タイトル | : Re^4: フランス1940の場合 |
投稿日 | : 2005/11/11(Fri) 14:53 |
投稿者 | : ごちょう |
レスが遅れてすいません。
> 1940年のフランス戦ですが、イギリス、フランス共にドイ
> ツ軍を舐めていたのでは、と私は感じています。
確かにその可能性は高いですね。
少なくともベルサイユ体制下で額面上はドイツの軍備はかな
り制限されていましたし、再建には時間が掛かると英仏は見
ていたと思いますね。
1939年のポーランド戦も「下馬評ではポーランド優勢」と言
う判断があったとしても不思議ではないでしょう。英仏も「
ポーランドは相当善戦するだろうからまだ時間はある」と楽
観視していたように思います。要はドイツ軍を舐めてしたの
でしょう。
> 泥縄のディール作戦をやって、ベルギー・オランダの30個
> 師団に加えてフランス、イギリスの30個を失うのですが、
> これで過度の安心から、過度の失望に振れてしまっていま
> す。
所謂浸透戦術が「敵を麻痺させる」戦術なら、戦略的な「電
撃戦」が「国家を麻痺させる」戦略とも解釈できますね。
また世論と言うのも「国家の集合意識」とも言えるので1940
年のアルデンヌ攻勢で「世論が麻痺」して、その結果「過度
の安心から過度の失望」に大きく世論が振れてしまったので
しょう。結局、フランスはその「麻痺」から最後まで立ち直
れなかったのが敗因なのかもしれませんね。
つまり「電撃戦」の本質は、その軍事的戦果より「大戦果に
よって敵国の心理を麻痺させる」と言う「大戦果よって起き
る精神的効果」に勝利の本質があるようにも思えるのです。
そしてこの「電撃戦による精神的打撃」は「ヒトラーの軍事
的恫喝」と組み合わさった時「恐るべき効果」を発揮したと
考えられます。でもってその「電撃戦とヒトラーの恫喝」の
「最高傑作」が1940年のフランス戦だったと言う事になるの
でしょう。
そうなると「孫子」の言う所の「心を攻める」と言うのが「
電撃戦」の的確な解釈なのかも知れませんね。
> スターリンが称えられるのはロシアの国民性なのでしょう。
> 2000万人の自国民を犠牲にしても称えられるというのは民
> 主国家では考えにくいでしょう。
逆にスターリンやソ連には「少なくとも麻痺から立ち直る時
間があった」事は確かでしょう。国土も広く、軍備も質はと
もかく量だけは用意できました。またスターリン政権の「頑
強な政権と立ち直りの早さ」も大きな要素ではありますね。
でも最終的には「その時間があった」と言う事だった訳でそ
の点フランスには「その時間が無かった」のが不幸だったと
も言えますね。また時間が無いと人は冷静な判断は出来ない
ものですし。時間の有無は勝敗を大きく作用する要素でもあ
りますね。
そしてその「麻痺」から立ち直りさえすれば、浸透戦術と同
様に「電撃戦」はその弱点を露呈して「自ずと崩壊する」事
になります。従って「常に進撃」と言った機動力で敵に「精
神的打撃」を与えつづけなければならないと言う事になりま
すね。
つまり「電撃戦」別の意味で例えるなら「自転車攻勢」とも
言える訳で、そして攻勢が終わると自らの重みに耐え切れず
「負けの確定」になってしまう訳です。
その点で見るなら「グテーリアンのキエフ転進」は失敗だと
言えるでしょう。敵に更に立ち直る時間を与えてしまった事
になりますから。ダメ元でも「モスクワに突っ込む」決断す
るべきだったと思います。
もちろん補給が届かなかったかも知れないし、モスクワが陥
落してもスターリンは諦めないかも知れない。でも「電撃戦」
が「自転車攻勢による賭け」である以上「少なくともスター
リンに立ち直る時間と隙を与えない」と言う意味では「キエ
フ転進」よりは勝機はあると小生は思えるのです。