1999年9月5日にPaths of Glory(GMT)をプレイしたので報告します。私とTraJanが同盟軍、ハナザー大将さんが連合軍でした。
第1ターン終了時の情勢
第1ターン(1914年8月)、同盟軍はGuns of Augustイベントを用い、 Liegeは陥落させ、仏第5軍に大きな損害を与えます。独軍は更にBEFを退けますが、モルトケの指揮に乱れが起こったため、独軍の進撃はストップします。
同盟軍 3/4 3/4 2/2 4/4 3/4 4/4
連合軍 3/4 3/4 3/4 4/4 2/2 4/4
第2ターン(1914年9月)、まず同盟軍はファルケンハインが参謀総長の職を拝命し、進撃の用意を調えます。独軍の増強をみた英軍は、Ostendを撤退しCalaisに籠城。英軍強しと見た同盟軍は矛先を変えてAntwerpの守備隊を撃退しますが、攻城戦には失敗します。
同盟軍 4/4 3/4 3/4 4/4 2/2 2/2
連合軍 4/4 2/2 2/2 3/4 2/2 2/2 4/4
第3ターン(1914年秋)、西部戦線では戦線が膠着しつつあり、Antwerpが陥落したくらいでした。東部戦線では早くもルーマニアが参戦。オーストリア軍が対応に追われますが、東部でもあまり大きな動きはみられませんでした。
同盟軍 3/4 4/4 3/4 2/2 2/2 2/2
連合軍 3/4 3/4 5/5 4/4 2/2 3/4
第4ターン(1914年秋)、ロシア軍は東部戦線でCzernwitzに対し攻勢を発動しますが、大損害を出して撃退されます。オーストリア軍は反撃に出ますが、賽の目が振るわず、戦果が出ません。この後、オーストリア軍はじりじり押されてゆくことになります。
この結果に鑑み、独軍は東部戦線で攻勢を発動、OsterowiseとLublinを占領します。
同盟軍 3/4 3/4 2/2 2/2 4/4 2/2 2/2
連合軍 2/2 3/4 3/4 3/4 3/4 4/4
第5ターン(1915年春)、ブルガリアが早くも参戦します。これに対応したのか、英軍はガリポリ作戦を発動します。
バルカン半島への兵力展開も考え、オーストリア軍はルーマニア軍を攻撃し、それなりの戦果を挙げましたが、兵力不足のため前進すると広がった戦線を維持できなくなるため、余り前進が出来ません。
同盟軍 5/5 2/2 2/2 2/2 3/4 記録無し
連合軍 4/4 2/2 4/4 4/4 2/2 4/4 記録無し
第6ターン(1915年夏)、イタリアが参戦します。
ブルガリア軍はブカレストを無血占領します。
フランス軍がMetsの攻略に成功しますが、その直後に独軍の反撃を受けて撃退されます。
オーストリア軍はイタリアに対し大攻勢をかけ、Veniceを占領しますが、その直後にイタリアは動員をかけて反撃を行い、オーストリア軍を撃退します。
また、小アジア半島方面でもロシア軍がトルコ軍に対し攻勢をかけ、大きな戦果を挙げていました。
同盟軍 3/4 3/4 3/4 4/4 2/2 5/5 3/4
連合軍 5/5 2/2 3/4 3/4 4/4 4/4
時間のためここでプレイは終了しました。
ゲーム終了時の情勢
歴史上の時間では1年間ほどのプレイでしたが、非常に面白かったです。\(^o^)/
We the People(AH)やHannibal(AH)システムの系統と聞いていたので、変な先入観があったのですが、このゲームのカードは、「イベント」と「作戦カード」が主な使い道です(他にも使い道はあります。)。
乱暴な言い方をすれば、point to pointシステムに賽子等のランダマイザーによる行動ポイントシステムを組み合わせた物に(A House Devided(GDW)を想定して下さい。)、イベントを組み合わせた物だと言うこともできます。その意味では、無難なシステムであり、We the People(AH)やHannibal(AH)とは同列では語れないような気もします。*
カード(イベント)が時代により増えて行くのも、the Great War in the Europe(XTR)のTed Raicerらしいですね。イベントがプレイヤーを楽しませると同時に、歴史的な方向付けの役目も果たしているようです。
* もちろん、イベントの組み合わせや順番をプレイヤーが選択できるという点は、We the People(AH)やHannibal(AH)に近いと言えます。
まだ一寸プレイしただけなのですが、色々なシステムの長所を取り出して、デザイナーが第1次世界大戦キャンペーンのために再構成したものだと言えそうです。私は同デザイナーのゲームは何れも楽しませていただきましたが、このゲームも当分楽しませてくれそうです。
YEN