タイトル | : Re^2: 7年戦争の背景となった外交ーマリア・テレジアとカウニッツ伯 |
投稿日 | : 2006/04/07(Fri) 21:45 |
投稿者 | : D−BOY |
みなさん、こんばんは、D−BOYです。
結論から言えば。この外交は
失敗ではない
です。
確かに、7年戦争でオーストリアは、シュレジエンを奪回できなかったので戦争目的を達成できませんでした。
しかし、プロシアも先制攻撃をしたにもかかわらず、オーストリアを倒せませんでした。
オーストリアに勝てなかったのは
オーストリア兵が強兵に代わっただけでなく、やはりフランス、ロシアの参戦でしょう。実際にフリードリッヒ大王は死を覚悟したぐらいです。また、プロシア領内にも踏み込まれ占領される勢いでした。
しかし、ロシアのエリザベータ女帝が崩御し政変が発生すると、プロシアの危機は去ります。この出来事は予想し難く、マリア・テレジアの外交の失敗にするのは結果論になるとおもいます。
マリア・テレジアはシュレジエン奪回は出来なかったが領土は守りきりました。同盟した事により、戦争になりましたが、それは、早まっただけで、いずれ戦争にはなっていたでしょう。
それならば、単独でプロシアと戦っていたいたら、かなり不利になっていたと予想されます。
「外交革命」はプロシアが強国に周りの国が警戒したミリタリーバランスの変化の結果で必然だったかもしれません。