1998年8月10日から13日にかけてthe Great War in Europe,the Great War in the Near East(XTR)をプレイしましたので報告します。
TraJan氏が西部同盟軍、紅氏が東部同盟軍、Endohさんが西部連合軍、私が東部連合軍でした。
このプレイでは以下のローカルルールを導入しています。
1 独軍は59xx以北に50個以上の歩兵師団、全ての騎兵師団、4個司令部を置かねばならない。
2 補給損耗はそのマップの手番プレイヤーのみ判定する
3 移動途中であっても、補給の切れるへクスへは前進できない。
4 補給切れの部隊は自軍最終補給源方向へは移動できる。
選択ルールは「ロシアの弾薬不足」「毒ガスの先制使用」「塹壕構築後の移動」を用いました。
第1ターン、フランドルに展開した独軍はNamur,Brussels,Charleoiを占領し、主力を持ってAntwerpを攻撃し、ベルギー軍に4個師団の損害を与えます。フランス国境方面でも攻勢に出て、OHLの助けにより強力なフランス軍2個スタックを撃滅しますが、自身もかなりの損害を受けています。
連合軍東部は、防備を固めます。
同盟軍東部は防備を固めたのみです。
連合軍西部は英軍主力がOstendへ撤退し、一部はLilleへ退却します。フランス軍主力は独軍に対して攻勢をを行います。
第1ターンの損害は、同盟西部軍が11個師団、同盟軍東部が0個師団、連合軍西部が19個師団、連合軍東部が0師団でした。
第2ターン、同盟軍西部はフランドル地方をほぼ征伐しつつ前進を継続、最先端はSoissonsまで達します。ベルギー軍は撃滅され、英軍の分遣隊も撃破されます。フランス軍正面でも小規模な攻勢を行います。
連合軍東部は戦線整理に止まります。
同盟軍東部はかなりの大部隊がセルビアに進入し、ロシア方面ではカルパチアで防御を行います。
連合軍西部は反撃を取りつつ、一部を独軍の動きに対応して援翼運動を行います。
第2ターンの損害は、同盟軍西部が7個師団、連合軍西部が9個師団、連合軍東部が0個師団、同盟軍東部が1個師団でした。
第3ターン、ターンオ−バーは起こりませんでした。ドイツの援軍3個師団は全て東部戦線に投入されます。
西部戦線は独軍はさらに深部に浸透、最先端はRouenまで達します。Abbeville近辺でOHLを発動し、攻撃を行っています。しかし、前進を優先したため仏軍の損害は大したことがありません。
東部戦線ではロシア軍が独軍に対して攻勢を行いInsterbergの独軍が壊滅、Lotzen近辺の独軍も損害を受けます。オーストリア正面では援軍待ちです。セルビア軍は司令部が逃亡しました。
同盟軍東部はドイツがKonigsbergを除いてThorn近辺まで後退します。オーストリア軍はカルパチアサに完全に撤退しますが、セルビア領内にも大軍が進入しています。
連合軍西部はDunkirkからフランス南部に続く戦線を構築し、この結果パリからRouen方面へ進んでいた独軍主力が補給切れに陥ります。
第3ターンの損害は、同盟軍西部が7個師団、同盟軍東部が1個師団、連合軍西部が7個師団、連合軍東部が4個師団でした。
第3ターン 西部戦線
第4ターン、同盟軍西部は包囲に陥った部隊が後退してゆきます。この時点で、補給切れの部隊は自軍最終補給源方向へは移動できるようにローカルルールを設定しました。
ロシア軍はドイツ正面ではInsburgからWarsawを結ぶラインで停止し、戦力を暫時南下させます。カルパチア最南部で攻勢を行い、オーストリア軍を撃破します。全線線にわたって、ターンオーバーに備えて2重戦線を張りました。
同盟軍東部は独軍が現状維持で、オーストリア軍がセルビアに更に侵入しています。
連合軍西部は軽く反撃を行います。このターンの終了時、戦線はDunkirkからAmiensまで続き、これを屈曲部としてフランス中部へと続くものとなりました。
第4ターンの損害は、同盟軍西部が3個師団、同盟軍東部が4個師団、連合軍西部が4個師団、連合軍東部が1個師団でした。
第5ターン、前の戦略ターンで同盟軍は半分程度の増援部隊を東部戦線に回します。ターンオーバーが起こりました。西部戦線も東部戦線も雨が降ります。
同盟軍東部はカルパチアでは後退します。また、Belgrade南方にいたセルビア軍を包囲し撃滅します。
連合軍西部は同盟軍を追撃します。
同盟軍西部はAmiens近辺の突出部から後退します。
連合軍東部はドイツ軍に対して攻撃を開始、Konigsberg近辺で独軍に損害を与え、Thornを占領します。しかし、Lodsへの攻撃は損害を出して撃退されます。
第5ターンの損害は、同盟軍西部が4個師団、東部が8個師団、連合軍西部が5個師団、連合軍東部が15個師団でした。
第5ターン 西部戦線
第6ターン、西部戦線では雨が、東部戦線では雪が降ります。
同盟軍東部はBelgradeを攻撃し、5個師団の損害を与えます。カルパチアではさらに後退します。また、Thronを奪回し、OberOstによりさらにロシア軍に打撃を与えます。
連合軍西部は前のターンに撤退した同盟軍を追撃し、Antwerpまであと1へクスまで迫っています。
同盟軍西部はAmiens近辺の突出部から後退します。
連合軍東部はドイツ軍に対してさらに反撃、Thornを奪回し、近辺の独軍にも大損害を与えます。しかし、Lodsへの攻撃は損害を出して撃退されます。
第5ターンの損害は、同盟軍西部が2個師団、同盟軍東部が8個師団、連合軍西部が2個師団、連合軍東部が13個師団でした。
第7ターン、1915年に入りました。両戦線で雪が降ります。独軍の東西の増援部隊の比率はだいたい3:2でした。
同盟軍東部はKonigsbergを除いて後退を行い、Posen付近へと撤退します。オーストリア軍はBelgradeを攻撃し、大損害を与えます。
連合軍西部は同盟軍を攻撃し、多少の打撃を与えます。西部戦線は多少膠着気味の感があります。
同盟軍西部は戦線を整理しつつ、多少の反撃を行います。
連合軍東部はKonigsbergを攻撃、両軍とも大損害を被ります。また、Danzigを占領、Lodsを奪回します。
第7ターンの損害は、同盟軍西部が3個師団、同盟軍東部が6個師団、連合軍西部が3個師団、連合軍東部が8個師団でした。
第8ターン 東部戦線
第8ターン、西部戦線は晴れ、東部戦線は雨が降ります。
同盟軍東部はLodsに対して反撃を行い、ロシア軍に多少の損害を与えましたが、奪回には失敗します。オーストリア軍はBelgradeを攻撃し、残り1ステップとなります。
連合軍西部は同盟軍をAntwerp近辺で塩素ガスを使用して独軍を攻撃します。
同盟軍西部は戦線を整理しつつ、多少の反撃を行います。
連合軍東部はKonigsbergを占領、Lods近辺の戦いで両軍とも大損害を被ります。
コーカサスでロシアは黒海での海上上陸を伴って、トルコ軍に対し攻勢を開始、トルコ軍に大きな損害を与えます。
第8ターンの損害は、同盟軍西部が3個師団、同盟軍東部が8個師団、連合軍西部が3個師団、連合軍東部が11個師団、中近東でトルコ軍が3個師団でした。
第8ターン コーカサス戦線
第9ターン、全戦線が晴れます。独軍の東西の増援部隊の比率は20:16でした。
同盟軍東部は突撃能力を持つ山岳兵を中心にOberOstによる攻撃を行います。Konigsbergを除いて後退を行い、Posen付近へと撤退します。オーストリア軍はBelgradeを占領します。この時点でドイツの東部戦線の司令部は5個となっています。
連合軍西部は同盟軍を攻撃し、多少の打撃を与えます。また英軍4個師団がガリポリに上陸します。
同盟軍西部は戦線を整理し、Soissonsを放棄します。
連合軍東部はKonigsbergを陥落させた部隊が南下を始め、多少反撃も行いました。
エジプトでは英軍がトルコ3個師団を撃破しつつ前進を行っています。
第9ターンの損害は、同盟軍西部が4個師団、同盟軍東部7個師団、連合軍西部が4個師団、連合軍東部が15個師団、エジプトでトルコが3個師団でした。
第10ターン、同盟軍東部は突撃能力を持つ山岳兵を中心にOberOstによる攻撃を行います。Lods近辺でのこの攻撃はロシア軍に多大な損害を与えることになりました。
連合軍西部は同盟軍を攻撃し、多少の打撃を与えます。また英軍4個師団がガリポリに上陸します。
同盟軍西部は戦線を整理し、Soissonsを放棄します。
連合軍東部はKonigsbergを陥落させた部隊が南下を始め、多少反撃も行いました。
エジプトでは英軍がトルコ3個師団を撃破しつつ前進を行チています。
第10ターンの損害は、同盟軍西部が4個師団、同盟軍東部7個師団、連合軍西部が4個師団、連合軍東部が15個師団、エジプトでトルコが3個師団でした。
第11ターン、同盟軍東部はLods近辺で反撃を行い、ロシア軍に多大な損害を与えます。
連合軍西部は同盟軍を攻撃します。AntwerpとBrusselsにはあと1へクスまで迫っています。また、英軍1個師団と仏軍3個師団がサロニカに上陸しています。
同盟軍西部は多少反撃を行います。
連合軍東部は一部で反撃を行いますが、司令部が撤退を始めます。
コーカサスではロシアが攻勢に出て、トルコ軍2個師団を撃破し、Trebizondに隣接します。 エジプトでは英軍がトルコ3個師団を撃破しつつ前進を行っています。
第11ターンの損害は、同盟軍西部が6個師団、同盟軍東部9個師団、連合軍西部が3個師団、連合軍東部が17個師団、コーカサスでトルコが3個師団でした。
第11ターン、イタリアが参戦します。
同盟軍東部は大攻勢を行い、大きな戦果を挙げます。特にオーストリア戦線ではロシア軍の戦線を崩壊させます。しかし、独軍の正面ではあまり前進できていません。
連合軍西部は同盟軍を攻撃しますが、殆ど前進できていません。
同盟軍西部は多少反撃を行います。
連合軍東部は一部で反撃を行い、両軍とも大きな損害を出します。
第11ターンの損害は、同盟軍西部が6個師団、同盟軍東部12個師団、連合軍西部が3個師団、連合軍東部が25個師団でした。
第12ターン、独軍の東西の増援部隊の比率は20:17でした。
枢軸軍東部はOberOstにより攻撃を掛け、かなりの戦果を挙げますが、前進はできませんでした。
連合軍西部はメッツ要塞をフランス軍により包囲しますが、独軍の反撃により、包囲環を解かざるえませんでした。また、イタリアが攻撃を行い、両軍とも損害を出しています。
同盟軍西部は反撃を行っています。
連合軍東部は一部で反撃を行いますが、全ての戦闘結果が1の結果と終わり、両軍大損害となりました。
ガリポリではイギリス軍とトルコ軍のフルスタック同士の消耗戦が続き2ヶ月で各6個師団の損害がでました。
第12ターンの損害は、同盟軍西部が3個師団、同盟軍東部21個師団、連合軍西部が3個師団、連合軍東部が32個師団、ガリポリで仏軍が1個師団でした。
第13ターン イタリア戦線
第13ターン、独軍はLods南方にシフトして攻撃を掛け、それなりの戦果を挙げます。また、ブルガリア軍がサロニカの英仏軍スタックを攻撃します。
連合軍西部は攻撃を行い、Luxenbourgを占領します。このとき、インメルマンが戦死しました。
同盟軍西部は反撃を行っています。
連合軍東部は一部で反撃を行いますが、全ての戦闘結果が再び1の結果と終わり、両軍大損害となりました。
ガリポリではお休みです。
第13ターンの損害は、同盟軍西部が5個師団、同盟軍東部9個師団、連合軍西部が8個師団、連合軍東部が21個師団、サロニカで英軍がQ個師団でした。
第14ターン、潜水艦が猛威を振るい、英国の経済が悪化します。
独軍はLods南方にシフトして攻撃を掛け、それなりの戦果を挙げます。また、オーストリア軍がサロニカを攻撃し、損害を被りながらも、英軍に被害を与えます。
連合軍西部は攻撃を行い、Namurを奪回します。また、イタリア軍も損害を出しつつ攻撃を行っています。
同盟軍西部は反撃を行っています。
連合軍東部は一部で反撃を行いますが、全ての戦闘結果が再び1の結果と終わり、両軍大損害となりました。
ガリポリではお休みです。
第14ターンの損害は、同盟軍西部が5個師団、同盟軍東部8個師団、連合軍西部が8個師団、連合軍東部が9個師団、サロニカで仏英軍が4個師団でした。
第15ターン、Uボートの活躍により米国の対独感情が悪化し、独軍は無制限潜水艦戦の廃止に踏み切ります。独軍の東西の増援部隊の比率は2:3でした。
枢軸軍東部はOberOstにより攻撃を掛け、かなりの戦果を挙げます。オーストリア軍がサロニカを攻撃し、損害を被りながらも、英軍に被害を与えます。
連合軍西部は攻撃を繰り返しますが、前進は余りできません。
同盟軍西部は反撃を行っています。
連合軍東部は一部で反撃を行い、両軍大損害となりました。
第15ターンの損害は、同盟軍西部が3個師団、同盟軍東部14個師団、連合軍西部が3個師団、連合軍東部が22個師団、ガリポリで英軍が3個師団でした。
第16ターン、西部戦線では雨が、東部戦線では雪が降り出します。
枢軸軍東部はOberOstにより攻撃を掛け、かなりの戦果を挙げ、Lodsを占領します。オーストリア・ブルガリア軍がサロニカを攻撃しますが、一方的な損害を被ります。
連合軍西部は攻撃を繰り返しますが、前進は余りできません。
同盟軍西部は戦線整理を行い、Brusselsを事実上放棄します。
連合軍東部は一部で反撃を行い、両軍大損害となりました。
第16ターンの損害は、同盟軍西部が5個師団、同盟軍東部9個師団、連合軍西部が4個師団、連合軍東部が15個師団した。
第17ターン、1916年に入りました。独軍の東西の増援部隊の比率は23:2でした。両戦線で雪が降っています。
枢軸軍東部はロシア軍に攻撃を掛けています。
連合軍西部はBrusselsを占領し、攻撃を繰り返します。
同盟軍西部はAntwerpを放棄し、ベルギー領内から大規模な撤退を行い、1914年攻勢で得た地歩を殆ど失います。
連合軍東部はオーストリア軍に反撃を行います。しかし、独軍正面では完全な守勢に回りました。
エジプト方面では、英軍がガザラインにまで到達しています。
第17ターンの損害は、同盟軍西部が6個師団、同盟軍東部13個師団、連合軍西部が4個師団、連合軍東部が16個師団した。
第17ターン 西部戦線
第18ターン、両戦線とも雨が降っています。
枢軸軍東部はロシア軍に攻撃を掛けています。
連合軍西部はベルギーにいる独軍の退路を断つべく攻撃を繰り返します。
同盟軍西部はベルギーにいる軍隊はLiegeに立てこもります。
連合軍東部は反撃を行い、両軍大損害となりました。
第18ターンの損害は、同盟軍西部が7個師団、同盟軍東部11個師団、連合軍西部が6個師団、連合軍東部が15個師団した。
第19ターン、独軍の東西の増援部隊の比率は10:12でした。両戦線は晴れました。
枢軸軍東部はロシア軍に攻撃を掛けています。
連合軍西部は攻撃を行います。Metsを完全包囲し、Mulhouseを半包囲の状態にしています。
同盟軍西部は戦線を整理し、Liegeを放棄、ルクセンブルクからも完全に撤退します。
連合軍東部はワルシャワ前面にまで撤退しつつ、一部で反撃を行っています。
エジプト方面では、英軍がガザラインにまで到達しています。
第17ターンの損害は、同盟軍西部が9個師団、同盟軍東部10個師団、連合軍西部が7個師団、連合軍東部が18個師団した。
第20ターン、枢軸軍東部はOberOstにより大攻勢を行い、ロシア軍の戦線が崩壊します。
連合軍西部はヘイグの攻勢チットを引いてしまい、英軍は消耗戦を行います。仏軍はMetsに攻撃を行い、かなりの損害を与えます。
同盟軍西部は戦線を整理します。
連合軍東部は戦線が張れなくなり、残余兵力がワルシャワにスタック、その他の部隊は全面的に後退します。
第20ターンの損害は、同盟軍西部が7個師団、同盟軍東部6個師団、連合軍西部が7個師団、連合軍東部が14個師団した。
第20ターン 東部戦線
第21ターン、枢軸軍東部はワルシャワをホスゲンガスを使用して攻撃を開始、両軍とも損害が出ます。
連合軍西部はMetsを陥落させ、前線も前に進めます。
同盟軍西部は戦線を整理します。Aachenの隣のへクスを荒廃させます。
連合軍東部はネーマン川、Osewise、Brest-Litovskを繋ぐラインで防衛線を引きます。
第21ターンの損害は、同盟軍西部が12個師団、同盟軍東部3個師団、連合軍西部が11個師団、連合軍東部が5個師団と司令部3個でした。
第22ターン、独軍は増援を全て西部戦線に投入します。
枢軸軍東部はロシア領内に次々に進入し特に南方ではKievまで3へクスに迫ります。Warsawも攻撃しますが、惜しくも陥落しません。
連合軍西部は攻撃を行い、多少前進します。Aachenに隣接しました。
同盟軍西部は戦線を整理します。
連合軍東部は不用意に前進してきた独軍に反撃を行い、独軍の司令部1を含む多少の兵力を撃退します。
第22ターンの損害は、同盟軍西部が7個師団、同盟軍東部10個師団と1司令部、連合軍西部が15個師団、連合軍東部が9個師団でした。
第23ターン、ルーマニアが参戦します。
枢軸軍東部はWarsawを占領しますが、ロシア領内に進入していた独軍は戦線整理を行います。しかし、オーストリア軍はKievに着実に前進しています。
連合軍西部は攻撃を行い、多少前進します。
同盟軍西部は戦線を整理します。
連合軍東部は独軍に反撃を行い、損害を与えます。
第23ターンの損害は、同盟軍西部が7個師団、同盟軍東部10個師団、連合軍西部が8個師団、連合軍東部が9個師団でした。
第24ターン、枢軸軍東部は一旦後退し、戦線整理します。
連合軍西部は攻撃を行い、多少前進します。
同盟軍西部は戦線を整理します。
連合軍東部はさらに独軍に対し攻勢を行い、損害を与えます。Osewiecを奪回しました。
第25ターン、枢軸軍東部はWarsawとKonigsbergで拠点防御します。また、ロシア軍が撤退したKievを無血占領します。
連合軍西部は攻撃を行い、多少前進します。
同盟軍西部は戦線を整理します。
連合軍東部は追撃をせず、InsterbergとLotzenを占領し、戦線を整理します。また、逃げ遅れた独軍司令部を破壊します。
エジプトでは英軍がガザラインに多大な損害を与えます。
第25ターンの損害は、同盟軍西部が8個師団、同盟軍東部0個師団と1司令部、連合軍西部が6個師団、連合軍東部が1個師団でした。
時間のためここでゲームを終了しました。
第25ターン 西部戦線
結局今回の合宿では、1916年10月までのプレイとなりました。合宿の最終日は事実上移動日だったので、正味3日ほどのプレイでしたが、最後までプレイするとすれば、おそらくあと2日くらい必要なのでしょう。6日間の合宿をするのは社会人にはかなり困難ですので、最後までプレイしたい人には、インターネットに発表されている1915年や1916年から始まるシナリオをプレイするのも一考かも知れません。 さて、今回のプレイでは、以下のローカルルールを導入しました。
1 独軍は59xx以北に50個以上の歩兵師団、全ての騎兵師団、4個司令部を置かねばならない。
2 補給損耗はそのマップの手番プレイヤーのみ判定する
3 移動途中であっても、補給の切れるへクスへは前進できない。
4 補給切れの部隊は自軍最終補給源方向へは移動できる。
以前発表したローカルルールは全て採用した訳ではなかったわけですが、初期のバランスを取る上で最も重要なのは1なので、バランス上の問題は特にありませんでした。
ただし、3については東マップでCluj(E3317)がGorlice(E3915)やPrezmysl(E3918)から4ヘクス以内でないため、ロシア軍が占領不能となり、オーストリア軍がこの方面を全く防御しなくなりました。また、メソポタミアではCtesphon(1641)がKut(1845)から4ヘクス以内でないため、やはり進撃不能となりました。これらの現象は不合理であると思われるため、5ヘクス目が町・都市等である場合は、そこからさらに補給をのばすことが可能とした方が良いと思われます(実際、今回のプレイでも西マップではそう考えてプレイしていたようです。)。
今回のプレイで特徴的だったのは、独軍の初期の西部に於ける攻勢が失敗し、そのため仏軍を十分に撃滅することが出来ず、その後の連合軍による西部戦線に於ける反撃を招いたことだと思われます。また、英軍に余裕が出たため、エジプト/パレスチナ方面に英軍が派遣され、トルコ軍が非常に苦しみました。
また、独軍はかなりの兵力を東部に派遣しています。これにより東部戦線の状況は回復しましたが、その分西部戦線が負担を受けた形になっています。
初期の西部戦線での攻勢については、ポイントは2つだと思われます。
まず、第1ターンの攻撃で戦闘結果表Bによる攻勢を選択したこと。戦闘結果表Aによる攻撃の場合、高比率で有れば、攻撃側は殆ど損害を受けません。戦闘結果表Bの場合は、相手にも大損害を与えますが、こちらも一定数損害を受けます。今回の攻勢は結果として全ての攻勢で賽の目が1となり、独軍西部は序盤に11個師団もの損害を被り、攻勢能力が減退しました。
次に、第3ターンに攻勢主力が包囲され、次ターンに包囲環を破る以外の行動が出来なかったこと。この連合軍による包囲は、前線にいた兵力と、港湾都市やMaubeugeに取り残された兵力が移動してきて行われたものです。仮に独軍が連続した戦線を引いておき、通常補給をカットして、港湾都市には港湾補給のみ、Maubeugeには要塞補給のみの状態の陥れておけば、前者は港湾から4ヘクス以内の移動、後者は全く移動できない状態に陥りますから、独軍主力が包囲される事態にはならなかった筈です。
何れにせよ、独軍が初期に攻勢能力が減退し、第3ターンの活動を無駄にしたため、初期の弱い仏軍を十分に撃破することが出来ず、独軍の優位性が弱まってしまいました。
このゲームでは、特に塹壕が構築されるまでは、戦闘は攻撃側有利であり、一旦兵力差が付くと、どんどん防御側が不利になって行く傾向があります。今回は序盤で兵力差が付かなかったので仏軍の崩壊の目が無くなり、中盤以降独軍が東部戦線を重視したため、西部連合軍の方が兵力的に優位に立ち、独軍を国境まで駆逐する展開になったのだと思われます。
東部戦線については、ポイントは3つあったと思われます。
まず、ロシア軍の攻勢がオーストリアに向かわずドイツ方面へ向かったこと。これはローカルルール3のため、オーストリア軍がCluj方面を全く守らず、カルパチア山脈西部にフルスタックして、全く隙を作らなかったのが原因です。ロシアに攻勢兵力が溜まった雨天季には、1:1の戦闘比を立てる見込みが無くなっていました。そのためロシアの矛先はドイツに向かい、それなりの成果を上げましたが、一般に防御力が高い独軍相手では戦闘比が上がらず、大きな損失を与えることにならなかったようです。
このため、同盟軍は特にオーストリア軍の兵力を温存することが出来、ドイツの大量の援軍と相まって、ロシア軍に対する強力な反撃を加えることが出来ました。主に南方で活躍するオーストリア軍が残ったため、Kievの陥落は避けられないものとなったようです。
私は、ロシア軍の選択肢として、オーストリア方面への攻勢ではなく、ドイツ方面へ向かう、というのは有っても良いと思われます。しかし、ドイツ方面へ向かう以外選択肢がない、というのは好ましくないと思いました。従って、上記したとおりローカルルールは改訂すべきだと思います。
次に、独軍がかなりの兵力を東部に派遣したことです。これにより史実以上にロシア軍は打撃を受け、おそらくかなり早い時期に崩壊すると思われます。兵力の逐次投入よりも弱いところを突くと言う点で、悪い兵力配分ではなかったと思われます。しかしながら、西部戦線では殆どドイツ国境まで押し戻され、南方ではマップ端まであと3ヘクスまで迫っていました。マップ端は勝利条件ヘクスでもあるので、仮にここを大量に奪われると、同盟軍に勝利の目はありません。多少の反撃兵力は必要であったのかも知れません。
最後に、ロシア軍が第19ターンに撤退すべきであったにも関わらず、時機を逸したことです。このターンは援軍を得られる戦略ターンまで作戦ターンが3ターンと長い時期にあたっており、独軍がOberOstを使っていないこともあって次ターンの大消耗は予測されていました。にもかかわらず兵力を最前線に投入し、無用の損害を増やしてしまいました。
ゲームを通じての感想としては、同盟軍が余りイニシアチブ交代によるターンオーバーを行わなかったことです。ターンオーバーによるダブルムーブは非常に強力な為、積極的に利用すべきだと思われるのですが、状況が許しませんでした。
特にイニシアチブを握っていた同盟軍東部は、側面防御は最低限の兵力にとどめ、集中的に兵力を投入するムーヴを見せていました。この効率的な兵力運営によりロシア軍に打撃を与えた反面、ロシア軍のムーヴにより、次にイニシアチブが反転した場合、同盟軍東部は側面防御に危険を伴う情勢になっていた事が多く、ターンオーバーが出来ないことが多かったようです。
何れにせよ、学ぶことの多いプレイでした。何分ビックゲームのため、今後プレイする機会が有るかどうかは分かりませんが、少なくとも今回のプレイは無駄にはならないと思っています。
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