History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re^2: 伊戦艦対英巡洋艦
投稿日: 2005/05/08(Sun) 15:17
投稿者WalkingAircraftcarrier

山家さん、皆さん、こんにちは。

>  魚雷の命中を期待できるような近距離とは、まず具体的にどれくらいの距離を想定されておられるのでしょうか。

魚雷の「射程距離」は、魚雷の速度設定によっても、敵の前方から射つか後方から射つかによっても違うので、一概にはいえないと思いますが、歴史群像70号の伊吹秀明さんの記事「スラバヤ沖海戦」では「一般的には7000メートル」とされています。英軍魚雷の馳走距離はわからないのですが、米軍のMk15魚雷の馳走距離は、速度45ktで5500m、33ktで9150m、26ktで13500mです。実戦例では、チャネル・ダッシュで英駆逐艦が4000メートル後方から射って外し、サマール沖海戦で米駆逐艦が8000メートル前方から射って1発当てています。(昼間戦での命中例としてこの例を追加します)

日本軍の93式魚雷の馳走距離40000mは速度36ktでのものですが、実戦では(知る限りでは)この距離では射っていません。日本海軍の昼間魚雷戦例では、スラバヤ沖6000〜25000mで137発1中、サマール沖8000〜13000mで42発0中、アッツ沖15000〜21000mで43発0中です。(GJ11号MORさん「幻想の無敵海軍」)

この辺の数値から考えると、魚雷の命中を期待するには7000mくらいまで接近しないといけないのではないでしょうか。

次に、イタリア海軍の戦艦戦術についてですが、文献的な直接証拠は残念ながら知りません。
私の理解では、
1.WWU勃発前の戦術思想(各国とも)では、戦艦は随伴艦つきで昼間(ユトランド沖式で)戦闘するものとされていた、と理解しています。(それと、戦艦の最大の長所は長距離砲戦ができることだと思うのですが、夜戦では長距離砲撃での弾着観測が十分できなおのではないでしょうか?)

2.実際にイタリア戦艦が出撃した実戦で、イタリア戦艦は会敵後に夜になると例外なく引き揚げている、という印象を受けています。(カラブリア沖、スパルティベント沖、マタパン沖)イタリア戦艦が夜戦を求めて行動した例、随伴艦なしで行動した例を、私は見つけられませんでした。

これらの点から、「イタリア戦艦は随伴艦なしでは戦闘させず、かつ夜間には戦闘させない、という戦術原則をとっていた」と結論した次第です。

>それに伊海軍に巡洋艦・駆逐艦が豊富にあるとはいえ、英海軍から見れば、3分の1程です。1対1で刺し違えられてしまえば、すぐに裸にされてしまいます。

イタリア海軍の戦略は、単独で英海軍の全軍を相手にするわけではない…英海軍は艦艇の相当部分を他に拘束されて地中海戦域に投入できない、という前提で立てられていたはずです。また、戦艦が参加する戦闘で、英艦隊の補助艦が刺し違えのために突進してくる、ということが、戦術的にありうるのでしょうか。

> ラプラタ沖海戦で同程度の主砲を積んでいるグラフ・シュペーは、列強の重巡洋艦の中では小型のエクゼターを沈められませんでした。伊の改装戦艦が英重巡洋艦と対戦した場合、同様の事態になると私には思われるのです。

ラプラタ沖でグラフ・シュペーは、単艦で3隻の巡洋艦を相手に、エクセターを戦闘不能にし、アキリーズとエイジャックスにも相当の損傷を与えており、自艦の損傷は敵よりも軽微でした。ラプラタ河口に逃げ込んで自沈したのは、根拠地まで帰れそうにないという戦略的事情からで、戦術的には巡洋艦群を圧倒しています。
まして、グラフ・シュペーが11700tの28p2砲塔6門艦なのに対して、イタリアの改造戦艦は27000〜28000tの32p4砲塔10門艦で、戦闘力は完全に1クラス違います。

30年代に12インチ級艦があまり建造されず評判が悪いのは、対費用効果が悪すぎること、コンセプトが中途半端で実戦で運用しづらいこと、が原因ではないでしょうか。対巡洋艦の現実の戦闘力となれば、これとは次元の違う話だと思うのですが。


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