History Quest「戦史会議室」
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タイトル 日本の百済救援出兵について
投稿日: 2004/10/05(Tue) 21:37
投稿者山家

 白村江の戦いに至る日本の百済救援出兵についてですが、私の周りの人に聞く限り、いろいろな意見があります。
 ある人は、太平洋戦争時の日本と同様、勝ち目などまるでない無謀極まりない出兵で、さっさと出兵自体を断念して、唐の旧百済領の属領化を速やかに日本は承認すべきだったとまで言います。

 私としては、日本の百済救援出兵は止むを得ないものであり、勝算も鬼室福信から日本への出兵要請を受けた時点では、十二分にあったと思います。
 余りにも近代的な視点、と嘲笑されるかもしれませんが、日本本土の防衛を考えるとき、朝鮮南部を親日的な国が統治しているか、反日的で日本本土侵攻を企てている国が統治しているかの差異は大きなものがあります。
 もし、朝鮮南部を反日的な国が統治している場合、日本としては本土が直接侵攻の脅威に曝され、その防衛正面も九州から山陰の日本海沿岸部まで広がることになります。
 一方、朝鮮南部を親日的な国が統治しているならば、少なくとも産業革命以前の時代には、日本本土への侵攻はほぼ不可能(樺太から北海道、更に本州への侵攻が可能とおっしゃられるかもしれませんが人口密度や生活水準(樺太で、本州と同様に充分安定した生活水準は送れません)の問題から、侵攻作戦は不可能、また。台湾から沖縄、南九州や四国への侵攻作戦も、人口問題(この場合は沖縄で養える人口)から困難)になります。

 そして、これまで親日的だった百済が滅亡し、どちらかというと反日的だった新羅と向背が定かではない唐が朝鮮南部を制したのです。
 日本本土防衛を考えると、これを日本は座視できません。
 そして、百済復興運動が旧百済領では起こっており、まだ新羅と唐の旧百済領内では安定していません。
 この状況からすれば、日本が百済復興運動に加担し、百済救援出兵を実行したのは、ある意味、当然の決断です。
 日本としては、唐どころか新羅滅亡まで戦う必要は無く、百済を復興させればいいのです。
 ちょうどベトナム戦争で、北ベトナムが米軍をベトナムからの撤兵に追いやったように、唐軍を旧百済領から撤兵させ、百済を復興させるのは、日本本土防衛という目的を果せることであり、それは当時の状況からすれば充分達成可能に思われることだったのです。何しろ、延べにして4万以上もの大軍を、日本は海上輸送できたのですから。
 
 私としては、上記の理由から日本の百済救援出兵は止むを得ない決断であり、勝算も当初は十二分にあったと考えるのですが、いかが思われますか。


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