があると考えたのでした。(しかし、これって6月24日のパブロフの反撃と言えないこともない。なんてヒストリカル(笑))
南方は独歩兵部隊の届かないところまで、戦線を後退させました。
第3ターン、南方の独軍は攻撃軸を北方にシフト、平地上のソ連軍スタックを攻撃し、これを後退させます。
北方の独第3装甲集団は包囲網の外からの歩兵部隊の支援により、装甲部隊の半数を救出することに成功しますが、尚、半数は包囲下に取り残されます。
ここで、グロドノの防衛を諦めていた方がソ連軍にとっては恐らく良い結果になったであろうと今は思いますが、ソ連軍は独軍包囲を継続してしまいます。
南方はブレストリトフスクとパラノウィチの丁度中間辺りの湿地帯で頑張っています。
第4ターン。独第3装甲集団の包囲に参加していた部隊は殆どが撃滅されるか、逆包囲下にあり、グロドノも包囲されてしまいます。(パブロフの反撃はやっぱり大損害を出すのか、、、。なんてヒストリカル(笑))
南方は独軍の攻撃を寄せ付けず、戦線を保持しています。
北方戦線の崩壊によりソ連軍は全戦線を大きく後退させます。グロドノとウィルナの間の丁度中央付近に町と原生林を利用した戦線を構築し、その戦線と概ね直線の戦線となるように南方の戦線も後退させます。損害が大きくスタックした戦線が張れなくなりつつあります。
第5ターン独軍の攻撃終了時に戦線中央に巨大な穴を穿たれてしまいます。第3装甲集団と第2装甲集団の装甲部隊を集中した攻撃の成果です。
ソ連軍はその穴をなんとか埋めることに成功しますが、戦線は再び大幅に後退し、パラノウィチとウィルナを結ぶ道路の前面まで後退します。パラノウィチ−ウィルナ間を最終防衛線とする予定のためその前哨ラインとなります。
第6ターンの独軍の攻撃はソ連軍防衛ラインを3カ所で突破します。長らく持ちこたえていたグロドノが遂に陥落。
ソ連軍は予定通りパラノウィチ−ウィルナ間に最終防衛ラインを構築します。もはや戦力は底を着いており、極薄い戦線でしかありませんが、取りあえず、戦線の構築に成功します。
第7ターン。ソ連軍の最終防衛ラインは寸断され、もはや戦線の構築は不可能となります。とはいえ、独軍にはもはや時間がなく、ミンスクにも、スルーツクにも届きません。勿論、突破も不可能です。この時点で独軍の勝利はなくなりました。しかし、独軍の損害は装甲擲弾兵2個、歩兵2個と少なく、パラノウィチ、ウィルナの両方を占領すれば、引き分けとなります。ソ連軍はそれを阻止すべく、可能な限りの戦力を死守部隊として両都市に集中します。
最後の戦闘でパラノウィチは持ちこたえ、ソ連軍の勝利が確定しました。
以上です。