History Quest「戦史会議室」
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タイトル Re^2: 本能寺の変の謎
投稿日: 2005/06/12(Sun) 21:50
投稿者山家

> 私はこれについて一つの考えがあります。
> (賛同者はいないでしょうが)
> 織田信長は明智光秀を使って、一種の「クーデター」を
> 準備していたのであって、光秀の上洛は
> はじめから信長の予定表に入っていた、というものです。
>
> そう考えればすべての行動はつじつまが合います。
> 毛利救援は口実で、京都での信長によるクーデター
> を隠すための陽動なのです。
> 寝耳に水の軍事作戦で京を完全に制圧する。
> そのショックを利用して正親町帝を退位させる。
> その上で、信長が新王朝を開く。
> だから光秀が上洛してきても全く無警戒ですし
> 京を制圧していても無警戒だったのです。
>
> 本能寺が攻め落とされる瞬間まで。
>
> > 他にも、例えば、織田信長が殺害された後すぐに、織田信忠が何故すぐに京都から逃亡せず、むざむざ籠城してしまったのか等、謎が多々あります。
>
> これも、光秀上洛が予め予定に入っていたと考えれば
> 容易に回答できます。
> 光秀が「救援」に来るまで持ちこたえればいいと思えば
> 籠城した方が有利に決まってます。
> その光秀が謀反を起こしていることに気づいた時には
> 手遅れだった、という訳です。
>
> 光秀が謀反を起こした動機は、私にとってむしろ重要ではありません。
> 「詰んでいた」というのが結論でしょう。
> 謀反の証拠をでっち上げて信長に握らせるぐらい
> 毛利にとっては朝飯前です。
> 第一、功臣2人がすでに追放になってます。
> それも、毛利と事を構えた武将に限って。
>
> 光秀ぐらいになれば、次に毛利が誰を陥れようとするか
> 大体想像がついたでしょう。
> その上で「謀反の証拠」そのものを「毛利に」つきつけられたら
> 光秀には選択の余地がないのです。
> そうであった証拠はどこにもありませんが
> これこそまさに元就いらいずっと続く、毛利の得意技なのです。
>
> まあ、これで機内を再び戦乱に落とし込めばそれで
> 毛利とすれば目的を十二分にはたせるわけですから
> 秀吉が天下を取ろうが光秀が天下をとろうが
> どうでも良かったでしょうけどね。
>
> 証拠は?なにもありません。
> ただ、この件で秀吉との講和に絡んだ2人が
> 後で秀吉から直接知行をもらっていたんですから
> 傍証にはなると思われます。
>
> まあ、信長がクーデターを準備していた、と
> 強く言うつもりはありません。
> しかし、本能寺のシナリオを書いたのは
> 小早川隆景であることは、ほぼ確実と言っていいでしょう。
> 光秀が将軍になるには、現に生きている15代将軍
> 足利義昭をなんとかする必要があるのですし
> その義昭は鞆の浦〜つまり、小早川隆景の領土にいるんですから。

 ウィリーさまの説は、前段と後段が矛盾していませんか。私の読み間違いかもしれませんが、前段では織田信長は明智光秀を遣ってクーデターを起こすつもりだった、と言われつつ、後段では毛利氏の陰謀により、明智光秀は織田信長に疑われており、粛清を懼れて明智光秀は本能寺の変を起こしたと言うのでしょうか。天皇に対してクーデターを起こして新王朝を開く大事に、信用できないとしてこれから粛清する予定の部下(しかも、部下自身がこのままでは粛清されるのを熟知している)を遣うというのは、不自然です。私が明智光秀だったら、織田信長に天皇にクーデターを起こせ、と言われたら、すぐに自分を使い捨てにするつもりだ、と感づきます。織田信長は、明智光秀はそんなことは分からない、と思っていたのでしょうか。余りにも人間の感覚に鈍感極まりない行動だと思います。

 それに毛利氏と事を構えているというと、羽柴秀吉が基本的にずっと織田信長の前面に立って戦ってきており、羽柴秀吉は毛利一門の吉川経家を殺してさえいます。羽柴秀吉の方が遥かに毛利氏に目をつけられやすい存在だと思われます。それなのに、羽柴秀吉よりも明智光秀を毛利氏が狙うというのは不自然だと思います。

 どうしても、本能寺の変において、外部勢力による黒幕的存在があったと考えるのなら、毛利氏よりも長曾我部氏の方が遥かに怪しいです。当主である元親の正室が斉藤利三の妹であること等から、明智光秀が織田家の対四国政策における窓口になり、長曾我部氏は親織田勢力にずっとなっていましたが、三好氏が織田家に降伏したことと、長曾我部氏の急伸が織田家の脅威と考えられたことから、本能寺の変の直前に、織田家は対四国政策を百八十度転換し、織田家は羽柴秀吉を対四国政策の窓口とし、三好氏を先鋒に対長曾我部氏戦争にこれから突入するところでした。これは明智光秀のこれまでの苦労を無にし、面目を潰すもので、長曾我部氏を存亡の危機に立たせるものでした。こういったことから、長曾我部氏が面目をつぶされた明智光秀に懇請し、本能寺の変を起こした、と考えるほうが、まだ可能性があると思われます。


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