History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re: 白馬で釣られた竜のせい?
投稿日: 2004/10/17(Sun) 21:59
投稿者山家

> 個人的には、唐がこの作戦を立案するにあたって、前提条件として、造船技術におけるなんらかの前進があったのではないかという気がします。具体的は、竜骨を持った船や帆走の設備が、唐から宋にかけての時代に実用化されていったと思われる中で、唐側が、黄海を横断しての上陸作戦を決断できるだけの理由があったのではないでしょうか。

 当時の造船技術については、私は極めてうといので、他の博識の方々にお願いします。

 私が、唐の黄海を横断しての百済上陸作戦で着目したのは、以下の点でした。

 まず第一に、当時既に山東半島の突端から朝鮮半島西岸に至る海流があるのは、周知のことであったらしいのです。遣唐使は新羅との関係が悪化する7世紀までずっと北路を使用しています。その北路の航路ですが、日本から唐に赴く際と唐から日本に帰国する際では航路が微妙に異なります。唐に赴く際は、朝鮮半島西岸をずっと北上し、遼東半島から黄海を横断し山東半島に上陸し、長安を目指します。逆に帰国する際は、山東半島から直接朝鮮半島西岸を目指すのです。何故なら黄海の海流の関係から、このような航路を採るのが合理的だったからだそうです。これを別の視点から見れば、山東半島から大上陸船団を出航させれば、朝鮮半島西岸の百済に対する上陸作戦を容易に行えることになります。

 第二にこれまで高句麗侵攻作戦において、隋も唐も陸軍と海軍を連動させて侵攻作戦を動かしてきたことです。即ち、唐は海軍による侵攻作戦の経験があり、その際に陸軍も連動させてきたのです。百済に海軍を侵攻させ、新羅陸軍と連動させて、百済を滅ぼし、更に新羅と共に高句麗を滅ぼす。唐にしてみれば、自国の陸軍の代わりを新羅陸軍が行い、百済に対して侵攻作戦を行ったのです。

 このように後知恵からすれば、百済に対する唐・新羅連合軍の侵攻作戦は極めて合理的な作戦に思われます。ただ、その一方で、これが極めてリスクが高い作戦で、ある意味、太平洋戦争における真珠湾空襲に匹敵するリスクを背負っているともいえるのです。

 何故なら、当時は無線等はなく、離れた部隊を有機的に動かすことは極めて困難でした。更に唐と新羅では言語も違います。史実では見事な連携で百済侵攻作戦を唐・新羅連合軍は行えましたが、齟齬を来たし、大失敗の可能性もそれなりに高いものだったのです。また、新羅は当時朝鮮半島西岸に港を持っておらず、唐は上陸作戦後、速やかに港を確保するか、新羅軍と連絡を付けられないと、朝鮮半島において、上陸軍に糧食が不足し、補給切れという悪夢が待っていたのです。更に百済が、唐が大船団を整備しつつあるのは高句麗侵攻作戦ではなく、百済侵攻作戦を行うためだ、と正確に認識していたならば、百済も海軍整備に乗り出し、唐の百済への上陸作戦は失敗しないまでも、極めて困難な作戦になったと思います。

 


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