タイトル | : Re^2: フランス1940の場合 |
投稿日 | : 2005/10/25(Tue) 16:22 |
投稿者 | : ごちょう |
フランス戦の解説ありがとうございます。勉強になります。
> フランス本土の軍事的降伏は当時不可避でした。
> その後、海外植民地での抵抗を放棄して休戦したのも、私
> はそれほどひどい判断とは思いません。
確かにそうひどい判断でもありませんね。フランス人の生命
と財産を守るためには致し方ない判断にも思えます。
ただ、反対にこれを独ソ戦に当てはめると「スターリンは祖
国を守る為に3000万とも言われる国民の生命と財産を犠牲に
したが、これは本当に正しい判断だったのか?」と言う疑問
にも繋がりますね。
となると「ロシア人の生命と財産を守る為に敢えてヒトラー
と和解する」と言う判断も「そうひどい判断でもない」と言
う事になりますね。どうなのでしょう?
少なくとも独ソ戦初期おける「小銃は二人に一挺」と言われ
る悲惨な装備状況であっても戦争を継続するのは「相当無茶
で、ひどい判断」とも解釈出来るのです。
つまりその点では「どちらの判断にも一定の合理性がある」
と小生には思えるのです。
そして「3000万もの犠牲を出した」大祖国戦争が「スターリ
ンの功績」とされ、フランスの人民と財産を守る為に「敢え
て降伏と言う選択をした」ヴィシーフランス政権は「ナチス
ドイツに屈服したフランスの汚点」として語られてしまうの
は歴史の皮肉なのでしょうか?
それともやはり「国家の判断」と「合理性」は「必ずしも一
致しない」と言う事なのだろうか?