1998年8月1日にthe Great War in Europe(XTR)をプレイしましたので報告します。
私が連合軍、TraJan氏が同盟軍でした。
このプレイでは以前発表したローカルルールを導入しています。
西部戦線セットアップ
第1ターン、フランドルに展開した独軍はNamur,Brussels,Charleoiを占領し、主力を持ってAntwerpを攻撃、OHLの助けを受けて、ベルギー軍を完全に撃滅します。フランス国境方面では兵力不足のため、仏軍の小部隊を撃破するに止まります。
連合軍東部は、独国境では防備を固めます。また、オーストリア正面で小規模な攻撃を行った他は戦線を張るに止めます。
同盟軍東部は防備を固めたのみです。
連合軍西部は英軍がOstendへ撤退し、フランス軍は戦線整理とソンム川方面への転進を行います。
第1ターンの損害は、同盟西部軍が4個師団、同盟軍東部が1個師団、連合軍西部が12個師団でした。
第2ターン、同盟軍西部はフランドル地方をほぼ征伐しつつ前進を継続、最先端はSoissonsまで達します。主力はMaupeugeを攻撃してこれを陥落させます。また、南方の独軍もVerdanを基点に東から回り込もうとしています。
連合軍東部は戦線整理に止まります。
同盟軍東部はInsterburg近辺で攻勢をかけ、ロシア軍2個師団を撃破します。
連合軍西部は南方で一部攻勢を行うものの、全般的には戦線の整理を行い、ソンム川のラインで戦線を張ります。
第2ターンの損害は、同盟軍西部が4個師団、連合軍西部が6個師団、連合軍東部が2個師団でした。
第3ターン、ターンオ−バーは起こりませんでした。ドイツの援軍3個師団は全て東部戦線に投入されます。
西部戦線は一応戦線が形成されますが、急ごしらえの戦線は、非常に薄い部分の存在する不完全なものでした。同盟軍西部はここにつけこみ、弱い部隊をねらい打ちします。
東部戦線ではロシア軍が独軍に対して攻勢を行いますが、大失敗に終わります。十分な援軍を待たずに攻勢を行うのは、自殺行為といえそうです。オーストリア正面では援軍待ちですが、セルビア軍が限定的な攻勢を行っています。
連合軍西部はSoissons近辺で反撃を行い、独軍の突出部を撃退することに成功します。またこのターンの戦略移動期に、英軍の一部の部隊がフランス本土へ海上移動します。
第3ターンの損害は、同盟軍西部が7個師団、同盟軍東部が6個師団、連合軍西部が8個師団、連合軍東部が9個師団でした。
第4ターン、同盟軍西部はOHLを利用しつつ弱小な仏軍を撃破しますが、戦線は殆ど動きがありませんでした。
ロシア軍は懲りずに攻勢を続行します。しかし、戦闘結果は殆ど相打ちでした。オーストリア正面ではまだ援軍待ちです。ターンオーバーに備えて2重戦線を張ります。
同盟軍東部は独軍が限定的な攻撃を行うと同時に、オーストリア軍がモンテネグロ軍を撃破しています。
連合軍西部は反撃を行い、NancyとEpinal近辺で独軍の戦線に穴をあけることに成功します。
第4ターンの損害は、同盟軍西部が5個師団、同盟軍東部が6個師団、連合軍西部が9個師団、連合軍東部が6個師団でした。
都合によりここでプレイを終了しました。
この後の戦略ターンでは同盟軍は3分の2程度の増援部隊を東部戦線に回す予定だったようです。西部戦線で独軍の戦線に穴ができたので、ターンオーバーは起こり辛い状態であったと思われます。
ゲーム終了時の情勢
今回のプレイに於ける連合軍西部の第1ターンの損害は12個師団でした。内ベルギー軍が7個師団に、北方の仏軍の騎兵が2個師団ですから、南方の仏軍は3個師団が撃破されたのみです。
これまでのプレイでは、兵力構成が一旦悪化すると、十分な防備をすることが出来ず、それが更に高い戦闘比での攻勢を呼び、Delimスパイラルとでも呼ぶべき悪循環に陥っていました。しかし、ローカルルールにより、初期の兵力が保全される結果、その後のプレイにも好ましい影響を与えるアととなったようです。
今回のプレイでは、西部戦線はソンム川当たりで膠着状態となりましたが、こういう展開もあり得たかと思われますので、取りあえずゲームをいきなり崩壊させないと言うローカルルールの所期の目的は達したかと考えています。
YEN