2000年1月7日及び8日の福岡合宿にて、Paths of Glory(GMT)をプレイしたので報告します。私が同盟軍で、Wood・Birdさんが連合軍でした。
1914年冬の情勢
開戦とともにSedanの仏軍を排除して、フランスに侵入した独軍は、Verdunを中心とする仏軍に対して猛攻をかけます。1914年秋にはBelfortが陥落し、1914年冬にはNancyが陥落します。しかし、ここで連合軍は蒼き臥竜さんのページで紹介されている、Verdunを起点とする後退防御に似た配置を行い、VerdunのBEFの戦闘力もあって独軍が攻めあぐねます。
この頃、動員なったロシア軍は、オーストリア領に進入していました。オーストリアはカラパチア山脈を利用して防御しつつも、苦戦を強いられます。このため1915年初頭に有力な独軍が東部戦線に派遣され、こちらでも小康状態となりました。この時点で、Verdun攻略を諦めた独軍はSedanから撤退していました。
1915年秋には独軍は更に東部戦線を増強し、Warsawの要塞を破壊しますが、まだ東部戦線では両軍とも決定的な優位に立つことは出来ず、機動戦が続きます。
暫く消耗戦が続きましたが、1916年春に独軍は東部戦線での攻勢に成功を収め、白ロシアをほぼ占領します。また、1916年夏にオーストリア軍はセルビア領への進入を開始し、秋にはベオグラードを占領しました。1917年春にはセルビアのほぼ全土が制圧されました。
しかし、西部戦線では連合軍の攻勢があり、独軍はベルギーとフランスから撤退を強いられます。1916年夏にはAachenへの進入を一時的に許しました。秋以降は断続的にMetzへの攻撃が行われ、両軍とも消耗していきます。
1917年夏、ルーマニアはロシアを支援するため参戦しますが、逆にセルビア攻略を終えたオーストリア軍にルーマニア領への進入を許し、秋にはほぼ全土が制圧されてしまいます。西部戦線もこれに呼応して攻勢があり、独軍はMulhouseから撤退しました。
1917年秋、MEFがAdana近郊に上陸、これに対応するためトルコ軍等が戦略移動を行います。これに呼応してエジプトを出立した英軍はトルコ軍を退けて、アラビア半島をほぼ制圧します。
この直後イタリアが参戦し、同盟軍は連続した戦略移動が出来なかったため、対応が不十分となり、タイミング的には良い参戦時期でした。しかし、惜しむらくは補充カードにイタリアの補充がなかったことです。1918年冬にイタリア軍を撃破したオーストリア軍は快進撃を見せ、春にはローマを占領し、夏にはイタリア全土が制圧されました。
しかし、1918年秋には西部戦線で連合軍の大攻勢があり、一時的にFrankfurtへの進入を許します。この攻勢で一番大きな成果を上げたのは、独軍のミスにより、Metzの包囲を許してしまい、独軍2個軍が補給切れで壊滅してしまったことでした。しかし、西部戦線の攻勢も、イタリア方面から南仏に進入してきたオーストリア軍への対応に兵力を取られ、攻勢は先細りとなっていきました。
ゲーム終了時の情勢
終了時、ドイツは連合軍の進入を許し、オーストリアはほぼ独力でセルビア、イタリアを下し、ドイツとの協力でルーマニアを下していました。ロシアは領土をかなり失いながらも皇帝の支配は揺るがず、トルコはアラビアを失っています。
ゲーム上は17VPを獲得した同盟軍が勝利しました。たぶん世界大戦の勝者はオーストリアだったのでしょう。
非常に面白かったプレイでした。このゲームは途中でどちらかのプレイヤーがモラル崩壊を起こすことが多く、最後までプレイできる機会はそうそうないので、その意味でも良かったです。
実のところ、途中で「もう駄目かな」と思ったこともあったのですが、諦めずにプレイすると以外となんとか成る物ですね。
Update版がもうすぐ出るそうですが、是非プレイしてみたいですね。
YEN