タイトル | : Re^4: 指導者と二次大戦 |
投稿日 | : 2005/10/22(Sat) 23:01 |
投稿者 | : ごちょう |
> ある国が降伏する唯一の理由は「戦争を続けるよりましだ
> から」というものです。この点に関して例外はありません。
確かに「国家指導者の投了=降伏」と言う概念は不変ですね。
ただ、この考えを突き詰めて行くと「ソビエトが最終的に二
次大戦で勝利したのはスターリンが頑固で決して負けを認め
なかったから」といった「指導者の戦争継続に対する執念」
に帰着していきますね。
要は国家指導者が「参った」と言った時が「戦争終結」なの
だから。これは一種の「勝つまで辞めない徹マン」みたいな
物ですからね。
つまり「もしスターリンが敗北主義者であったならドイツは
戦争に勝てた」可能性も存在する事になります。もちろんこ
れは「モスクワの陥落」と言った軍事的状況とは無関係に存
在しますから「仮にスターリンもしくはヒトラーが降伏を受
け入れれば戦争は終わる」と言った事になりますね。
ちなみにあの頑強な意志を持つスターリンでさえも独ソ戦開
始時における大損害は相当堪えたそうで、彼自らが国民に「
徹底抗戦」を呼びかけるのは何と独ソ戦開始から二週間後の
七月三日の事だそうです。
この二週間は「スターリン謎の二週間」とされており、一説
には腹心のモロトフとべリアにドイツとの和平交渉を画策し
ていたとも、あまりの事態にスターリンが精神に支障をきた
し自暴自棄になっていたとも言われています。
つまり「国家指導者の投了=降伏」として考ると「もしこの
自暴自棄になっていたスターリンがヒトラーの恫喝と敗北主
義に屈していたならソビエトは降伏していた」事になります。
そしてこの時点でのドイツの勝利は「ゼロ」では無い事にな
ります。
そしてスターリンとっても「モスクワ陥落」の精神的打撃は
計り知れませんので、この時点で「スターリンが敗北主義に
屈した」可能性も存在するのです。
従って「スターリンはモスクワが陥落しても戦争を辞めない」
と言う「国家指導者の戦争継続の執念」と現実の国家被害と
は「必ずしも一致しない」と言う事になりますね。
ですので最終的には「国家指導者の戦争継続の執念」に帰着
してしまうのです。
> 文字通り全フランスをドイツ軍が蹂躙しそうだったから降
> 伏したのです。
つまりウィリーさんの「戦争を続けるよりまし」で考えるな
ら「もしフランスのペタン首相が徹底抗戦主義なら仮にフラ
ンス全土が焦土と化しても戦った」と言う事になりますね。
つまりフランス政府は「敗北主義者」だったと言う事なので
しょうか?
まあフランス戦以前の「奇妙な戦争」から考えると「フラン
ス政府は既に敗北主義に侵されていた」とも思えますね。
これも国家指導者の戦争継続意志と国家被害とは「必ずしも
一致しない」とも思えるのですが。
結局のところ「投げたら終り」と言う事になってしまいます
からね。そしてこの「投げるか投げないか」と「戦況と合理
的判断」とはある意味無関係なのです。
> この規模のゲームでなら、プレイヤーの役割は特定の作戦
> の実行責任者であって、国家指導者ではないのですから。
確かに「作戦担当者的なゲーム的な勝利条件」と言う意味で
はそれで妥当だと思います。
ただ逆に独ソ戦のような「ヒトラーの戦争経済」といった限
りなく政治的要因と関連した作戦の場合、単なる作戦担当者
であっても「政治的軍事作戦」を考慮せざる得ない事態も存
在する訳です。
そして「死守命令」のような、作戦担当者が「政治的理由か
ら無理な作戦を押し付けられる」と言った事態も存在するで
しょうね。
しかし従来の戦略作戦級のシステムでは「再現が難しい」の
も事実でしょう。
つまりある意味「ソビエトの降伏チェック」と言った政治的
な不確定要素を勝利条件に加味することによって「より二人
の独裁者の政治性を反映したリアルな独ソ戦」が再現できる
ような気もしたのです。
そしてその点おいて従来の硬直した勝利条件のシステムでは
「再現が不十分」のような気もしたのでした。