History Quest「戦史会議室」
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タイトル 7年戦争の背景となった外交ーマリア・テレジアとカウニッツ伯
投稿日: 2006/03/24(Fri) 20:57
投稿者山家

 18世紀の外交革命といえば、約300年に及ぶ宿敵ハプスブルク家とブルボン家が手を組んだことを指します。

 これを成し遂げるのに大きな力になったのが、マリア・テレジアと18世紀屈指の名外相と謳われることがあるカウニッツ伯の二人三脚のコンビです。

 しかし、最近、あらためて調べなおしていくと、外交革命を行おうという決断は、その時点から誤っていたのではないか、と思えだしました。

 この外交革命が、後知恵から考えるならば、失敗だったというのは、間違いないことのように思われます。何故なら、表面上からすれば、7年戦争において、陸軍戦力で圧倒していたにも拘らず、墺仏露の3国同盟は、普英の2国に中々勝てず、6年余りも苦闘する羽目になり、結局、露の寝返りにより、(異論はあると思われますが、仏の植民地の多くが英に奪われ、普が戦争前より強大化した以上、私としてはこう考えます)惨敗したのです。そして、マリー・アントワネットが仏王妃だったために、墺は仏大革命に干渉せざるを得なくなり、そして、結果論とはいえ、墺は更に没落の一途をたどって行ったのです。もし、外交革命がなければ、仏大革命は、仏国内にとどまり、欧州への波及は、史実より遥かに小規模なものに止まったと考えられます。こう考えていくと、外交革命は後知恵から言えば、明らかに失敗でしょう。

 しかし、そもそもオーストリア継承戦争において、仏は墺軍に圧倒され、普の気まぐれな救援が無ければ、墺に圧倒されています。そして、仏と同盟したために、英を決定的に普側に追いやり、普は英の支援により、7年戦争を戦い抜くことができました。英の支援が無ければ、普が6年も戦い抜くことはそもそも不可能だったでしょう。そう考えていくと、外交革命の失敗は、予め予期できるものではなかったでしょうか。

 そう考えていくと、外交革命は、WWU前の日独伊三国同盟締結が日本を敗北に追いやったのと同様に、墺を敗北に追いやったようにも思われるのですが、皆様はどう思われますか。


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