タイトル | : Re^3: フランス1940の場合 |
投稿日 | : 2005/11/04(Fri) 16:21 |
投稿者 | : 柿崎 唯 |
参照先 | : http://www9.ocn.ne.jp/~saphisgc/ |
Giftzwerg様、ごちょう様へ、
レスが遅れてすいません。
1940年のフランス戦ですが、イギリス、フランス共にドイツ軍を舐めていたのでは、と私は感じています。
5月の時点では、連合軍とドイツ軍の師団数は拮抗していたわけです。
これに、マジノ線という設備が加わっていたわけで、安心しきっていたのでしょう。
フランス軍はまだしもイギリス軍のBEF6個師団というのはあきれます。開戦から半年たっていたのですから、本気であれば倍は送れていたはずです。第1次大戦のときは10倍以上いたわけですし。
泥縄のディール作戦をやって、ベルギー・オランダの30個師団に加えてフランス、イギリスの30個を失うのですが、これで過度の安心から、過度の失望に振れてしまっています。
1940年5月以降、フランス軍は数個師団しか増えていません。
普仏戦争の時には、パリコミューンで粘ったのですが、・・・。
まあ、急速動員しても、敗戦を1ヶ月程度伸ばすだけに終わった可能性は否定できません。ロシアと異なり国土が狭いですから、・・・。
私は史実のフランス首脳の決断は致し方ないものと考えますが、もう少し粘る方法が存在していたのも事実と考えます。
スターリンが称えられるのはロシアの国民性なのでしょう。
2000万人の自国民を犠牲にしても称えられるというのは民主国家では考えにくいでしょう。
柿崎