タイトル | : Re^3: 「日清戦争」(清軍編) |
投稿日 | : 2006/08/01(Tue) 00:37 |
投稿者 | : TraJan |
松澤さん こんにちは。
ん〜と、発言主旨が掴みきれません。質問なのか、間違いの指摘と受け取るべきか判りませんが、私の説明が不足のようですので、補足します。
(1)総督の配置と巡撫について
湖広総督は湖北省及び湖南省を所管、両広総督は広東省及び広西省を所管する例などがありますが、それをもってして「総督は大体は2省くらいを管轄するのが普通」と言えるのか否かは私には判りません。両江総督は3省を所管しますし、四川総督は四川省のみが所管になります。直隷総督のみが例外ではありませんでした。
また、山東省や山西省には総督がなく、それらの省では巡撫が軍事権を持ちました。
(2)東三省について
奉天・吉林・黒竜江の3省は1907年に設置されますので、日清戦争当時には(というか日露戦争当時でも)東三省という呼び方は無かったと思われます。当時は「満州」と呼ばれていました。
思いますに清においては、省や総督・巡撫は異民族(八旗に属さない者)を統治する官制であったと考えられます。従って、住民の全てが八旗に属する満州には、省が置かれなかったのだと思います。
満州には代わりに八旗の指揮官が置かれました。清史稿によれば「盛京駐防将軍」「吉林駐防将軍」「黒竜江駐防将軍」が置かれたと記されています。
盛京には満州全体を統括する「奉天府」が置かれていました。これと盛京を所在地とする盛京将軍は混同されやすいのかもしれませんね。