清須城跡(愛知県西春日井郡清洲町)
思いがけない名古屋ができて 花の清須は野となろう
天守台跡 五条川(内堀の一部でもある)
応永12年(西暦1405年)尾張守護斯波義重が築いた清須城は、以後守護代織田家の所有するところとなり、以後守護代の勢力の伸張に伴い、文明8年(西暦1476年)守護所とされ、以後尾張の中心地として機能しました。
この地が栄えた要因としては、五条川の水運と、鎌倉街道の陸運が交差する交通拠点であったことが挙げられます。
弘治元年(西暦1555年)、織田家の分家であった那古屋城主織田信長は、守山城主織田信光と共同してこの城を攻め落とし、本拠としました。以後の城主の交代は以下の通りです。
織田信忠
織田信雄
羽柴秀次
福島正則
松平忠吉
徳川義直
しかし、慶長14年(西暦1609年)徳川家康は名古屋への遷府を指示し、慶長18年には城下町を含む全ての城塞・都市機能が名古屋に移転され、清洲は廃墟と化しました。冒頭に記載した歌は、清須越しについて当時詠われたものです。
なお、名古屋城の西北櫓(清須櫓)は、清須城の小天守が移築されたものだともいわれています。
模擬天守 信長公像
現在、清須城跡は清洲公園として整備されていますが、本丸を分断する形で東海道本線と東海道新幹線が走り、城址は2分された形となっています。また、本来の天守台と川向かいに模擬天守が建築されていますが、歴史的沿革を有さないいわゆる「平成の名城」にすぎません。
しかしながら、現在でも発展の礎となった五条川は健在であり、東海道新幹線、東海道本線や東名阪自動車道、国道22号が間近を通る地理的要因から、この地の重要性を偲ぶことができます。
模擬天守から眺めた本丸周辺
○清洲城天守閣開館時間
午前9:00〜午後4:30、12月29〜31日は休館
○清洲城天守閣入場料
大人300円、小人150円(団体割引あり。)
○交通機関
名鉄名古屋本線新清洲駅より徒歩15分
名鉄バス名岐線(清洲経由)清洲(清洲城)バス停より徒歩2分
JR東海東海道線清洲駅より徒歩15分
東名阪自動車道清洲東インターより車5分
○注意事項
平成10年1月1日現在、清洲公園の一部は河川護岸工事のため、立ち入りができません。
○問い合わせ先
清洲城管理事務所
愛知県西春日井郡清洲町大字朝日字城屋敷1−1
TEL 052-409-7330 FAX 052-409-6697
以上報告者 YEN でした。