1998年8月8日のTSS例会にて、信長最大の危機(GJ#49)をプレイしましたので報告します。
 私が織田軍、KIさんが反織田軍でした。選択ルールは採用しませんでした。

第6ターン終了時の情勢

第6ターン終了時の情勢

 第1ターン、最初の織田の移動では行動力が4しかなく、金ケ崎が脱出した位で終わってしまいます。石山本願寺は三好軍により増強されたので、その後の移動で織田は箕作を包囲します。
 第2ターン、織田は箕作の六角の一部を調略で切り崩し、残りは強襲で攻め落とします。また、余勢を駆って長島の一向一揆も攻略を始めます。
 第3ターンは反織田全てが活動するも、織田は活動できませんでした。第4ターンはいきなり終わってしまいます。第5ターンも反織田は全て活動します。
 第6ターンも反織田が全て活動しますが、取りあえず長島一向一揆は鎮圧されます。しかし、武田が参戦し、長篠の中立勢力に圧力をかけています。
 第7ターン、長篠にいた武田軍は隣の峠道から補給を得ていました。ここで浜松にいた徳川家康は総大将に任命されるや峠に攻め込んで山県昌景を撃破します。それとともに、尾張から信長が長篠に駆けつけて、補給切れとなった武田信玄の主力を撃破します。これが影響したか、このターンの末に武田信玄は病死します。
 第8ターン、織田は馬場信春を調略し、いっきに甲府に進撃します。第9ターンはすぐ終わりましたが、第10ターンに織田は武田勝家を破り、武田は崩壊します。
 このころ、信長主力がとって返す前にと言うことで、浅井・朝倉軍が京都に進入を図り、ほぼ同兵力の軍が対ウします。しかし、戦いの寸前明智光秀が総大将に任命されるや、戦いは織田方のペースとなり、浅井・朝倉は一方的な損害を喰らって撤退に追い込まれます。
 しかし、終了チットが相次ぎ、15ターンまで織田は精彩の欠いた行動に止まり、横山を取るに止まります。このターンに急ぎ小谷を攻めて陥落させますが、謙信は参戦してしまいます。
 17ターン、織田軍は朝倉に総攻撃を行い大打撃を与えますが、追撃に失敗します。結局朝倉が滅んだのは19ターンでした。
 そしてこのターン、加賀にいた一向一揆を滅ぼした織田軍は、上杉謙信と雌雄を決します。本当は北陸方面は時間を稼いで、その間毛利か一向一揆を撃退した方が良かったのでしょうが、もう例会の時間も残り少ないので、派手にプレイしてみました。ここで、謙信は非常に善戦し、三倍はいるかと思われた織田軍はみるみる消耗、最後には上杉謙信と、徳川家康・織田信長どうしの一騎打ちとなりました。しかし、最後のイニシアチブは織田方のものとなり、上杉謙信は戦いの中に果てることとなりました。

 ここで、時間のためゲームを終了しました。

 今回の反織田軍は、非常にサイコロ運が悪く、特に城攻めでは、上杉謙信が富山の中立勢力を攻めるのに3回も失敗するなど、ツキに見放されていました。
 今回のプレイで織田が武田を崩壊させたのは、多分に運が良かったのはありましたが、その後の浅井・朝倉の崩壊は、上杉の到着と紙一重でした。織田方にも終了チットが相次ぐという不運はありましたが、上杉も富山攻めで手間取るという不運がありましたので、運の部分は相殺されることを考えると、浅井・朝倉攻めを武田戦の後に持ち越すと、上杉の参戦前に浅井・朝倉を滅ぼすのは結構きわどいと言えそうです。上杉の参戦時に浅井・朝倉が残っていると、上杉の弱点である、「副将が居ない」と言う点が克服されてしまい、非常に手強くなりますから、注意が必要です。
 あと、対上杉戦線は、いつもは遅滞防御だったので気が付かなかったのですが、やはり上杉謙信はもの凄く強いですね。最初のイニシアチブで同時攻撃であったにも関わらず、3倍の織田方と良い勝負をしてしまいました。普通にプレイするなら正面攻撃はやはり避けた方がよいのでしょう。

YEN      

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