2000年西日本ゲーム連合合宿(春)で「源平藤橘盛衰絵巻」(GJ#31)をプレイしたので報告します。プレイしたのは、私、ロクでなサイさん、よしなりさん、Syさん、Yyさんでした。

 えー、まずこのゲームのプレイ中かなり酒が入っていたことと、プレイしてから既にそれなりの時間が経過したことにより、プレイ中の記憶がかなり曖昧になっていることをお詫びします。

ゲーム終了時の情勢

ゲーム終了時の情勢

 当初源氏や平家等の大勢力を歴任していた、Syさんやよしなりさんが高VPをキープしていました。Yyさんも尊氏等の大勢力を取りますが、攻勢時には絶不調の賽の目も手伝って、VPが伸び悩みます。この頃、ロクでなサイさんと私は全く伸び悩んでいました。ロクでなサイさんはそれなりの勢力を受け持つこともあったのですが、やはり攻勢時の賽の目が不調で、VPが伸び悩みます。私に至っては、最終巻(エポック)の前の巻に秀吉を取ったのですが、それでも累計の戦力で最低であったことからも、いかに低勢力に甘んじていたか分かると思います。
 しかし、最終巻の前の巻にロクでなサイさんは信長をプレイし、今までの鬱憤を晴らすかのように賽の目も好調で、一気にVPで2位に浮上します。しかし、流石に大勢力の信長を受け持ったため、累計の戦力も2位になってしまいました。続いて私は秀吉をプレイ。秀吉もかなりの大勢力なので、ロクでなサイさんを抜いて2位に浮上します。累計の戦力も最低のままです。
 最終巻で、私は三成を引きましたが、家康が廻ってくる可能性が殆ど無いと思われたため、これをそのままプレイしました。家康はYyさんがプレイしたはずです。三成は家康程ではないにせよ、この巻では大勢力だったため、私は遂に1位に浮上、勝利を収めることが出来たのでした。

 このゲームはご存じの方も多いかと思うのですが、History of the World(AH) のシステムを流用しており、同ゲームをプレイしたことがある人は直ぐにもプレイできることと思います。
 同ゲームとの主だった違いは、モニュメントがないこと、城(要塞)を破壊すると攻撃側が1VPを獲得することです。前者のルールは資源でモニュメントを作るというのが歴史的にしっくりこないことが理由で、後者のルールは篭城作戦への牽制という意味合いがあるようです。

 History of the Worldのシステムで他の歴史を描くというのは、割と思いつきそうなところがありますが、日本史を題材としつつも、武家の時代以降に割り切っているのが潔いと思います。実際、リスク同様、戦闘システムがゲーム全体の骨幹であるHistory of the Worldのシステムで平安時代を描くというのは、無理があるかも知れません。実際このゲームには特別ルールの類が無いのがその証と言えましょう。
 とは言え、私は残念ながらプレイしたことがないのですが、NiftyのFREKIMTでは「History of Japan」という、History of the Worldのシステムで日本史全体を扱ったゲームが有志で作られたそうです。同システムの人気の高さは何処でも共通のようですね。(^_^)

YEN      

 

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