小牧山城跡(愛知県小牧市)
小牧山全景
永録3年(西暦1560年)、尾張地区の統一を進めつつあった織田信長は、本拠を清洲から小牧に移し、小牧山に新たに城を築きました。尾張北部(尾北)地区の平定と、当時美濃を治めていた斎藤龍興(たつおき)を攻めるための策源としてこの城は機能することとなります。
小牧山は標高85.9メートルのそれほど高くない山ですが、尾北地区では犬山周辺まで行かねば他に目立った山がありませんので、戦略上重要な位置を占めていたと想像されます。
その後信長が龍興を滅ぼした後、信長は本拠を岐阜に移したためこの城は廃城となりました。
しかし、天正12年(西暦1584年)、織田信長の後継者を巡る争いから羽柴秀吉と徳川家康が対立し小牧・長久手の戦いが勃発、小牧山は家康の本陣が置かれ、再び歴史に名を残すこととなりました。
なぜか公園にいた兎 小牧市資料館
小牧山は江戸自体まで尾張藩直轄領で立入禁止したが、明治以後は徳川家の所有地となり、昭和3年(西暦1930年)に小牧市に寄付されて、山全体が公園となっています。昭和43年(西暦1968年)には天守郭に擬した資料館が作られ、現在に至っています。
1998年5月8日付朝日新聞朝刊(名古屋本社発行)に面白いことが書いて有りましたので紹介します。
昭和初期の徳川家から小牧市への寄付の際に、「原型を変えず、完全に保存する」条件が付けられていたそうです。ところが、戦争末期か終戦直後かの役場の火災で書類が喪失され、その後その約束は忘れ去られていました。
1947年に堀があった東斜面を平地にして小牧中学校が開設され、1965年には南斜面に小牧市役所が建てられ、1968年には山頂に小牧市資料館が建てられ、約束は破られました。
その後、1982年頃に小牧山公開55周年記念式典を準備の際、徳川家所有の寄付申込書の存在が市側に明らかになり、徳川家からの要請もあり、市は復元に乗り出しました。
1988年市役所の分庁舎を建設し、一部の機関が移りました。1998年春には小牧中学校が57億円をかけて移転されました。中学校の跡地は緑地公園にする案が有力だそうです。しかし、市役所の移転は、26億円を積み立てたものの、まだ資金不足で移転の目処が立っていないようです。また、小牧市資料館は個人から寄付されたものであることと、市民から愛着を持たれていることから、取り壊す予定はないそうです。
○小牧市資料館開館時間
午前9:00〜午後4:30、毎週木曜(祝日の場合はその翌日)と年末年始は休館
○小牧市資料館入場料
大人100円、小人50円(団体割引あり。)
○交通機関
名鉄小牧線小牧駅より徒歩15分
名神自動車道小牧インターより車5分
以上報告者 YEN でした。