タイトル | : Re: 島国の安保マインド |
投稿日 | : 2004/11/08(Mon) 20:33 |
投稿者 | : 山家 |
> 島国の安全保障のためには、対岸に覇者が現れるのは好ましくない。小国分立・勢力均衡の状態が望ましい……これが実際のところではないでしょうか。実際、イングランドの大陸政策は、百年戦争から第二次大戦までずっとコレでした。
> 史実と逆に、百済が唐と同盟して新羅を潰しにかかっていたら、日本はきっと新羅救援軍を送っていただろう、と思いますが……?
確かにおっしゃるとおりだと思います。しかし、その可能性は極めて低かったと思われます。
まず、隋唐帝国の成立まで、基本的に高句麗の南進に対し、新羅・百済が対抗するという図式がありました。その過程において、日本が朝鮮半島の窓口としていた同盟国の加羅諸国が滅亡し、その大半が新羅領となります。そして、そのために日本は新羅を敵視するようになり、対抗上百済と友好関係を結びます。更に百済と新羅の友好関係も崩れていきます。
そして、隋唐帝国が成立し、高句麗を攻撃するようになります。高句麗としては、背後の安全を図るために、新羅か、百済=日本か、と手を組まなくならざるをえません。そして、日本は隋唐帝国との対等外交を望んだことから、隋唐帝国との関係はうまくいっていません。こうなってくると敵の敵は味方の論理が働き出します。つまり、高句麗としては、百済=日本連合のほうが頼れる味方になってくるわけです。百済としても、これまでの行きがかりから、朝鮮半島内では高句麗・日本のほうが頼れる友好国です(何しろ隋の3回の大遠征を高句麗は撃退しています)。
こう考えてくると、百済と唐が手を結び、高句麗・新羅・日本が対抗するというのは、考えにくいことだと思われます。