History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re: イタリアのドイツ傾斜と海軍拡張
投稿日: 2005/05/11(Wed) 18:15
投稿者WalkingAircraftcarrier

山家さん、ウィリーさん、皆さん、こんにちは。
いつもながら遅レスですみません。
ウィリーさんのおかげでアタマの中が整理できました。ありがとうございます。

1.「イタリアは対英戦を想定した軍備を整備しつつあったが、対英戦を想定した戦争計画は持っていなかった」という、ウィリーさんのご意見に賛成です。

2.イタリア単独で対英戦を戦えないことは戦力的・国力的に明らかすし、イタリアの原材料買付の40%が英国からだった(文庫クセジュ「ムッソリーニとファシズム」、「Q」と略称)ことからも、普通の状況では対英戦は考えられません。

3.しかし他方で、エチオピア侵攻など、地中海周辺で冒険をすれば必然的に英との関係が緊張するのですから、冒険路線をとるからには、英国抑止の意味からも、対英戦を想定した軍備は整備しなければならないはずです。

4.冒険路線をとるための全欧レベルの戦略環境の変化は、ドイツの35年の再軍備宣言以前、33年10月の軍縮条約と国際連盟からの脱退宣言(「第三帝国の興亡」、「S」と略称)によってすでに生じていたと考えます。この宣言の段階で、ドイツが再武装の方向に向かうことは容易に想定できるからです。
ドイツが再武装を準備していることは外国にも実際に知れていて、35年3月4日に発表された英国の白書には、ドイツの秘密再武装準備に対抗するため英国も軍備を増強する必要が生じた、と明記していました(S)。

5.イタリアがどの時点で冒険路線に転換したかは微妙ですが、私は、35年1月7日の伊蔵相ユングの解任が大きなターニングポイントになっているのではないか、と思います。Qによれば、これを契機に「イタリアはそれまでの国際敵通商・通過協調路線を捨てて、為替管理・輸入割当制・戦略的原材料の優先買付といった政策を選ぶこととなった」からです。同年の10月にエチオピア侵攻を行っていることと合わせて考えれば、この通商政策の転換は明らかに国際的冒険と緊張に備えるものだったと考えます。(外交的言辞には嘘が混じることが往々ありますが、家計簿はめったに嘘をつきません。)

……と考えるのですが、いかがなものでしょうか?


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