History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re: フランス1940の場合
投稿日: 2005/10/24(Mon) 01:55
投稿者Giftzwerg

1940年にフランスが降伏した時点で、南仏で抵抗を続けることは
軍事的にはほぼ不可能です。

ダンケルク撤退後、1940年6月に「フランスの戦い」(赤色作戦)
が開始された時点で、ドイツ陸軍は一線兵力は120個師団、予備に
22個師団を持っていました。
これに対し、フランス陸軍は全戦力で65個師団強、前線には45個
師団プラス英軍1個師団強しか持っていませんでした。

この戦いでフランス軍は緒戦で善戦したものの、やがて崩壊、
敗走します。
6/11に英仏首脳会談が開かれた時、フランス軍の北東方面軍司令官
ジョルジュ将軍は「6/5以降、一週間の戦闘で25個師団を喪失、空軍の
残存戦闘機は約180機のみ」と報告しています。

この時点で既にフランス国内での継戦能力はもはや無く、フランス
全土が征服されるのも時間の問題でした。
実際に6/22に停戦が成立するまでにドイツ軍はフランス全土の2/3を
占領しています。

フランス政府内でもレイノー首相や陸軍次官のドゴールは徹底抗戦を
主張しており、チャーチルも抗戦を勧めていました。
しかし、これは残っている戦力をできるだけ北アフリカに逃がし、
海外植民地を拠点に英仏連合を作って、軍事的にはイギリスと
単一国家のように合同するという構想でした。
抗戦派もフランス国内での抵抗は不可能だと考えていて、実際、
レイノー首相は陸軍総司令官のウェイガン将軍に、政府の北アフリカ
退去後、フランスに残された部隊をドイツ軍に「軍事的降伏」させる
ように命じて拒否されています。
その後、閣議で英仏連合案を反対されたレイノーは退陣して、後継の
ペタンがドイツと休戦しました。

フランス本土の軍事的降伏は当時不可避でした。
その後、海外植民地での抵抗を放棄して休戦したのも、私はそれほど
ひどい判断とは思いません。


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