History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re: タイムリミットはいつか?
投稿日: 2005/01/02(Sun) 22:05
投稿者山崎 雅弘

WalkingAircraftcarrierさん、こんにちは。
あけましておめでとうございます。

> むしろ問題は、いつの時点でカラチの危機を知って(もしくは当然知
> りうべくして)それに対処する行動を取れたか、だろうと思います。ビーヴァーによれば第6軍司令部が気づいたのが、21日午前に集まってきた情報によって、ということです。フォン・メレンティンが引用している第3自動車化師団のディンクラー大佐のメモでも、21日には師団の後方補給所から攻撃されたという情報が次々に入った、とありますので、この段階では気づかなければいけないでしょう(もちろんB軍集団も)。ヒトラーの死守命令が出る前ですから合理的行動もできるはずですし。

スターリングラードの包囲戦を調べていて、大きな謎としてずっと引っかかっているのは、ドイツ軍とルーマニア軍との情報面での連携の不備なんですよね。前近代戦じゃあるまいし、わずか(と表現していいと思います、無線機とテレタイプで戦争をする時代ですから)150キロ西方の友軍が壊滅的な打撃を被っているというのに、丸2日間も気付かない(その深刻さの度合いに)というのは、やはり不思議です。ルーマニア本国経由で、ベルリンの方が先に知っていてもおかしくはないと思いますし、ドイツ軍の第22装甲師団と「シモンズ」戦隊は11月19日にソ連軍の大戦車軍団と遭遇しているので、B軍集団司令部経由のルートで緊急の報告が第6軍に届いてもよさそうなもんですが…。彼らも、突破したソ連軍の戦車部隊が、東に旋回して第6軍の背後に向かうとは予測していなかったのか。ソ連軍の反攻開始時期が、第6軍司令部の移転時期と重なっていたというのは、偶然だとしたら不運としか言いようがありません。

> さてそのときにカラチの危機を阻止すべく投入できる装甲部隊があったか?ですが……ビーヴァーは「なかった」というのですが、その時点での部隊配置状況のデータがわからないので、いまいち判断しかね
> るんですよね……

私は、あったと思いますよ。3月に学研から出るムックの巻頭で、カラー地図見開き9点でスターリングラード戦役を段階的に解説していて、そのうちの一枚に、第24装甲師団と第16装甲師団の移動経路を記していますので、参照していただければ幸いです。特に第24装甲師団は、同じカラチの橋を渡ってドン側の西に行っているので、もし彼らがカラチで待ち伏せしていたら…。

> えと、それから、第6軍からドン西岸に初めに投入されたのは、第14装甲師団ではないのでしょうか?ビーヴァーではそう読めるのですが(もっとも、部隊名の誤り(誤訳?誤植?)が多いのでいまいち信頼できないのですが……

第11軍団の予備として、第14装甲師団の一部(ルードヴィヒ戦隊)が11月19日の時点でドン川の西岸にいましたが、実質一個連隊弱の兵力です。この時期、第14装甲師団はいくつかの戦隊に分割されて、各地にバラまかれていました。ザイデル戦隊はスターリングラード市内におり、ザウアーブルッホ戦隊とフォン・ブレーゼ戦隊は、ドン川より東の第29自動車化歩兵師団の背後で待機、ソーヴァン戦隊はそのはるか南方に配置されていました(このソーヴァン戦隊はコテリニコヴォ方面に離脱、ザウアーブリュッホ戦隊はニジネ・チルスカヤ方面に離脱して包囲環には入っていないので、厳密に言えば「第14装甲師団の約3分の1は包囲環の外部に脱出していた」と言えます)。

あと、部隊名の誤りは、ほとんど訳者の不手際によるものだと思います。例えば、ドイツ軍の軍団名で「第11軍団」と「第9軍団」が交互に出てきたりしていますが、原著ではどちらも「XI」となっていて、単純なローマ数字の読み間違いによる訳者の誤表記です。私は、この著者をかなり高く評価しているので、こうしたケアレスミスは残念ではあります。


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