History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re: 7年戦争の背景となった外交ーマリア・テレジアとカウニッツ伯
投稿日: 2006/04/02(Sun) 23:22
投稿者TraJan

 山家さん こんにちは。

 イマひとつ考えが纏まりませんし、大した歴史的知識を持っているわけでもありませんが、私は山家さんと大きく異なる歴史観を持っています。
 私の理解する「外交革命」とは、「仏墺の対立を機軸とした欧州の国際政治」から「仏墺同盟を機軸とした欧州の国際政治」への劇的変化を指す単語ではありません。私は外交革命とは、オーストリアの凋落を具体的に内外に示した事件であると捉えています。もともとオーストリアは欧州の覇者を目指して、フランスと対立してきましたが、ドイツを纏めることさえできなくなった状態では、フランスと比肩することは不可能で、オーストリアの国家目標を「ドイツの盟主」に変えざるを得ません。そうなれば、フランスとの対立の根本原因が無くなるワケで、フランスと手打ちするのは自然の流れだと考えられます。実際に当時の欧州の国際政治の機軸は「英仏の対立」と「普墺の対立」になっており、「仏墺関係」は枝葉の問題と化していたのではないでしょうか。オーストリアとしては敵はプロシアで、そのために英仏いずれかと同盟を結ぶ事を考えれば、仏墺同盟には大きな魅力があったと思います。
 また、外交革命はオーストリアにとって成功だったか失敗だったかの点について考えれば、7年戦争では充分に有利に戦いを進めることができたのですから、戦略的な失敗とは言えないとも思います。山家さんも言われるように7年戦争に勝てなかったのは結果論にすぎません。
 さらにフランス革命の波及度にも影響があったとのご意見ですが、これもどうでしょうか。革命フランスとオーストリアとの戦争は、フランス側が国内を纏めるためにオーストリアに宣戦したのがキッカケのはずです。それに王室の親戚関係で言えば、スペインはフランスと同じブルボン家ですからオーストリア以上にスペインに革命の影響が波及しなければならない事になりますが、実際にはナポレオン登場以前は革命の影響がスペインに波及したという話を聞きません。

 近年の日本で欧州の外交革命に似た事件が起こりました。自社連立と村山内閣の誕生がそれです。自民=フランス、社会=オーストリア、新進=プロシアと置けば、その相似性がハッキリします。状況としては、
「1:社会党の凋落は誰の目にも明らかであった」
「2:自民と新進の連立はほとんどありえなかった」
「3:社会党と新進党の支持基盤は重複部分が大きかった」
「4:従って社会新進連立は社会党の崩壊を意味した」
欧州の外交革命とは異なる点もありますが、上記4点を考えれば、戦略の是非ではなくて、「社会党の凋落→自社連立→社会党の崩壊」という歴史的必然姓を見ることができるようにも思えます。

それから最後にひとつ質問です。
「WWU前の日独伊三国同盟締結が日本を敗北に追いやった」とはどういう意味でしょうか? 三国同盟がなければ日本は敗北しなかったとお考えですか?


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