History Quest「戦史会議室」
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タイトル 本年は「七年戦争 開戦250周年」ですヨ
投稿日: 2006/05/09(Tue) 16:57
投稿者鉄仮面
参照先http://www.sevenyearswarassociation.com/Reference/ChronIntro.html

 18世紀の外交に特段詳しい身ではないのですが、こうして七年戦争ネタでスレッドが立つのは大変珍しい ―しかし何故か直ぐに落ち着いてしまいましたネ― ので、どうにも発言の誘惑に抗えませんでした(笑)。

 私は D-Boy さんへ近い意見となるでしょうか。
 マリア=テレジアとカウニッツは共に、シュレージェン奪回という目標に少しの迷いも有りませんでしたが、また自力のみではプロイセンに勝利できない現実も当初から認めていました。それが東西の大国を味方に得て“金(フランス)と兵(ロシア)”の両方を工面したのですから、やはり流石だったと言えるのではないでしょうか。
 一方でイギリスを普寄りにしてしまった事は、新たな同盟には新たな敵対(“リシャッフル”)が避けられない理から、取捨を量った結果 ―前戦争での経験から墺は英との同盟にコリゴリしていましたし― でありましょう。しかもその英との関係にしろ、戦闘状態に迄は陥るのを避け得た点で、存外まずい外交成果ではなかったと思います。(それにしても英の他国利用の狡猾さには脱帽です!)
 なお従前の大きな諸戦争と比べ、七年戦争の長さ(期間)は特異なものではありません。本当ならば、英の支援がストップした(61年の末)普へ『お前はもう既に死んでいる』宣告が為された時点で、女王と宰相の戦略は苦節の勝利を見る筈でした。もしも露の急落を想定していなかったのかという問いが出るとすれば、それは些か厳しすぎる様に感じます。

 ただし以上は、「外交革命」を短い時の流れの中だけで考えてみた、1つの素人意見に過ぎません。これが「仏大革命」をも含めて更に後の時空で考慮するとなると、もっともっと色々な推論や評価が可能でしょうね。
 大きな時の流れの中で「外交革命」を再考する機会を与えて下さった山家さんへ謹んで感謝致します。


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