History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re^2: 日本の百済救援出兵について
投稿日: 2004/10/10(Sun) 21:59
投稿者山家

> 私は余り詳しくないのですが、百済滅亡前、新羅が不利だった時分に、新羅が日本に援軍の要請をした(断られた)との話を読んだ記憶
があります。
> 当時は日本も百済も新羅も、向背定まらない状態であって、百済が
親日的で新羅が反日的だったとは言えないように思えます。
> 唐も絡んで来ますし難しい所ですが、その時点で予防戦争をしなく
てはならないほど緊迫した状態だったとは余り思えません。

 古代の百済と新羅と日本の関係ですが、いわゆる加耶(任那)問題も加わり、研究者によって、かなり主張が異なっているように思われます(中にはどうにもトンデモ系では、という主張まであります)。
 従って、以下の主張は、私の個人的な理解に基づくものです。

 5、6世紀以来、朝鮮半島において日本が交渉の窓口とし、場合によっては軍事協力も惜しまなかった日本の同盟国の加耶諸国に対し、百済と新羅が侵略を開始します。とりわけ新羅の侵略は露骨なもので、日本においても磐井の乱を使嫉するなど、日本を敵視しました。これに日本も対抗して加耶諸国を支援しますが、海を隔てていることもあって思うように行かず、結局、加耶諸国の大半は新羅が制し、残りを百済が占領し、そして、いわゆる任那の調を新羅が日本に送ることで、日本は朝鮮半島から直接は手を引くことになります。

 百済は加耶諸国の一部を手に入れましたが、それだけでは新羅や高句麗に対抗できず、日本を基本的に同盟相手とし、五経博士を派遣したり、仏教を伝来させたりなどします。一方、日本にしても、加耶諸国の大半を新羅により失った今、百済を対朝鮮半島政策における重要なパートナーとみなすようになります。

 そして、このような歴史背景の中で、隋唐帝国が成立し、高句麗を攻撃するようになります。そして、高句麗は背後の安全を確保するために百済と手を結びます。これにより、新羅は朝鮮半島内で孤立した立場に追い込まれたわけです。
 こうした現状を打破するため、新羅は日本に対し、百済に代わって自国を同盟国とし、百済を撃破するための援軍派遣を日本に要請したものと考えます。

 もっとも上記のような歴史背景からすれば、そのような新羅の要請は、日本にとっておいそれとは乗れない話であったと思います。伝統的に反日的な行動を取ってきた新羅が、いきなり手のひらを返して日本と同盟を結びたいと言ってきたわけですから。


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