どうも風間です。
1998年8月1日のTSS例会でDAK the Desertをプレイしたのでその報告をします。
プレイヤーは独軍がM氏、英軍が私です。
第1ターンに英軍はコマンドの受領に失敗し、第2機甲師団を失いますが、第9AUS師団はトブルクへの撤退に成功します。トブルクは独軍の包囲下に置かれてしまいますが、独軍はかなりの補給を消耗しており英軍にとってはなんとか許容範囲内の結果となります。
続く第2ターンは補給の乏しい独軍がいきなりパスしたため、なにも起こらずに暮れてしまいました(笑)。
第4ターンか第5ターンごろに英軍はハルファヤ峠にいた第7機甲師団を突入させ、トブルク包囲網の伊軍を撃退してトブルクの隣接ヘクスの一角を占領します。当然この師団は独軍の反撃で全滅するのですが、私は、独軍のトブルク攻略を邪魔するためならいくら戦力を消耗してもいいと思っているので気にしません。ただし、英軍のコマンド受領のダイスが悪く、マップ上にほとんど兵力を展開できていないのが気がかりでしたが、、、。
第7機甲師団を撃滅すると早速、独軍はトブルク攻略作戦を発動します。主力は第21、第15の2個装甲師団、これに伊軍3個師団でした。補給物資も2回の全力攻撃には足りず、明らかに準備不足でした。案の定独軍はトブルクの攻略に失敗しますが、戦闘の先制を独軍が取ったことと英軍のダイスが走らなかったため、大きな損害を受けることもありませんでした。
英軍は独軍の補給が尽きかけているのに乗じてハルファヤにいた2個歩兵師団の内の1個師団を独軍の後方に迂回機動させようと試みます。しかし、コマンドの受領に失敗し、道半ばで立ち往生してしまいます。
ターンが変わって独軍の補給が回復したため、英軍は後方遮断をあきらめ2個歩兵師団で第21装甲師団を攻撃、これを撃退しトブルクに隣接します。
その間独軍は第90師団を後方から呼び寄せ強引にトブルク攻略を目指します。第2次トブルク攻撃は両軍にかなりの損害を与え、独軍の蓄積した補給の半数を消費させます。これに対し、英軍は再び後方遮断を目指した迂回機動を開始します。独軍の補給をこちらに消費させるのが狙いでした。しかし、独軍プレイヤーの目にはトブルクしか映っていなかったのです。
独軍は残存する全ての補給を消費して第3次トブルク攻撃を発動します。
先制は独軍。砲撃の応酬の後、独軍戦車隊が、独軍歩兵がトブルクに突入します。蹂躙される英軍歩兵。しかし、独軍の攻撃が終了したときにトブルクに立っていたのは英軍砲兵でした。トブルクは救われたのか?
しかし、まだ敵には伊軍歩兵が残されていました。英軍の砲撃を喰らって消耗していた伊軍歩兵の攻撃ダイスは1個のみ。命中値も1のみ。しかもイタリア兵(笑)。トブルクは持ちこたえたと私は思ったのですが、、、伊軍歩兵の攻撃は見事”1”を出してトブルクは陥落してしまったのでした(涙)。
英軍は独軍の補給が回復する前に打撃を与えようと機甲2個師団を投入します。独装甲師団に相当な損害を与えたものの、ままならぬコマンドのために機動戦に破れ、連絡線を断たれてしまいます。
その後も恒常的なコマンド不足に英軍は悩まされ、結局1941年中にアレキサンドリアを蹂躙されてしまいました。どうにもしようのない惨敗でした。
なにしろエルアラメインを無抵抗で突破されてしまったのですから。
この対戦では本当に英軍のコマンドが少なかったです。
どのくらい少なかったかというと、アレキサンドリアを蹂躙された時点で裕に5個師団は編成できる兵力と20ポイント近い補給物資がアレキサンドリアにはうなっていたのです。そいつらは単に命令がこないといってバカンスを楽しんでいたのですよ(しくしく)。
こんなでコマンドが少なかった上に、コマンドで1,2を出すタイミングが最悪でした。独軍が「ここで終われ」というと必ず、コマンドの受領に失敗していましたから。
とはいえ、独軍もトブルク攻撃では非常に無茶をしていましたから、第3次攻撃にトブルクが持ちこたえていたら独軍の方が悲惨な状況に陥っていたでしょう。そういうことで英軍は早々に破れましたが、独軍も楽勝していたわけではなく、両者とも結構楽しめました。
以上です。